初の経済小説
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は井原西鶴の小説、『日本永代蔵』を取り上げます。
ご存知ですか。
お金の話を書いた日本で最初の経済小説です。
古典というと男女の愛情が中心の物語をまず思い浮かべますね。
『源氏物語』がその代表でしょうか。
その次は『平家物語』かな。
こちらは滅亡していく武士の話です。
その次は随筆でしょう。
三大随筆として知られる『徒然草』『枕草子』『方丈記』などは特に有名です。
あとは日記でしょうかね。
しかしお金の話は全く出てきません。
貨幣経済が盛んになったのは江戸時代に入ってからなのです。
そこへ登場したのが井原西鶴です。
寛永19年(1642年)和歌山に生まれ、15歳頃から俳諧師を志しました。
やがて談林派を代表する俳諧師になったのです。
その後『好色一代男』を出版し好評を得ました。
木版刷りの出版物が書店に並ぶ時代になったのです。
元禄6年(1693年)に亡くなるまで『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』などを次々と発表しました。
高校では『日本永代蔵』を学習することが多いですね。
江戸時代の作品といえば、芭蕉の『奥の細道』が代表です。
ここで終わる場合もあれば、西鶴までやるケースもあります。
たいてい時間切れになってしまいますけどね。
すごく残念です。
しかし1度西鶴を読むと、その生き生きとした人間の描写は、江戸時代の活気を伝えてくれます。
少しだけ、「借家請状のこと」という段を読みましょう。
藤市という主人公のケチケチぶりが実に見事に描かれています。
どうやってお金持ちになったのか、その秘訣が次々と明らかにされるのです。
原文
この男、家業の他に、反古の帳をくくりおきて、店を離れず、一日筆を握り、両替の手代
通れば、銭・小判の相場をつけおき、米問屋の売り買ひを聞きあわせ、生薬屋・呉服屋の
若い者に長崎の様子を尋ね、繰り綿・塩・酒は江戸の状日を見合わせ、毎日万事を記しお
けば、まぎれし事はここに尋ね、洛中の重宝になりける。
普段の身持ち、肌に単襦袢、大布子、綿三百目入れて、一つよりほかに着ることなし。
袖覆輪といふこと、この人取りはじめて、当世の風俗、見よ気に、始末になりぬ。
皮足袋に雪駄を履きて、つひに大道を走り歩きしことなし。
一生のうちに絹物とては、つむぎの花色、一つは海松茶染めにせしこと、若い時の無分別と、二十年もこれを悔しく思ひぬ。
紋所を定めず、丸の内に三つ引き、または一寸八分の巴をつけて、土用干しにも畳の上にじかには置かず、麻ばかまに鬼もぢの肩衣、幾年か折り目正しく取り置かれける。
町並みに出る葬礼には、是非なく鳥部山に送りて、人より後に帰りさまに、六波羅の野道
にて、丁稚もろとも当薬を引いて、「これを陰干しにして、腹薬なるぞ。」と、ただは通
らず、けつまづく所で火打石を拾いて、たもとに入れける。
朝夕の煙を立つる世帯持ちは、よろづかやうに気をつけずしてはあるべからず。
この男、生まれつきてしわきにあらず。
万事の取り回し、人の鑑にもなりぬべき願ひ、かほどの身代まで年取る宿に餅つかず、い
そがはしき時の人使ひ、諸道具の取り置きもやかましきとて、これも利勘にて、大仏の前
へあつらへ、一貫目につき何ほどときはめける。
十二月二十八日のあけぼの、急ぎて担ひ連れ、藤屋店に並べ、「受け取り給へ。」と言ふ。
餅はつきたての好もしく、春めきて見えける。
旦那は聞かぬ顔して、そろばん置きしに、餅屋は時分ながらに暇を惜しみ、いくたびか断りて、才覚らしき若い者、杜斤の目りんと受け取って帰しぬ。
一時ばかり過ぎて、「今の餅、受け取ったか。」と言へば、「はや渡して帰りぬ。」「こ
の家に奉公するほどにもなき者ぞ、ぬくもりのさめぬを受け取りしことよ。」と、また目
をかけしに、思ひのほかに減のたつこと、手代我を折って、食ひもせぬ餅に口をあきける。
その年明けて夏になり、東寺あたりの里人、なすびの初売りを目籠に入れて売り来たるを
、七十五日の齢、これ楽しみの一つは二文二つは三文に値段を定め、いづれか、二つ取ら
ぬ人はなし。
藤市は、一つを二文に買ひて言へるは、「いま一文で、盛りなる時は、大きなるがあり。」と、心をつくるほどのこと、あしからず。
現代語訳
この男は家業の他にノートを常に持って店にいて、一日中筆を握って、両替屋の営業が通
