学ぶことの意味
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は最も根源的な問題を考えます。
人はなんのために学ぶのかというのがそれです。
そんなことはあたりまえだと言ってしまえば、それまでです。
しかしあえて、なぜと訊かれると、答えにつまってしまいます。
人間として生まれた時から、学びはごく近くにありました。
最初に言葉を学ばなければ、意志の疎通ができませんね。
ある意味、本能のようにして人間は学習を続けてきたのです。
知能の発達がそれを側面から応援してくれました。
道具を持ち、火を使い、文明を発達させてきたのです。
今や、人間はAIまで開発してしまいました。
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来たるべき年には、人類の頭脳を超えるとさえ言われています。
それでもいまだに、人々は学ぶことをやめません。
諦めてはいないのです。
地球を幾つも破壊するような爆弾をつくったにも関わらず、その先をさらに求めています。
それはなぜなのか。
その理由を考えなさいというのが、令和3年の入試問題でした。
貧困に関する資料読み取り問題とあわせて、2問で60分が制限時間です。
つまり30分で500字の小論文を書かなければなりません。
設問は次の通りです。
「発見」についてあなたの考えを500字以内で述べなさい。
ただし段落構成は3段落、または4段落とし、主張の説明として具体的な例を示すことというのがポイントです。
課題文
出典は池上彰『なんのために学ぶのか』と養老孟司『人間の知性を問いなおす』の部分です。
少し長いのですが、全文を載せます。
しっかりと内容を読み取ってください。
池上彰『なんのために学ぶのか』
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鈴木先生のお話の中でもう一つ面白いなと思ったのは、研究者にとってはチャンスも大事だということです。
一生懸命に研究していると突如として新たな発見につながるようなチャンスに巡り合うことがある。
そういうことがあると言います。
先生は「セレンディピティ」という言葉を使っていました。
セレンディピティとは科学者の間でよく使われている言葉です。
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日本語に訳すのは難しいのですが、たまたま出会ったことから研究が大きく進んでいくというイメージで捉えて下さい。
「思わぬ発展につながる偶然」とでも訳せましょうか。
その偶然が実は大事で、偶然に導かれて研究が発展するのです。
研究者が当初から問題意識を持っていて、「これはどうすればいいのかな」と考えていると、あるときたまたま見つけたものに閃きを感じ、「あっ、これが役に立つんだ」と気づいて、行き詰っていた研究に突破口が開かれる。
研究が大きく飛躍するきっかけは偶然の出会いによることが多く、その偶然の出会いのことをセレンディピティと呼んでいます。
ただし、偶然といっても、それは研究者が何もしないでたまたま思いつくというものではありません。
鈴木先生がおっしゃっていたように、一生懸命に研究していると、不思議とそういう出会いに恵まれるのです。
ニュートンがリンゴが落ちるのを見て、それを当たり前だと見過ごさず、「なぜ落ちるんだろう」と研究し、万有引力の法則の発見につながったという逸話があります。
本当にあったことなのか、実は曖昧なのですが、この場合、リンゴが落ちるところに出くわしたのがセレンディピティです。
養老孟司『人間の知性を問いなおす』
僕からすれば、新しい発見とは、多分「自分に関する発見」なんですよ。
世間の評価なんてどうでもいい。
自分が今まで知らなかったことがある。
そして自分の中でそれがわかった。
その瞬間にとんでもなく「あっ」と思うわけです。
アルキメデスが風呂の中で考えて、「浮力」について閃いた瞬間に裸でシラクサの町を走ったという話がありますね。
それはもう、大発見だったわけです。
それでノーベル賞をもらえるとか、そういう話じゃない。
自分が今まで風呂に入ったときに、身体が軽くなるのは分かっていたんだけど、どこまでどういう風に軽くなるのかさっぱりわかってなかったのが、あっ、これは「浮力」なんだとわかった瞬間に、もうきちんと定量的にわかるわけでしょ。
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そうすると、ちょうどひどい近眼の人がいいメガネをかけたような感じで、スキッと世界が見えた。
そしたら、ものすごく嬉しくて、飛び上がる。
それが発見ですよね。
発見にはそういう喜びがあって、それが本来の創造でしょ。
発見と同時に、自分が変わっていく喜びがあるのが人間なんです。
だから、別にアルキメデスの時代じゃなくても、伝記に残るような偉人じゃなくても、ごく普通の人がそういう発見をできるはずなんです。
「発見」というキーワード
設問をもう1度読みましょう。
「発見」についての考えを書けというものです。
どこにそのキーワードがでてきますか。
最初にマークしてください。
最後の部分にいくつか出てきますね。
それと似た表現が前半の文章にありますか。
そうです、「セレンディピティ」です。
この言葉と「発見」との関係は大変深いです。
なぜなら研究は「思わぬ発展につながる偶然」に支えられているからです。
それを別の言葉で表せば、発見になるのです。
1つのテーマをずっと追いかける。
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するとある瞬間に妙にくっきりとした輪郭があらわれるということがあります。
全体像が見えてくるのです。
それには長い時間の苦しみがあります。
しかし決してイヤではない。
なぜでしょうか。
好きだからです。
楽しいのです。
それは究極的にいえば「自分に関する発見」です。
自分がずっとみつけたいと願っていたもう1人の自分になれる瞬間でもあります。
その僥倖を「セレンディピティ」と呼ぶのです。
一生懸命やった人間にしか達成できない境地です。
なぜそこまで行くのか。
発見と同時に、自分が変わっていくからです。
喜びがあるとでも言ったらいいでしょう。
名誉やお金とは無縁の自己との対話です。
そのために人は学び続けるのでしょう。
自分の体験の中にそうしたものが少しでもあれば、それを引き寄せて短くまとめてください。
いい論文になると思います。
一般論の羅列はNGです。
少しでも自分の中から出た言葉や経験を大切にしましょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。