禁色(きんじき)
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
以前からどうしても読みたいと思っていた小説をやっと読了しました。
『禁色』です。
三島由紀夫の小説はどれも好きです。
亡くなる直前に脱稿した『豊饒の海』などは特に気にいっています。
ここのところ、彼の作品を集中的に読んできました。
有名な小説は別にして、今までなかなか手を出さなかった小説ばかりです。
『愛の渇き』『美徳のよろめき』『音楽』『真夏の死』『宴のあと』など。
かなり以前から代表的な作品には、ほぼ目を通しました。
『潮騒』『青の時代』『近代能楽集』『仮面の告白』『金閣寺』などです。
どの作品にも愛着があります。
彼の出自を色濃く書き上げた『仮面の告白』は衝撃的でしたね。
仮面をつけることで、告白録を完成させたということでしょうか。
最初にこの作品を読むと、すばやく彼の本質に近づけるかもしれません。
同性愛についての記述があるため、教科書などで扱われることはありません。
そういう意味でいえば、今回読了した『禁色』はまさにその中心にある長編だといえます。
人によっては難解で読めないかもしれません。
いつものことですが、装飾過多な言葉の絢爛が心地よい人と、そうでない人に完全に分かれます。
好き嫌いがはっきりするでしょうね。
まさに金屏風に描いた絵巻というにふさわしいのです。
現代では同性愛の小説など、ことさら珍しいものではありません。
しかしこの作品はそうしたレベルを遥かに超えています。
全く同列に扱うことはできません。
克明な心理小説の形をとっているので、読むのは大変です。
数日ではちょっと苦しい。
1週間くらいはみておいた方がいいでしょうね。
小説の周辺
この小説は2部に分かれています。
第1部は1951年、第2部は1952年に発表されました。
文学誌へ連載されたのです。
第2部を発表するまでの間にギリシャ旅行もしました。
その影響も後半には出ているといわれています。
1部で亡くなった女性が、2部でみごとに復活しているのです。
事実、この婦人の生きざまが、後のストーリーを膨らませています。
主要人物は数人です。
主人公は南悠一。
同性愛者で美青年です。
その形容を読んでいるだけで、アポロンを想わせます。
俊敏で細い眉、深く憂わしい目、やや厚みを帯びた唇。
まだ20歳をわずかにすぎたばかりの私大生です。
彼は女性を愛することができません。
そこに登場するのが檜俊輔です。
もう1人の主人公といっていいでしょう。
全集を3度も出している著名な作家です。
離婚を繰り返しています。
どの女性とも結婚生活が破綻したのです。
彼は悠一に出会ったことで、過去の女性への復讐を企てるのです。
南康子は美しい女性です。
女性を愛することができない悠一の結婚相手になります。
百貨店専務の父親と悠一の亡くなった父親が古い親友同士でした。
後に女の子をもうけます。
出産後の康子の変貌ぶりが見事です。
夫に何も期待せず、しかも粛々と生き続けるのです。
女性の持つしたたかな一面を強く描くために、配置した人間像でしょうね。
伯爵夫人
もう1人が鏑木信孝元伯爵です。
元華族です。
実は同性愛者というところがミソです。
しかしポイントは彼ではなく、その夫人なのです。
昔、夫の元伯爵と組み、色仕掛けで俊輔を騙したのです。
俊輔はその時の悔しさから復讐をしたい相手の1人として、この女性を選びます。
老醜の作家、檜俊輔は還暦を5つも越えています。
結婚生活は全て破綻していますが、美しい康子を追いかけ伊豆半島の南端の海岸へ来ていたのです。
そこで彼は、ギリシア彫刻のような美青年、南悠一に出会いました。
悠一は康子の許婚だったのです。
親にしきりと勧められるものの、どうしても結婚に踏み切れません。
同性愛者だったからです。
その話を偶然、俊輔にします。
ここから復習劇が始まるのです。
俊輔は、悠一が同性愛者であることを利用し、女たちに対しての復讐を思いつきます。
悠一の母親の療養費を全て彼が支払う約束をします。
そのかわりに、かつて自分を騙した鏑木元伯爵夫人や、別の女たちを引き合わせ、その魅力で彼女たちを翻弄させようと悪知恵を働かせることになりました。
推理劇に似たストーリー展開
クリスマスのゲイパーティの様子や、その後の同性愛者の暮らしぶりなどが、この後これでもかというくらいに出てきます。
彼らのたまり場になっている喫茶店の様子や、そこでの会話。
さらには妻、康子の出産シーンにまでストーリーは展開します。
ここから微妙に悠一の心にも揺れがみえてきます。
同性愛の世界が日常化することで、新鮮味が減っていったのかもしれません。
しかしそうはいっても新しい相手を求める気持ちにかわりはありませんでした。
動物園で偶然知り合った少年と親しくなるものの、その養父の嫉妬から、悠一が同性愛者であることを母や妻に密告されてしまうのです。
長文の手紙が届きました。
動きのとれない悠一は、京都にいる鏑木夫人に助けを求めます。
本来は亡くなってしまっていた設定をここで三島は書き換えています。
悠一に母性愛を感じるようなっていた鏑木夫人は、とんでもない芝居をうちます。
2人は以前から愛人関係であったと嘘をつくのです。
最後のシーンは次の通りです。
まとまったお金を以前から交際していた大手の会社の社長から手切れ金としてもらうことができた悠一は、それを俊輔に返しにいきます。
その頃、俊輔は悠一を愛していることをはっきりと自覚していました。
彼は全財産を彼に譲ると言い遺し、眠るように自殺してしまうのです。
この小説を読んでいると、トーマス・マンの『ベニスに死す』をどうしても思い出してしまいますね。
興味のある人はそちらも読んでみてください。
ルキノ・ビスコンティ監督による映画もあります。
『禁色』は耽美的な執念の小説です。
美のためには現実などどうなろうとも構わないといったアナーキズムを感じます。
もちろん、内容が内容なので、学校では絶対に扱いません。
しかし読後感は爽やかです。
むしろ全く別の世界を逍遥してきたようなすがすがしさを感じます。
作品の最後のところに、三島の小説感が色濃く漂う章があります。
そこだけ取り出して論じても、面白い文が書けるのではないでしょうか。
この作品がどれくらいの読者を獲得したのかはわかりません。
しかし文学というものは、いつも背徳的なものです。
それだけは確かです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。