【路上観察】知らない風景の中を歩いて道に迷うことは最高の楽しみ

暮らし

知らない風景

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回は迷う話です。

知らない道を歩くのは楽しいですね。

どこに何があるのかさっぱりわからない。

だから楽しいのです。

子供が迷路遊びをするのと同じです。

大きなひまわり畑の中を彷徨いながら、自分がどこにいるのかわからない酩酊感を味わう。

どこを歩いているのか全くわからない。

ただ黄色いひまわりの花と緑の葉の壁があるだけです。

いつになったら出口まで辿りつくのか。

それも全く予想がつきません。

迷うとは何なんでしょうか。

初めての街を歩いてみるとしましょう。

できたら言葉もわからない方がいいですね。

全く見たこともない外国語だったら最高です。

何が書いてあるのか意味不明です。

誰に何を訊けばいいのかもわからない。

こっちかなと思って歩いていると、突然不思議な風景にでっくわす。

知らない場所には非日常があります。

だからメチャクチャに不安です。

だけどなんとなく楽しい。

むしろ迷うことを求めて歩いている自分を感じるのです。

迷宮からの出口はどこなのか早く探せと自分を叱咤激励します。

もう一人の自分がそこにはいるのです。

第六感がたより

外国へ旅するというのは、まさに迷いたい感覚の集大成ですね。

なんの予備知識もなく、頼りになるのは第六感だけです。

旅行ガイドに載っていない町なんかに突然降り立った時のあの気分はなんともいえません。

ものすごく不安です。

誰も自分のことを知らない。

路上に取り残されたたった1人の人間でしかありません。

とにかく皮膚感覚だけで歩きます。

バスに乗っても汽車に乗っても、見たことのある風景なんてありません。

だからますます面白い。

しかし最近はどこへいっても誰かが知っている言葉を話してくれます。

geralt / Pixabay

やはり英語はすごい。

世界の共通語だと思います。

しかし、本当に迷い込んでしまったらどうしようとものすごく不安になることもあります。

ぼくも隋分あちこちを旅しました。

いわゆるバックパックというスタイルの放浪です。

行きと帰りの飛行機の予約。

電車の周遊券。

トラベラーズチェックとリュックサック。

安い宿屋を探すところから1日の旅が始まります。

夏は大学の学生寮などにも泊まりました。

旅の目的は最終的に迷うことにあるのではないでしょうか。

それを象徴しているのが旅本の代名詞、沢木耕太郎著『深夜特急』でしょう。

このブログにも関連の記事があります。

最後にリンクを貼っておきましょう。

沢木耕太郎のアジア体験は手に汗を握ります。

残念ながら今はコロナでどこにも行けません。

しかしいつかウィルスが収束に向かえば、再び人々は移動を開始するに違いありません。

その時まで、今はひたすら忍従の時だと思います。

迷う楽しみ

外国でなくても迷うことはいくらでもできます。

1番いいのがぶらぶら歩きです。

土地勘のない町を歩くというのが最高の方法ですね。

途中下車の旅という番組をテレビでやっています。

あれを自分の流儀でやってみればいいのではないでしょうか。

どの町へいっても日本語の表記なので、完全に迷い込んでしまうということはないでしょう。

しかし眩暈に似た気分を味わうことができます。

同じ場所を再び歩いているなどということもよくあります。

疲れたらカフェに寄ってお茶を飲めばいいのです。

できれば1人がいいです。

本当に歩きたいだけ歩くのです。

dougandpetegardening / Pixabay

疲れたらいくらでも別の交通手段はあります。

神社や寺、川などの位置は以前とほとんど変わりません。

昔の地図に重ねてみるのも楽しいですね。

自分が生まれた土地の周辺にも結構新しい発見があります。

ぼくの知りあいに車で同じ方向にひたすら走るという人がいます。

出かけるときめたら、その日の朝、進む方向を磁石で決めるのだそうです。

あとはひたすら地図だけをたよりにまっすぐ走るのだとか。

名所や旧跡がある旅などとは無縁です。

子供が幼い頃から毎年1度はずっと続けていたというのです。

これもある意味、迷う旅かもしれません。

ものすごくいい思い出になるでしょうね。

どんなに由緒ある場所よりも、記憶に強烈に残るものと思われます。

フランクフルトの遊園地

これはぼくの体験です。

ロマンチック街道を走ろうと思って起点の都市、フランクフルトを訪ねたことがあります。

その時こんなことがありました。

小さなベッドルームがいくつかあるだけのホテルに入り、荷物を全部置きました。

ドイツの人は几帳面で清潔好きですね。

ゲルマン民族の特徴なのでしょうか。

家々には花がたくさん咲いています。

それは美しい町でした。

心地よい羽毛布団にくるまれてしばらく眠ってしまったようです。

疲れも隋分とれました。

目が覚めた時はもう暗くなっていたのです。

食事をしなくてはなりません。

夕闇が濃くなると、町の様子は一変します。

先刻歩いた道がどこだったのか、もうわからなくなってしまいます。

初めての町ですからね。

ぼくはむやみに歩きました。

LMoonlight / Pixabay

こういう時はまずなんとなく歩き、町の骨格を頭の中にたたきこむしかありません。

経験と勘がすべてなのです。

随分歩きました。

突然川岸に出たのです。

人がたくさんいます。

どんどん歩きました。

すると突然小さな遊園地のようなものに突き当たったのです。

移動遊園地とでも呼ぶのでしょうか。

映画で見たことがあります。

光がきれいでした。

そこだけがまぶしくて、この世のものではなかったです。

フェスティバルの間だけ、出現する子供のための遊び場でした。

射的や回転木馬のようなものもあります。

自動演奏楽器もあります。

なんともいえない不思議な光景でした。

今でもあの時の興奮が蘇ってきます。

こういうふうに人間はどこでも生きていくのだなと思いました。

今でも迷うのが好きです。

なるべく知らないところへ行きたい。

そしてできるだけ迷い続けたい。

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そうすることが、つまり生きるということではないかと信じ続けています。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

【沢木耕太郎・深夜特急】身体の中が熱くなるホンモノの旅本はこれ
沢木耕太郎は人気のある作家です。その彼が若い時に旅をした記録が『深夜特急』です。バスで香港から旅を続けます。最も安い宿に泊まり、彼らと同じものを食べ、同じものを着て、生活を体感します。そこから見えてきたものとは何か。

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