【論理一筋・理由が神】主語を私にして感情を優先する書き方は絶対にNG

小論文

論理一筋

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

小論文は論理を中心に書くということは、今までに何度も説明してきました。

しかしなかなか文章が上手にならない。

今までにこの種の文章を書いたことがない、という人が大半なのです。

日本語のシステムはもともと、論理的にできていません。

例えば内容を否定する場合を考えてみましょう。

英語の場合を思い浮かべてください。

英文には、はやい段階で否定をあらわす言葉「not」が文中に出てきます。

しかし日本語は最後まで読まないと、そうなのか、そうでないのかがはっきりとわからないのです。

1番最後の文脈の中にやっとYesかNoかが出てきて、決着します。

肯定と否定をあらわす言葉の出現が遅く、いつも後半にやっと出てくるのです。

最後まで結論を留保する性格の強い言語だといえます。

さらにもともと主語を明確に書かないという、長い歴史を背負っています。

古文を学べばいかに主語を判定することが難しいのかが、よく理解できると思います。

日本語の文章には、もともと主語がないか、曖昧なケースが多いのです。

そのため判断する材料として、もっぱら敬語を利用してきました。

複雑な人間関係をすべて敬語だけで判断してきたのです。

言語の違いは、当然、日本人の意識を複雑なものにしてきました。

なるべく自分の感情を、そのまま外にあらわそうとしない歴史を背負っているのです。

なぜ今「論理」なのか

それではなぜ、いま「主語」を明確にして文章を書かなければいけないのでしょうか。

ある意味でこれはつらい修行です。

本来、得意ではない行為をしているワケです。

グローバル化の流れが、それをさらに加速させました。

明確で論理的な話し方や書き方が要求される時代になったのです。

その結果、どのようなことが起こったのか。

誰もが苦手な分野に踏みこんだ結果、一気に感情的な文章が前面に出てきてしまいました。

論理的に書こうとすればするほど、「私」を主語にして文を書き始めたのです。

日本人は元々、YesNoで判断するのが苦手な民俗なのです。

しかしあなたはどちらの意見に賛成するのかと詰め寄られる機会が増えました。

この瞬間、不思議な現象が起こったのです。

それは今までまったく苦手だった「私」を主語とする文章を書き出したことです。

本来、論理的な文章に「私」はいりません。

書いてもかまいませんが、感情は極力抑える必要があります。

ところが不得手だった「私」を主語にした途端、感情が溢れ出したのです。

私は嫌いだという文の後に、誰もが納得できるだけの論理を組み立てられません。

そういう訓練をしたことがないからです。

論理的な文が苦手な人の文章をみつけるのは簡単です。

「私は」で書き出した文が、あちこちに散見されるのです。

書き手は、その方が論理的になりやすいとつい考えてしまうようです。

しかし実際に書いてみると、そこには当然のように感情が入ってしまいます。

自分の気持ちを論理的に書こうとすればするほど、この落とし穴にはまってしまうのです。

これは個人的な癖などではありません。

「私はそうは思わない」というのは書きやすいのです。

意識せずに、ついそうしてしまうのです。

自分の感情が先行してしまう時、つい「私は」と書いてしまい失敗します。

「私は~思う」の怖さ

「私は~思う」という文は実に便利ですが、大変に強く怖ろしい力を持っています。

あなたはそう思うかもしれないが、他の人はそんなことを考えたこともないといった判断が常についてまわります。

断じて許せないと言われると、読み手はそうかなと一瞬考えます。

次の段階でそれを担保する理由を、すぐに探そうとするのです。

それが十分な形で書いてあれば、評価は一気にあがるでしょう。

しかしその反対の場合はどうなるのか。

想像すればすぐにわかりますね。

結局、文章は客観性が命です。

小論文の基本は論理が全てなのです。

どこまでいってもこれ以外にはありません。

だからといって意味のない理由がいくら書いてあってもダメです。

それが多数の人を納得させられるものでなくてはなりません。

賛成意見がいくらかあるからといって、それを論理的と呼ぶのはどうでしょうか。

それは個人的な願望にすぎないのです。

大多数の人が、この理由ならば当然示されたような結論に達するはずだ、という論点で書き進む以外に方法はありません。

つまり「私は~思う」式の文章をいくら書いても評価は上がらないのです。

そのことを最初にしっかりと肝に銘じてください。

書かれた内容の中から類推される命題だけが、「命」です。

評価対象になります。

作文の場合は、そこにある書き手の心象風景や感情の質が大切でした。

しかし小論文の場合は全く違います。

そのことをきちんと理解できない限り、いい文章にはなりません。

何を言っているか分かるでしょうか。

これはとても難しく感覚的な話です。

書き始めてみよう

ある程度、イメージが掴めたら、書き始めてみてください。

どのような小論文でもいいです。

過去問がいくらでもあります。

800字で1時間以内と決めたら、とにかくやってみることです。

想像以上に苦しいです。

いろいろな言葉が頭に浮かび、どういう風にまとめたらいいのか、なかなかわかりません。

題の流れを正確に綴っていくことが、いかに大変なのかというのは、やってみなければ理解できないものです

制限時間以内で書くことを約束してください。

何もみてはいけません。

スマホをみていれば、何かきっかけになる言葉を探すことができるかもしれません。

しかし今回はそれも禁止です。

頼りになるのは自分の頭脳だけです。

漢字1つでも、間違わずに書ければたいしたものです。

句読点の打ち方や、改行の仕方もわからないかもしれません。

それがあなたの実力です。

どのように段落を展開すればいいのか。

無手勝流で始めてみることです。

できたら必ず添削してもらいましょう。

自分1人では無理です。

ここからが、本当の勉強の始まりです。

頑張ってください。

このサイトにもたくさんの例があります。

どこからでもかまいません。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました