100均
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は最近の楽しみの1つをご紹介します。
それは100均めぐり。
といってもマニアのように全部の商品をチェックするなどということはありません。
元はといえば、つい先日高価なコップを割ってしまったのです。
奥様がハンドメイドのバザールへいって買い求めてきたものだそうです。
少し厚手のガラスです。
2つあります。
どちらも手で作ったものだとか。
その証拠に形が微妙に違います。
そんなに妙な恰好をしているワケではありません。
ただの台形です。
上にいくにしたがって、少し口が広くなっています。
ごくオーソドックスでシンプルなものです。
ついカウンターの上にのせようとした瞬間、テレビの天気予報をみてしまいました。
そのまま落下です。
こなごなに砕けてしまいました。
値段を訊いてあとからビックリ。
それくらいするものなんだというのです。
なるほど、そういうものかと思いました。
気に入ってずっと使っていたのです。
片づけも大変でした。
細かな破片が見事に飛び散りましたね。
啖呵売
奥様はいずれバザールがあったら、また買いにいくというのです。
しかしその前に、もう1つのコップは食器棚の奥にしまいました。
手触りもよく、持った時の安定感が抜群だったのです。
さてそれからぼくの100均行脚が始まりました。
最近はコップしか見ません。
最初にネットで買おうかなと思い調べました。
しかしいくつも必要ではないのです。
1つか2つでよろしい。
昔を思い出しました。
縁日の陶器売りです。
いわゆる啖呵売(たんかばい)と呼ばれるものです。
フーテンの寅さんでおなじみですね。
立て板に水とはあのこと。
ぼくはあの口上を聞くのがとても好きでした。
とにかく並べてあるお皿やどんぶりはとても安いのです。
あんまりガラスのものはありませんでした。
仕入れ先が違うのかもしれません。
新聞紙と藁の紐でくくり、次々とお客の手に渡っていきます。
商店には並べられないようなB級品ばかりでした。
しかし庶民の日常生活にはそれで十分だったのでしょう。
この売り方の特徴はとにかくオマケが多いことです。
バナナの叩き売りと同じです。
上野のアメ横でチョコを売ったりしているのをみかけたことはありませんか。
あれと同じです。
すぐ倍の量くらいになってしまう。
お客はその勢いに幻惑されてしまいます。
帯に短し襷に長し
そういえば不思議なことがあります。
縁日などで買ったお皿やお茶碗はなぜかあまり割れないのです。
もちろん、長い間には引っ越しなどで捨ててしまうものもたくさんあったに違いありません。
しかし随分と長い寿命を保ったものもありました。
最近はそういう場所へ行く機会もないし、必要もないので、買うこともありませんけどね。
さてそこで思いついたのが、100均へいって同じようなコップを1つ買ってくることでした。
当然、それほどいいものを売っているとは思えません。
しかしその中から自分だけのお宝をみつければいいのです。
これはちょっとした冒険になるような気がしました。
さっそく駅前の100均へ。
意外にコップがたくさん並んでいるのに驚きました。
しかしどれも似て非なるものばかりです。
ビールのジョッキなどは愛嬌ですかね。
さらにオンザロックを飲むようなコップ。
色の入ったもの。
形が丸かったり、先の方がつぼんでいたり。
残念ですが、眼鏡にかなうようなものはありません。
あんまりガラスが厚いのはやはり不細工な感じがします。
さりとて薄すぎると、すぐに割れてしまいそうなのです。
何件かまわっているうちに、これはなかなか難しい作業なのだということに気づきました。
円安
最近は円安の影響で、輸入するのも売るのも大変なようです。
以前ならアジア各国でつくったものを、展示すれば大量にさばけました。
しかしそのパターンはもう過去のものです。
今では日本国内で生産し運ぶ。
実にシンプルです。
以前のように賃金の差が非常にあった時代は夢のまた夢です。
日本はここ20年近く、ほとんど賃金があがっていません。
つまりアジアの国々との差がなくなってきたのです。
これもすごい話です。
だから店側も300均などという離れ技をつかって、なんとか収益を確保しようとやっきです。
偶然入ったお店で、まあまあこれならというレベルのものを見つけました。
しかしちょっとガラスが薄いのです。
すぐに割れてしまうかもしれません。
水を飲むより、ビールを飲む器という感じでしょうか。
1つだけ、試みに買ってみました。
家でよく洗ってみると、透明で案外きれいです。
製造会社は日本の企業でした。
なんとしてでもお金を回さなくはならないのでしょう。
少しぐらい安くしても、大きなロットで買い取ってくれるのなら、それはそれで1つの方法です。
全国にチェーン展開している100均ならば、その数は半端じゃないですからね。
仕事のやり方も随分と変わりました。
これからも100均を見つけたら、必ず寄ってみます。
たった1つの商品にしても、流通の形はどんどん変化しているのです。
もしかしたら、100均というのはテレビショッピングと並ぶ、現代の啖呵売の変形なのかもしれません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。