ると銭や小判の相場を聞いて書き留め、米問屋の営業には米の取引相場の値段を聞き、生
薬屋や呉服屋の営業には長崎の情報を聞き出し、繰り綿や塩、酒の相場は江戸支店から書
状が届いたのを記録するという具合に、毎日万事の相場を書き留めておくので、分からな
いことはこの店に尋ねれば分かるという事で、情報屋として京都中から重宝がられました。
藤市の普段の身なりは質素で、いつもたいした服を着ていません。
袖口が擦り切れないよう袖覆輪をしていたが、この人がやり始めて広まったのです。
これで町人風俗の見た目が良くなり、経済的にもなったと思います。
また、大通りを歩かず、一生のうちに絹の着物を着たのは紬だけでしたが、それすらも若気の至りと20年もの間悔んでいたそうです。
紋所も定めないで、丸の内に三つ引きか一寸八分の巴をつけ、既成の安物ですませてしまいました。
土用干しにも畳の上にじかには置かないで、礼服も汚れぬよう折り目正しくきれいに畳んでしまっておいたのです。
町内付き合いで葬礼には仕方なくお墓に野辺送りしましたが、行列は一番最後に歩き、せんぶりなどの生薬の花を見つけると「これを陰干しにしておくと腹薬になるぞ」とただ歩くことはなく、けつまずくようなところでも火打石を見つけて懐にしまうのでした。
朝夕毎日ごはんをつくらなければならない所帯持ちは、万事このように気を付けるべきでしょう。
この男は生まれつきケチなのではなく、万事このようなやり方を人の模範となってやっていました。
これほどの金持ちになっても、年の暮れになっても家で餅をついたことはなかったのです。
忙しい時に人手を使うことになることになるし、餅つきの道具を買いそろえる費用を考え
ると、大仏前の餅屋に注文して、1貫目につきいくらと値段を決めて注文し、すべて計算
づくでやっていました。
ある年の12月28日の早朝に餅屋が忙しそうに餅をかつぎ込み、藤屋の店に並べて「受け取りお願いします」と言ってきました。
餅はつきたてで正月気分にもなりうまそうに見えましたが、藤市はソロバンをはじいて忙しそうにしながらそれを無視したのです。
餅屋も季節がら忙しかったので何度も催促しました。
気の利いた店の者が秤できっちり量り、餅を受け取って帰しました。
2時間ほどたって藤市が「今の餅は受け取ったか?」と聞いたので、「さっき餅を受け取
って帰しました」と答えると、「この店で働く価値のない奴だ。ぬくもりの冷めない
餅をよく受け取ったものだ。重さを量ってみろ」というので、量ってみると水蒸気が抜け
て目方が減っており、店の者は呆れてまだ食いもしない餅に口を開けてしてしまったとい
います。
その年も明けて夏になり、東寺の付近の村人がなすびの初物を籠に入れて売りに来ました。
初物を食べると75日命が伸びるという事から、これも楽しみの一つだと1つ2文、2つで3文と値段を決めるとみんな2つ買いました。
ところが藤市は1つを2文で買って言うには「あとの1文で、出盛りの時には大きいのが買える」と、気を付けるべき点にぬかりはなかったのです。
倹約のススメ
この小説は多くの人に受け入れられました。
とにかく斬新だったのです。
それまでお金のことをこれだけダイレクトに書いた小説はありませんでした。
ケチもここまでいくと、もう美学そのものですね。
蓄財のためには無駄をしないということを徹底的に教訓としたのです。
娘のしつけの段では節句の雛遊びをやめ、お盆にも踊らず髪などの手入れも全て自分でやるように躾けたとあります。
女の子に遊びを教えるとお金がかかるというワケです。
昔のことですから着物に紋所を付けました。
ところが藤市は家紋を決めず既成の紋付で済ませてしまったというのです。
お金持ちになるポイントの第1は情報量でしょうね。
他の人よりどれだけ正確な情報を短時間で取得することができるか。
これが大きな秘訣だと思います。
この点は現代と何もかわりません。
とにかくこの浮世草子は今読んでも大変楽しいです。
そこまで書くのかという気もしますが、本音でトークをしている爽やかさを感じます。
時間があったら是非、チャレンジしてみてください。
平安時代の古典に比べたらずっと今の言葉に近く、読みやすいです。
西鶴の『好色一代男』なども是非お勧めします。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。