【日本人の序列意識】目的を見失う子どもと学校との関係【登校拒否】

学び

日本人の序列意識

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は臨床心理学者、河合隼雄氏の評論を読みながら、日本人の精神構造を考えていきます。

課題文を読んでもらえばわかる通り、日本人は序列性の意識をもっている人が多いです。

マスコミもそれをうまく利用し、あらゆることをランキングで表示したがります。

料理、衣料、住まい、自動車、音楽。

それぞれの優劣をつけることで、より安心感が増すのでしょう。

当然のことながら、この流れは学校や社会でも同じようです。

難関大学に何人が入学したとか、どこの会社の給料がより多いとか。

あらゆる序列を気にしながら、私たちは日々を過ごしているのです。

一方で、この序列の枠外に放り出された人はどうなるのでしょう。

優越意識を持つ人がいる一方で、はじかれた人たちの生き方は複雑です。

家族や、親戚などがバイパスコースを用意してあげられれば、それも1つの切り抜け方になります。

しかし十分なセーフティネットが用意されていない場合、不登校や引きこもりの原因ともなってしまうのです。

さらに実社会においては、リストラの対象となり、正社員として生きる場が保証されないまま、低賃金に甘んじなくてはなりません。

当然、社会保障の恩恵を十分に受けることもかなわないのです。

序列から外れた人たちを、十分にフォローできる態勢があれば、問題の解決につなげることも可能でしょう。

しかしそれは容易ではありません。

彼らこそが、より強い序列意識の中に放り出されているからです。

劣等感や、コンプレックスを抱きながら、日々の暮らしを強いられる状況があります。

行政や社会保障のネットワークに辿り着くための方法論も持っていません。

ここでは日本の学校教育の現在を論じていますが、問題はこれだけにとどまらないのです。

なぜなら日本の社会の構造に原因があるからです。

課題文を読んでみてください。

課題文

日本の序列制が身分や年齢など運命的と思われるものによって基礎づけられているとき、その序列差によって不合理なことは多く生じるが、その個々人が自分の存在価値を疑うことがあるにしても、それは運命という不可解な、あるいは個人の責任を超えたものに向けられるものであった。

それが身分という不合理なものを破った後に、西洋の真似をして、我々も個人の能力や努力を認める方向に変化してきたが、問題はいまだ一様な序列性の意識を保存している点にある。

したがって学校における点数のわずかの差によって人間の存在価値が決まるように思い、(子供達よりも親の方が強くそう思っている)、少しの差をつけるための過当競争が生じる。

また教師の方も過当競争中で差を見出すためには、それを可能にする試験問題を作成しなければならない。

この点に関心のある方で小学生の子供を持っておられる方はその試験問題をこのような観点から見ていただきたい。(中略)

差がないはずなのにあるということは、本人の努力が足りないとか心がけが悪いとみなされる。

これでは下積みになったものはたまらない。

平等信仰と一様序列性が結びつくとき、実に多くの人に、みじめさや劣等感コンプレックスを持たせることになる。

生徒に劣等感を持たせないようにと教育者で注意する人は多い。

しかし、自分が劣等であることを認識することと、劣等感コンプレックスを持つことは同じではない。

人間であるかぎり、誰しも何らかの意味で劣等な点を持つ。(中略)

外国でも競争は激しいし、受験は大変である。

難しい大学もあれば、やさしい大学もある。

ただ日本と異なる点は、学力差がすぐに劣等感コンプレックスにつながることが非常に少ないことであろう。

劣等感コンプレックスが生じるもう一つの条件は、自分の能力の程度が明確に把握できないことである。

自分が何かに対して劣等であることを認識し、それが自分の存在を脅かさぬことが分かったとき、人はコンプレックスを持たない。

判断が不安定なときは、そのこと自身が不安の不安の源泉となり、コンプレックスを売り出す。(中略)

教師が表向きは、評価を下さないとか、皆平等であるといいつつ、背後では日本的序列性に拘束されいて、(この拘束力から解放されることは実にむずかしい)そのような見方で生徒をみている時、これは劣等感コンプレックスを培養するための、好条件なのである。

設問

この文章を読んで、あなたの考えを800字で書きなさい、というのが設問です。

日本人の序列意識というのは、ズバリ痛いところをついた表現ですね。

近年、大学全入時代にいよいよ到達したといわれています。

少し前には、まだ先の話だと思われていました。

しかし今や、現実そのものです。

westerper / Pixabay

団塊の世代と呼ばれる人々も後期高齢者と呼ばれるようになっています。

今年の新生児数は80万人を切りました。

かつては1年間にその4倍も生まれたのです。

浪人が当たり前だった時代から、今や、浪人してまで大学に入るということは珍しくなりました。

現役志向がますます強まっています。

大学名選ばなければ、どこかには入れる時代です。

私立大学においては、推薦入試合格者数が全体の5割に達しているのです。

かつては序列のトップにいれば、プライドを保ちえたかもしれません。

しかし今は過当競争が弱まりつつあります。

それだけに「目的意識」がきちんと育っていないと、「生きる価値」が揺らぐ怖れも強いのです。

それでも日本人は序列意識を捨てきれていません。

コンプレックスと戦っている人も多いのです。

課題文の読み取りが大切

この問題は、どちらの立場に立って文章を書くかによって、内容は全くちがうものになるでしょうね。

課題文の主張は日本人の序列意識を否定しています。

劣等感コンプレックスが生まれる元凶だとしているのです。

だから当然、この路線で進めば、現在の学校教育は望ましくないという結論になります。

さらにいえば、教師の意識改革を断じて進めなければならないということになるでしょう。

では逆の場合はどうか。

確かに序列意識が進みすぎるのはよくないけれど、なくなってしまったらある意味では「悪平等」の思想が生まれてしまう。

Wokandapix / Pixabay

全く順位をつけずに、学習への動機づけが可能になるはずがない。

その意味でもある程度の序列意識は大切だとする論点です。

ポイントはこの両者にどこで折り合いをつけるかです。

あなたの正直な気持ちと具体的な経験などを入れれば、説得力のある文章が生まれるのではないでしょうか。

いずれにせよ、生きる目的が容易に見いだせないということがあってはなりません。

劣等感ばかりが先に立って、何もできなくなってしまうというのでは、生きる意味がないのです。

自分で自分の価値を見出す教育のあり方を、どう展開していくのか。

その難しさは誰にも想像がつきます。

だからといって、無視していいということにはならないはずです。

このような問題では、課題文の読み取りが最も大切です。

自分がどちらの立場にたてば、より書きやすくなるのか。

それを正直にあなたの生きざまに重ねて考えていくことに意味があります。

解答を試みてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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