出生前診断
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は看護医療系の小論文について論じます。
もともと医療系の問題は他の学部学科の試験とはかなり違います。
全ての内容が喫緊のテーマを扱います。
人の生命はなによりも尊く、厳然と守られなければなりません。
それだけに人命を扱う者に対する適性をしっかり見届けようとする傾向が強いのです。
医学に対する知識以上に、人間に対する根本的な優しさを必要とします。
愛情が豊かであるというのが、最も基本的な資質であるといっても過言ではないでしょう。
もちろん、専門的な分野に対する関心が正確で強いことも大切です。
医療の進歩は日進月歩です。
現在、どのような問題が起こっているのかということを、きちんと把握しておかなければいけません。
さらにいえば、その知識を断片的なもので終わらせるのではなく、系統的、論理的に組み立てておかなければならないのです。
ただ覚えた知識では、全く役に立ちません。
さらにいえば、患者はあらゆる階層に属する人間です。
彼らの環境に対する幅広い知見と理解がなければ、つとまることはないでしょう。
症状についてのきちんとした理解を促し、それに対する治療に同意を得ながら進まなければなりません。
いわゆる「インフォームド・コンセント」が大切な所以です。
今回は現在大きな問題でもある出生前診断について考えます。
特に高齢出産が増えつつある現在、少子化の問題とからめて、大切なポイントです。
自分ならどうするか。
これは一般論では語り切れない感情の問題を含みます。
それだけに賛否が割れるテーマです。
採点者はどちらが正解という見方はしません。
その文章の中で、無理のない結論に導いていけばいいのです。
あなたはどちらの立場に立って書きますか。
この問題くらい、タテマエとホンネで揺れる内容はありません。
問題文
出生前診断の結果に基づく人工妊娠中絶には、生命の選別に当たるなどの生命倫理学的な問題があるとの意見がある。
これは、医学の発達とともに、検査の精度が高まり検査実施時期が早まったことで、比較的高い確率で出産前に胎児の異常を発見することが可能になったことから広まりつつある。
それゆえに障害児を産み、一生育てるという立場に置かれた女性の中絶を選択する権利と、障害を持つ子の生きる権利が対峙しているのが現状だ。
以上のことから、出産前の胎児の状態を確認する出生前診断を認めるべきか否か。
あなたの考えを800字以内でまとめなさい。
以上が問題文の全てです。
賛否の立場
人間の人権が絡む、実に大きなテーマですね。
一般論で論じてしまえば、話は簡単ですが、個別の場合を1つ1つみていけば、内容はそれぞれの家族の場合に細分化されるに違いありません。
ポイントはあなたが医療系従事者としてこの問題を解くという立場と、自分が実際、妊娠当事者であった時、という2つの場合に分かれることです。
その時に全く同じ結論を出せるのかどうか。
これも大きな問題です。
最初に出生前診断に賛成する立場から見ていきます。
つまり人工妊娠中絶をすることも止むをえないという論点です。
—————————–
私は賛成派である。
障害を持って生まれた子供を、正直育てる自信がないからだ。
胎児がダウン症だということが、出産前にわかったとしよう。
現代の医療では、ダウン症の人も寿命を伸ばせるようになった。
しかし私に子供を育てきるだけの精神的な力があるだろうか。
親が先に亡くなった場合、社会は子供を無事に受け入れてくれるのか。
同時に金銭的な裏付けも必要なことは言うまでもない。
それだけの準備が今の行政にきちんとできるのか。
あるいは自分自身で確実に責任を持って生きていけるのだろうか。
もちろん、子供を立派に育て上げている人もたくさんいることは、よく知っている。
そのための力を子供から逆にもらったという話も耳にする。
しかし率直にいえば、私にはそれだけの強い自信がない。
したがって、出生前診断を受け、その結果を医師と相談し、判断したい。
最悪の場合妊娠中絶も止むを得ないだろう。
反対の場合
—————————-
出生前診断には明らかに倫理的な問題がもある。
出産前とはいえ、胎児には既に生命体として貴重な命が宿っている。
それを自分たちの都合で、断ち切ってしまうということは、倫理的にするべきでない。
もちろん、中絶せずに生んだ時、その後の生活は一変するかもしれない。
しかしその中で親は子供に愛情を感じていくのだ。
それが人間の不思議な力である。
ダウン症の子供をもった親が、以前よりも心豊かに暮らしている様子を、見聞きすることが多い。
けっしてマイナスの面ばかりではない。
倫理だけを杓子定規に振りかざすつもりは毛頭ない。
しかそれも1つの生き方として、肯定的に捉えたいのである。
生産性重視の時代
やや図式的に賛否の意見を書きました。
現実は今も、この両者の間を行き来しています。
出生前診断に当たっている医師が、8割は妊娠人工中絶をしているという報告もあります。
近年、働く女性が増加することにより、出産年齢が高くなっています。
それだけに、染色体異常の胎児を身ごもるケースが多いのです。
さらに少子化の流れが止まりません。
今年はついに80万人を切ってしまいました。
この傾向は今後も続いていくのではないでしょうか。
結婚する人の数が少ないだけではありません。
1人の子供に対する養育費がとても高いのです。
かつてのように義務教育を終えて、そのまま実社会に出るなどという構図は考えられません。
高等教育を受けるとなると、1人あたり2000~3000万円程度かかります。
これが現実なのです。
そうなると、コスト意識がどうしても強く働きます。
出生前診断で胎児に異常が見つかったとしたら、どうしますか。
生まれても長くは生きられないなどと医師に告げられたら、異常が確定してからも迷うのは当然です。
しかし結局は生まれてくる子供が苦しむ社会の構図をみてとったとしたら、その後の手術をうけるというのを安易に否定することはできません。
この問題には社会の理解が圧倒的に必要だという認識を、必ず書き込んでください。
一方で知的障害の子供が授かったおかげで、人間として学びの機会を得たという発言も重いものです。
「産む」選択をした人を白眼視しないことが社会全体で必要になるでしょう。
生産性重視の時代です。
多大な公費の投入が多くの人に許容されない限り、彼らが生きていく方法はありません。
多様性といえば、言葉はきれいですが、その実態は医療技術のレベルをはるかに超えています。
そこまでの理解がきちんとできていることを示してください。
障害も1つの個性だと捉えきれるのかどうか。
そこに共生社会の明日がかかっています。
医療小論文の裾野の広さが、ここで証明されるのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。