自由であることの苦しみ
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はつい数日前に行われたばかりの推薦入試の問題を取り上げます。
合格発表もまだ行われていません。
立川高校は毎年、哲学的な問題を問1に設定することが多いです。
問2には科学のテーマが割り振られています。
どちらにも均等に目配りをしなければならないので、広い学力を要求されていることは間違いありません。
今回は問1に着目して内容を考えてみましょう。
出題は哲学者、苫野一徳「自由な社会」を先に進める(『「自由」の危機』)からによるものです。
それほどに長くはないので、全文をここに載せます。
その前に問いをまとめておきましょう。
内容は次の通りです。
今あなたが経験しうる「自由であることの苦しみ」として、どのようなことが考えられるか。
課題文の内容を踏まえて具体的に述べ、その上で筆者のいう「自由は人間における最上の価値である」についてあなたの考えを書きなさいというものです。
制限字数は420字です。
最初に課題文をじっくりと読んでみてください。
課題文
わたしたちは、いつしか「自由」の価値をさほど自覚的には感じなくなってしまった。
むしろわたしたちは、現代社会において「自由であることの苦しみ」にさえ苛さいなまれていると言っていい。
「どのように生きてもあなたの自由だ」と言われる。
しかしだからこそ、わたしたちは、ではどう生きればよいのか悩み迷うことになる。
そればかりではない。
苛烈な自由競争社会の中で、わたしたちの多くは、むしろ「自由」の中に投げ入れられることの苦しみを味わっている。
成功も失敗も、あなたの「自由」な生き方の結果である。
多くの人が、そんな自己責任を突きつけてくる社会の中で生きることを余儀なくされている。
「自由」への道は、長いトンネルのようだ。
トンネルの先と手前とでは、見える景色が全く違う。
いまだ政治的「自由」さえ手にしていない社会においては、人びとは生き方の「自由」を希求している。
他方、すでに「自由」を手に入れた多くの先進国の人びとが抱えているのは、むしろ「自由であることの苦しみ」だ。
「自由」であるからこそ感じる不自由、これが、現代のわたしたちに「自由」の価値を見失わせる最大の理由になっているのだ。
しかしいまこそ、わたしは改めて言いたいと思う。
「自由」は人間における最上の価値である。
どこから考えるか
課題文を熟読するのはもちろんのことです。
ポイントは設問の方向です。
何が求められているのか。
そこを最初にじっくりと問うてみてください。
「自由であることの苦しみ」としてどんなことが考えられるか。
この内容を最初に具体的に述べなくてはなりません。
それを踏まえて「自由が人間における最上の価値」であることについての自分の考えを述べるのです。
具体的な内容に言及していなければ相当な減点をされます。
必須です。
あなたなら何から書きますか。
この文章は日本学術会議の新会員6名の任命拒否問題について想起されて書かれたもののようです。
「学問の自由」や「自由」そのものを軽視する空気が世間にあったのかどうか。
そこに具体的な論点を集中できた人はそれでいいと思います。
現政権においても任命拒否の事実は引き続き問題になっています。
新聞を丹念に読んでいるに人は承知の事実です。
しかし多くの受験生はそこに踏み込むことはなかったのではないでしょうか。
もっと身の周りにあるテーマを選んだに違いありません。
あなたが自由であることの苦しみを感じていることとはなんでしょうか。
それを素直に書けばいいのです。
たとえば、将来の自分の姿を描き切れないということがあるかもしれません。
職業だけではありません。
自分が何をしてこの人生を意味のあるものとして過ごせばいいのか。
あなたは何をしても自由なのだといわれた時の不安が目の前に浮かんだのではありませんか。
別の言葉でいえば実存の意味です。
そこにはもちろん、経済的な要素もあります。
愛されたい、裕福になりたい、名声を得たい、認められたい、幸せになりたいと考えるのは人間ならば当たり前のことです。
しかしそれがかなわない時のつらさは、欲望が大きければおおきいほど、自由の対極にあるものです。
親ガチャなどという言葉は、格差社会の今日、最初のところでつまづく契機にもなり得ます。
情報化社会の今日、他者との差を知ることも容易になりました。
それだけに自分の内側に、不合理なものへの憤りがマグマのようにたまるということもあります。
電車内での暴力や放火などといった暴力の形をみていると、自由であることの苦しみが今ほど大きい時代はないのではないでしょうか。
SNSなどを通じての犯罪もよく見かけます。
誰でもよかったという表現にはさまざまな思いがつまっているに違いないのです。
この部分はあなたの周囲に取材することも可能です。
あるいは最近の事件から取り上げることもできます。
何をしてもいいという自由さを得たとはいえ、実際に何かをやろうとすると、ガラスの天井がそこにあることに気づくという構図がみてとれます。
自由の価値
しかしだからといって現在の自由は失いたくありません。
人間的欲望の本質は「自由」にあるのです。
人類の戦いの歴史は、つまるところ「自由」をいかにして手にいれるかということだったからです。
人間はさまざまな欲望を持ち、それを自覚している存在です。
それだけに苦しみには果てがありません。
人に好かれたいけれど、自分を曲げたくはないのです。
裕福になりたいけれど、能力を専一に磨くほど努力はしたくもありません。
人間はわがままな生き物です。
それでも自由でありたいのです。
そのレベルを少しでも落としたくはないでしょう。
それならばどうしたらいいのか。
相互承認の原則
ここまでくると大前提がいくつか見えてきます。
まず平和でなければなりません。
そして互いが互いに対等で「自由」な存在であることを認め合うことです。
それ以外に特別なことは必要がありません。
そこに論点を集中した方がいいと考えられます。
400字足らずでこの内容をすべてまとめ上げるのは容易ではありません。
しかし軸足をそこにおいて書き始める以外に方法はないように思います。
その究極が学問の自由であり、職業選択の自由でしょう。
苦しいけれど、選んだら進まなければなりません。
その覚悟を記すことも大切です。
難しい課題ではあります。
しかし自分にきちんと正対すれば書けない内容ではなかったはずです。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。