人は忘れる
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今日は忘れる話を書きます。
なんだそれ、などと言わないでください。
人はどんどん忘れてしまう生き物なのです。
それを悲しいとみるか、潔いとみるのか。
結論が隋分と違うものになるでしょうね。
昔、受験参考書で有名な旺文社が出していた単語帳に赤尾の豆タンというのがありました。
今はもう姿をみかけません。
これを頭から覚えれば大学合格が果たせるというバイブルみたいな本でした。
赤尾というのは旺文社の社長の名前です。
その最初のページに「人は忘れる動物である。忘れる以上に覚えることである」と格言が載っていました。
なるほどそんなこともあるのかなと思ったものです。
しかし覚えるより忘れる方がはるかに早く、その後の人生はまあ、こんなものかというレベルのままでした。
なにしろ、情報社会ですからね。
毎日スマホのニュースなど見ていても、ほとんど右から左へと抜けていきます。
年相応ということもあるでしょう。
ふと立ち止まって、何をしにこの場所へ来たのかと考えることも増えました。
情けない話ですが、これが今の現実です。
あなたにも似たようなことがありますか。
今のところ、他人にそれほどの迷惑をかけてはいないので、周囲も我慢してくれています。
加藤登紀子
数年前、加藤登紀子のコンサートへ行き、いろいろと考えるところがありました。
なんとなく決めた日程にあわせて出かけただけです。
人によっては毎年ここで会おうと約束していると聞きます。
元気をもらうのだとか。
熱狂的なファンに支えられていることも知りました。
1月に20回近くもステージをこなすのは並々のことではありません。
途中ギター1本だけで好きな歌を勝手に口ずさむシーンもありました。
シャンソンや、もっと激しい革命の歌なども彼女のレパートリーの1部です。
しかしぼくにはこの歌がとても懐かしかったのです。
かつてよく歌いました。
今までに結構、彼女の歌をうたっていた記憶があります。
ご存知ですか。
「あなたの行く朝」というタイトルの歌です。
この曲には学生紛争の余韻が残っていますね。
とにかくここでないどこかへ去っていこうとする歌です。
最後の覚悟を呟いたシーンなのでしょう。
この後、どうなるのかは全くわかりません。
それだけに胸にささるものがあります。
1つの時代が終わったことを象徴した歌なのです。
もう1つの解釈
「あなたのいく朝」という歌は夫であった藤本敏夫が収監された日の様子を歌ったものだという話もきいたことがあります。
2002年に58歳で亡くなりました。
学生運動指導者でした。
加藤登紀子と獄中結婚をしたのです。
3年8ヶ月という刑期が、28歳だった彼女にとって重い意味を持つことは誰にでも想像がつきます。
まだ結婚の話も親にはしていなかったそうです。
あれから歳月がたちました。
時代はどんどん変化し、人だけが置いてきぼりにされてしまっています。
こんな風に時がうつるということを、若い時は夢にも思いませんでした。
悲しく厳しい現実です。
彼女の夫はやがて刑期を終え、その後自然と共生するための農業をめざしました。
「大地を守る会」の初代会長として活躍したのです。
現在もこの会は活動をしています。
歌い終えた加藤登紀子は少し涙をためていました。
いろいろなことを思い出したのでしょう。
人にできることは、忘れないことだけなのかもしれません。
やがてその人間がこの地球上から消え果てていったとき、全てはなくなってしまうのかもしれません。
しかしそれを誰かが忘れないで伝えるということでしか、人が生きてきた証しを次に届けることはできないのです。
風の匂いも別れのあたたかさも、けっして忘れてはいけないものなのです。
それが生きるということなのでしょう。
人生は重い
加藤登紀子には「生きてりゃいいさ」という歌もあります。
河島英五が作詞作曲したものです。
日々の暮らしをしていると、ただ「生きてりゃいい」ということを実践することの難しさを実感します。
生きていることすら大変なのです。
だからこその言葉なのでしょう。
人は亡くなればあっという間に記憶の隅に追いやられていきます。
かつて兼好法師が「人の亡きあとあとばかり悲しきはなし」と書いた通りです。
嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、古き墳はすかれて田となりぬ。
その形だになくなりぬるぞ、悲しき。
ここに全ての真実があります。
だからこそ、忘れてはいけないのかもしれません。
必死に思い出さなくてはいけないことだけは、やはり覚えておきたいものです。
それが生きていくものの役割かもしれません。
最近なんとなくそんな気がしてならないのです。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。