アルジャーノンに花束を
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はアメリカの作家ダニエル・キイスの書いた作品を紹介します。
タイトルは『アルジャーノンに花束を』です。
この題名に出てくるアルジャーノンとは人の名前ではありません。
ハツカネズミなのです。
主人公のチャーリイ・ゴードンと一緒に脳の手術を受けます。
彼は32歳になっても6歳児並みの知的障害者でした。
どこへいってもバカにされるだけの自分をなんとかしたいと手術をしてもらいます。
その結果、知能指数がIQ68から上昇し、数か月でIQ185にまで達します。
ここから次々と悲劇が起こるのです。
1959年に発表され、その後1966年に長編小説になりました。
この作品は原作で読むと、その味わいがいっそう深まります。
というのも最初のうちは主人公が満足に単語を書けないのです。
その様子がスペルの間違いで表現されます。
日記の記述がそれです。
作者はわざと文字の配列を間違え、彼の知能指数が低いことを表現しました。
それが手術を受けた後は、見る見る間に変化し、使う単語の内容もかわっていきます。
このあたりは訳者もかなり苦労したのではないでしょうか。
主人公はこの両者のほかにもう1人、キニアン先生です。
チャーリイが通っている精神障害児施設の女性教師です。
彼の学習意欲を見込んで、脳の手術を勧めます。
この先生がいることで、チャーリィの人間性がはっきりと浮き上がってみえます。
チャーリイは彼女が好きでした。
やがてそのことを告白する日がやってきます。
しかしあまりに知能が発達しすぎた彼にふさわしい人間ではないと、キニアン先生はそれを拒みます。
ここからチャーリーの孤独が増していくのです。
以前なら楽しく話をきいてくれた大好きな先生が、だんだん遠くへ去っていきます。
悲しいシーンの1つです。
読書会の課題
この作品はよく読書会の課題図書になります。
人間にとっての幸福とは何かといったテーマで語り合う時に都合がいいからです。
学校の授業でとりあげたことはありません。
教材には入っていないのです。
あまりにもSF的なので、教科書にはなじまないのでしょう。
しかし授業以外で生徒に話したことは何度かありました。
非常に興味を持ってきいてくれましたね。
というのもそれまでの知能指数が飛躍的に伸びた結果があまりにも劇的だからです。
あなたはこの話の結末がどのようなものになると思いますか。
このまま彼は幸せになれるのでしょうか。
作者もかなり悩んだようです。
最初の原稿を出版社に持ち込んだ時、あまりに結論が暗いので書き直しを要求されたそうです。
そこでキイスは考えました。
知能は日々向上していくものの、幸せにはなれないチャーリーの横顔をじっくり描いた後にどうすればいいのか。
以前は仲良くしてくれた人々との関係も悪化していきます。
パン屋さんで働いていたチャーリーの仲間たちは、もう遊んでもくれません。
もちろん最初はからかいの気分もあったのでしょう。
しかし今となってはそれを告げ口されるのも怖ろしいのです。
思考能力
やがて脳機能の崩壊が始まります。
このシーンが読んでいて1番つらいですね。
チャーリーはだんだんと思考能力を失っていきます。
最高度に達した時にみたものはなにか。
それは彼と同時に脳の手術を受けたアルジャーノンの様子でした。
最初はのろのろと、やがて素早く迷路を駆け抜けることができるようになったのです。
しかししばらくすると、再び迷路が苦痛の種になります。
以前と同じようにスピードがどんどん遅くなっていくのです。
それを目の前でみたチャーリーの驚きはつらいものでした。
自分もアルジャーノンと同じ運命をたどる。
その予感が全身を襲います。
やがて自分は元にもどっていくのだということを知るのです。
諦めといってもいいかもしれません。
憧れていたキニアン先生も遠ざかり、誰とも会話が成立しません。
あまりに高度な数式を操りながら言葉を発するので、だれも話をしようとはしてくれません。
よく心が揺れた1冊の本などというアンケートがあります。
この本が『赤毛のアン』や『星の王子さま』などと一緒に並んでいるのをみると、なるほどなと感心することがありました。
頂点をきわめたところから次第に知能が下降線をたどっていく時、彼がみた風景こそがこの世の実態なのかもしれません。
周囲の誰にも理解できない中枢神経に関する理論までを理路整然と述べ、幾つもの言葉を操るまでになってしまったのです。
彼に手術を施した医師のレベルを遙かに超えてしまいました。
チャーリーの孤独
かつて彼を馬鹿にしていじめていたパン屋の仲間達は去り、知的障害センターのキニアン先生も愛の告白を受けつけてはくれないのです。
人はあまりに学びすぎると時に友や親を失うのかもしれません。
この作品には戯曲版もあります。
かつて劇団「昴」と、桐朋短大演劇科の卒業公演をそれぞれ観たことがあります。
特に主役のチャーリーはよほどの演技力がないと演じ分けられません。
桐朋短大の小さな舞台で見た主人公は出色でしたね。
今でも目の前にその時の様子が浮かびます。
著者には他に『24人のビリーミリガン』という多重人格者を扱った小説があります。
こちらは実話だという話です。
キイスは、社会問題となっている「いじめ」「虐待行為」などにも関心が深かったようです。
この話の救いは元の知能に戻ったチャーリーが仲間たちのいるパン屋さんで再び働きはじめたことです。
みんなにばかにされ、からかわれながら、それでも嬉しそうに一緒にいるシーンが胸に沁みます。
知識を求める心が、愛情を求める心を排除してはなんにもなりません。
キイスは愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらすと言っています。
知的障害のある主人公、チャーリイの書いた記録という設定のために作者は、実際に主人公と同じ特性を持つ少年の文章を参考にしたそうです。
ハツカネズミのアルジャーノンとチャーリーの物語は、それぞれの運命をみせながら展開していきます。
ぜひ、手にとってみてください。
その世界に浸りながら、人間の幸福とは何かを必ず考えさせられる本です。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。