特異な生育環境
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
作家三島由紀夫の作品については、このブログでもいくつか取り上げました。
特に最後の小説となった4部作『豊饒の海』についてはかなり詳しく書いたつもりです。
「輪廻転生」という思想とともに、能のワキに似た役割を果たす主人公の友人・本多繁邦にもスポットライトをあてました。
この作品は彼が自決する直前に完成したものです。
それに比べると今回のトピックスである『潮騒』はあまりにも健康的です。
同じ作家が書いたのかと思わせるくらい彼の明るい側面が出ています。
しかしこれを単純に信じていいものかどうか。
その前に発表された『仮面の告白』と比べると、その差がより明らかになるからです。
こうした二面性を三島はつねに使い分けました。
というより自然に身につけていたものと思われます。
三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ)です。
彼にもっとも影響を与えたのは祖母の夏子でしょう。
学習院中等科に入学するまでともに暮らし、とくに幼い頃は彼女の絶対的な影響下に置かれました。
彼が生まれて49日目に、2階で育てるのは危険だという口実のもと、祖母は自室に引き取ります。
ここから後年の作家三島が育てられていったのです。
夏子は母親の愛情も管理し、毎日の授乳時間まで決めました。
男の遊びは危険だからという理由で全て禁止。
孫の遊び相手にはおとなしい年上の女の子だけを選びます。
さらに女言葉を使わせたのです。
病弱な公威少年のため、食事やおやつを厳しく制限し、貴族趣味を含む過保護な教育をしました。
谷崎潤一郎や泉鏡花などが好きだった彼女は公威少年に古典の素養をたたきこみます。
『源氏物語』を身体の中に沁み込ませるように読んで聞かせました。
作家三島由紀夫が祖母夏子の影響をどれほど受けたのかは、これだけで十分にわかります。
潮騒の世界
1952年、三島はギリシャから帰国すると、その昂奮の余勢を駆って一気にこの作品を書き上げたといいます。
『ダフニスとクロエー』をモデルとし、伊勢湾口に存在する歌島を架空の美の島としました。
発表したのは1954年。
歌島は人口1400人、周囲一里に充たない小島です。
松のみどりは浅く、岸にちかい海面は春の海藻の丹の色に染っています。
西北の季節風が、津の口からたえず吹きつけているような静かな島でした。
古典的な文体の中に初江と新治が登場します。
彼らは少しも孤独ではありません。
父親を戦争で亡くした18歳の青年、新治は漁師です。
貧しい家で母と弟と暮らしています。
ある日彼は、砂浜で見慣れない少女初江に出会います。
初江は村の有力者の娘でした。
養女に出された後、島に戻ってきたばかりなのです。
新治は初江の名前を聞くだけで鼓動が激しくなるのを感じます。
典型的なボーイミーツガールの小説だということがわかりますね。
『潮騒』はあまりにも健康的な肉体の主人公たちが繰り広げる恋愛ドラマなのです。
嵐の日に廃屋の中で抱き合うシーンが山場です。
あまりにも幼くて若く、そして美しい。
ここには『仮面の告白』に出てくるような死の匂いなどは見えません。
三島由紀夫はギリシャ熱が醒めるにしたがって、後年この作品を評価しなくなったといいます。
しかし、それに反して社会的には大いに受け入れられました。
何度も映画化され、健康的な愛情の表現が好感をもって受け入れられたのです。
人々は太陽の光と風と潮の音に心をうばわれたからです。
どの文章もギリシャ的です。
その日の漁の果てるころ、水平線上の夕雲の前を走る一艇の白い貨物船の影を、若者はふしぎな感動をもって見た。
世界が今まで考へもしなかった大きな広がりを以てそのかなたから迫ってくる。
この未知の世界の印象は遠雷のやうに、遠く轟いて来てまた消え去った。
表現がみごとですね。
仮面の告白との落差
三島は1949年、『仮面の告白』を上梓します。
彼の2作目の長編小説にあたります。
『潮騒』の方が後に書かれた作品なのです。
『仮面の告白』は三島にとって初の書き下ろし小説です。
ほぼ自伝に近いと言われています。
『潮騒』との違いに着目して下さい。
2作を続けて読むと、これが同じ作家の作品かと思うに違いありません。
他人と違う性的傾向に悩んだ青年の横顔が描かれています。
生い立ちからの自分を客観的に解剖しているのです。
あくまでも自分という人間を第3者の冷徹な目で切り刻んだという表現がピッタリきます。
主題には愛情への試みもあります。
しかしそれは挫折に終わってしまうのです。
残されたのは苦痛と悲哀ばかりでした。
『潮騒』の世界とは全く違います。
肌の白い病弱な私が祖母に溺愛されるという主人公の設定は、まさに彼の現実そのものでもあります。
13歳になった私は、裸の青年が痛々しく縛られた殉教図にエロスを覚えました。
同性愛的な傾向を強く持つ主人公は同級生の青年に恋心を抱くのです。
友人の妹に対してもプラトニックな愛情を抱くようになるものの、それ以上の嗜好は芽生えません。
戦争後、彼女結局は別の男と結婚していきます。
しかし以前のように感情が高ぶることはありませんでした。
孤独な魂
この2作品を読み比べてみた時、どちらに三島がより傾斜していたのかということは明らかです。
しかしだからといって彼にギリシャ的な光への憧れがなかったというワケではありません。
それは非常に強く魂に刺激を与えました。
しかし素直になりきれない孤独感が存在していたことは間違いありません。
川端康成に師事し、教えを得ようとしたこともありました。
自衛隊へ体験入隊をし、個人で私兵を雇うという突飛な行動にも出ています。
最後はもちろん、自衛隊本部への突入と自害です。
わずか45年の生涯だったときくと、あまりにも濃密すぎる生きざまに驚かされます。
三島は『潮騒』の後、『金閣寺』『真夏の死』と続けて作品を発表しました。
『私の遍歴時代』の中で、「自分の仕事の一時期が完全に終わって、次の時期がはじまるのを私は感じてゐた」とも語っています。
三島の死にあたって母の倭文重はこう語りました。
息子がしたかったことをしたのはこれが初めてです、と。
なんと形容したらいいのでしょう。
ずっとしたいことをできずにいた息子を見続けた母親の言葉は重いと感じます。
大蔵省時代も毎日帰ってから深夜まで原稿用紙に向かう姿を母親は見つめ続けました。
父親にいくら破られても、翌日には同じ場所に原稿用紙を置いたのも母なのです。
それだけに「したかったこと」という母倭文重の言葉が胸にささります。
是非、時間がありましたら、2作を読んでみてください。
この作家の複雑すぎる内面がみてとれると思います。
今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。