【宋名臣言行録・王旦】賢者で有能にして忖度のない臣下の実力を見抜いた男

王旦の条

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『宋名臣言行録』の中から、有名な一節を学びましょう。

この24巻本は北宋朝の主だった臣下、99人の言行をまとめたものです。

編者は南宋の朱熹です。

唐時代の『貞観政要』とともに、為政者の必読書として、わが国でも長く親しまれてきました。

どのようなに人物が、為政者にとって最も有用なのでしょうか。

皇帝の周囲には多くの臣下が参集します。

しかし、本当に仕事ができ、清廉な人間はそれほどいません。

ここに登場する王旦(957~1017)は名門の出で、若くして科挙の試験に合格し、後に契丹(現在のモンゴル)が侵入してくると寇準とともに北宋の第3代皇帝真宗にしたがって現地に赴き、休戦条約を締結しました。

帝に厚く信任され、11年も宰相を務めたのです。

肝の据わった、潔白で穏やかな人柄だったといいます。

こんな逸話があります。

北宋の皇帝真宗の時、王旦は宰相となりました。

多くの賓客が彼の元を訪ねてきたのです。

王旦が任に足ると目星をつけた人は役人に命じて、その居場所を必ず探りました。

時間をかけ、各地の政治情勢を尋ねたり、政策に対する提言を文章にして差し出させたのです。

優れた才能を持つ人物の名は、全て書き留めておきました。

人事を決める段階になると、皇帝は多くの名簿の中から、名前の上に点の打ってある人物を選びました。

密かに皇帝にわかるようにと細工をしておいたのです。

こうして、王旦が用いたいとする人物が、全て裁可されました。

同僚達は賄賂などで人選に動きましたが、王旦は人物本位で選び抜いたと言われています。

帝の信用はそれほどに厚かったのです。

言うまでもなく、彼らはみな優秀な臣下になったということです。

ここに取り上げたのは、どれほど王旦が皇帝に信頼されていたかを示す話です。

書き下し文

王太尉、萊公(らいこう)を薦めて相(しょう)と為す。

萊公数々(しばしば)太尉を上の前に短(そし)るも、太尉は専(もっぱ)ら其の長を談(かた)る。

上、一日、太尉に謂ひて日く、「卿其の美を称すと雖(いえど)も、彼は専ら卿の悪を談ず。」と。

太尉日く「理(ことわり)固より当に然るべし。臣、相の位に在ること久しく、政事の闕失(けつしつ)、必ず多からん。

準、陛下に対し隠す所無し、益々(ますます)其の忠直なるを見る。

此れ臣の準を重んずる所以(ゆえん)なり。」と。

上、是に由りて益々太尉を賢とす。

初め萊公、藩鎮(はんちん)に在りしとき、嘗て、生日に因(よ)りて、山棚(さんぽう)を造(つく)りて大ひに宴し。又、服用僭侈にして、人の奏する所と為る。

上甚しく怒る。

太尉に謂ひて日く、「寇準、事毎(ことごと)に朕(ちん)に効(なら)はんと欲す。可ならんや。」と。

太尉、徐(おもむ)ろに対へて日く、「準は誠に賢能なるも、騃(がい)を如何(いかん)ともするなし。」

上の意、遽(にわ)かに解けて日く、「然り。此れは止(た)だ是れ騃なるのみ。」と。

遂に問はず。

(注) 王太尉とは王旦のこと。

萊公(らいこう)とは寇準(こうじゅん)のこと。北宋初期の政治家。

現代語訳

王旦は寇準を推挙して宰相の一人にしました

それなのに寇準はしきりと王旦の悪口を、帝の前で言うのです。

しかし王旦は専ら寇準のすぐれているところばかりを口にしました。

帝はある日、王旦にこう言いました

「そなたは彼の美点を褒めるけど、彼は専らそなたの欠点ばかりをあげつらっているぞ。」

すると王旦は次のように答えました。

「そうなるのは、しごく当然の理です。わたくしは宰相の位に長く就いておりますので、きっと今までに、政治上の失策を多く犯しているはずです。

寇準は、何事も隠さずに、陛下にお答えしているのです。

推薦した私のことでさえ悪いところは悪いというのですから、これは彼の正直さの素直な現れです。

私が寇準を重んじる理由もそこにあります。」

帝はこの返事を聞いてから、ますます王旦を賢臣として信任するようになりました。

ところで以前寇準が地方に赴任した頃、彼は自分の誕生日だというので、山車を造り盛大な宴会をしたことがありました。

さらに食事や身につけるものも贅沢で豪勢な品々を用いたため、ある人が訴えたのです。

帝はたいへん腹をたて、王旦にこのように言いました

「寇準は何事もわしの真似をしようとする。けしからんではないか」

王旦は静かに答えました。

「寇準はまことに賢者で有能ですが、ああした子供じみたところををどうすることもできないのです」

この一言で、帝のわだかまりもすっかり消えてしまいました。

「そうだな。これは何も謀反の下心などがあるわけではない。ただ無邪気なだけなのだ。」

帝ははそれきり何も責めることなく、この話は沙汰やみになったということです。

忖度の意味

宰相の王旦に推挙されて宰相の一人になった寇準が、王旦を悪く言うという意外な展開から話が始まります。

普通なら、これだけ目をかけてやっているのに、と逆上しても不思議ではありません。

ところが王旦は寇準を褒めるばかりなのです。

さすがにこれには帝もおかしなことだと感じました。

しかし王旦はごく当然なことだと言って驚かないのです。

自分が宰相として政治上の失策を多く犯してきたことを、ありのままに帝に告げようとする、その寇準の態度にむしろ正直さを見たのです。

普通なら相手の状況を忖度して、悪口などはいわないものです。

結局、自分の損になるという感情が先に立ちますからね。

しかし帝のことを第一に考えれていれば、つい口当たりの悪いこともあからさまにしなくてはなりません。

寇準のその性格を王旦は大切にしたのです。

それを素直に聞き取った皇帝真宗の腹の太さにも驚かされます。

こうした臣下を持つことができたということが、帝にとっても幸福であったといわざるを得ません。

口当たりのいいことを言うというのは、生きていく上で大切なことではあります。

しかし真に敬意をもっていれば、時には苦いことも発言しなくてはならない時があるものです。

kareni / Pixabay

この話は現代にも通じるのではないでしょうか。

損害保険会社が自動車会社から回ってくる書類にろくに目を通さず、次々と認定していったという話は記憶に新しいところです。

途中でそのことに気づき、自動車会社との契約を打ち切るところまでいったとき、社長の鶴の一声で、また元の通りになってしまいました。

その大切な会議のとき、もし部下の誰かが思いとどまらせる発言をしたらどうだったでしょうか。

後に発覚するほどの、大きなミスをせずに済んだのではないかと思われます。

事実、他社はそこで踏みとどまったのです。

この本がなぜ為政者の必読書として、日本に広まったのか。

その背景を探っていけば、上に立つ者の心構えがそこに示されていることに気づきます。

内容をじっくりと読み、味わってみてください。

決して古い話ではないのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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