コロナ後の世界
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
学校はもう始まりましたか。
まだのところもあるでしょうね。
いずれにしても変則的な勉強を強いられているに違いありません。
心を強くして、この難局に向かっていきましょう。
新型コロナウィルスの蔓延とともに、今までの日常がガラリとかわってしまいました。
当たり前の生活が送れなくなってしまったのです。
不要不急の外出を控えてくださいと言われてしまうと、それだけで外に出られなくなります。
ちょっと食事でもして、友達とおしゃべりをしたいと思っても、ままならないのが昨今です。
新入社員や新入生は4月に行われる歓迎行事やオリエンテーションもすっかり消え、どのように日々を過ごしたらいいのかわかりません。
在宅勤務と言われても途方にくれているのではないでしょうか。
テレワークだ遠隔授業だと世間ではあれこれと騒がれていますが、やはり同じ場所で互いの顔を見ながらコミュニケーションをとることの大切さを知る日々です。
今までの当たり前が、本当は少しもあたりまえではなかったのだということを知りました。
どれほど恵まれた日常を過ごしていたのかということをあらためて知る日々だったともいえます。
そこで2021年度の小論文テーマ予想です。
なんといってもこの緊急事態宣言の間に考えた内容が、断然トップに躍り出てくることは間違いありません。
それは何か。
一言でいえば、「生きることの意味」です。
コロナの蔓延で生と死がまさに紙一重で隣り合っていることを人々は知りました。
昨日までそこにいた人が、翌日にはもう消えていなくなってしまうのです。
この当たり前のことを強く意識するきっかけになりました。
真の豊かさとは
このテーマはずっと入試に出第され続けています。
しかし今年くらい「豊か」であるということはどういう意味をもっているのかについて考えさせられた年はないのではないでしょうか。
経済中心で生きてきたこの国は、突然全ての活動をストップせざるを得なくなりました。
人が集まって活動することを禁じられたのです。
生産活動の中止です。
それはすなわち、経済的な成長の速度を限りなく緩めるということでした。
欧米流の物質文明を一挙に止めてしまうという行為に出たのです。
特に一極集中の都市部ではコロナによる入院患者、死者がうなぎのぼりになりました。
それまでの医療体制が瞬く間に壊れてしまったのです。
熱が出て具合が悪くなっても、病院に入れない、検査さえ満足にしてもらえないという信じられない現象があちこちでみられました。
それまで信じていた医療体制への信頼は、あっという間に崩れてしまったのです。
これが豊かだと信じていた日本の風景です。
それと同時に店頭からマスク、消毒用のアルコールが一斉に消えました。
かつてのオイルショックを経験した人々は、同じことが再び繰り返されたことに衝撃を受けました。
自粛警察などと呼ばれる組織が、まるで戦中の隣組のような活動もしています。
これが豊かになったという日本の今の姿なのです。
私たちはもしかしたら、高度に成長したと安心しきっていた社会の中に、たくさんの病巣を抱え込んでいるのかもしれません。
それを見て見ないフリをして全部脇に置いてきたのです。
それが今いっぺんに顔を出したとはいえないでしょうか。
SNSの時代になり、隣人の顔がますます見えなくなっています。
さらにいえば、文化振興に対する貧弱な側面も見えてきました。
芸術や文化はなんのためにあるのか
大きな問題として浮上したことの1つに芸術の意味があります。
フリーランスの人に対する休業補償をしていく中で、その額が一般の会社員の半分だということも話題になりました。
しかしそれ以上に消費財を持ち、人の持っていないものを手にすることで豊かさを感じてきた日本人が文化芸術に必要な資金を流さないということもわかってきました。
特に国家が精神的なゆとりをもつことに対する理解を示さなかったことの意味が大きいです。
ほとんどの芸術、エンタメ業界は壊滅的な影響を受けました。
音楽、演劇、絵画、舞台芸術、スポーツなどに対して、対応はあまりに遅く不十分だったのです。
休業補償も満足に行われていません。
国民全体の文化的なレベルという意味でいえば、理解の程度が遅れていることは否めません。
今回のコロナ禍で、芸術に対して実に脆弱な基盤しか持たないことが露呈されました。
生活のために金銭を稼ぐということも確かに大切です。
しかしそれ以上に心の平安をもたらす芸術を厚く保護するという態度がどうしても必要でしょう。
確かに日本には西洋にみられるような階級意識があまりありません。
元々、文化や芸術を支えてきた貴族階級がないということもその大きな要因です。
貧富の差も今まではあまりありませんでした。
しかし戦後から時がたち、高度経済成長が終わりを告げた今、格差は歴然としつつあります。
親の学歴が子供にそのまま反映するという図式も、ごく普通のものになっています。
そうした日常の中で、豊かさの指標をどこにおけばいいのか。
当然、このテーマに関する問題が出ても不思議ではありません。
もう1度、根本から考えてみようという姿勢の出題が目立つと思います。
生きることの意味
最も大きなテーマとして、考えられるのが冒頭にも書きました「生きることの意味」です。
これくらい大きな問題はありません。
従来もかなり哲学的なテーマとして出題されてきました。
しかし2021年度はそれがもっと身近なものになりそうです。
コロナの蔓延により、世界中で多くの人が亡くなりました。
いまだに特効薬がない状態です。
重篤な肺炎を併発し、亡くなる人もかなりいます。
また貧民街に住む人や、人種による差別が続く国では、死者の偏りも見られます。
昨日まで元気だった人が突然病に倒れ、そのまま消えてしまう。
そういうケースを今年は随分報道などでも見ました。
まさにはかない人間の生が目の前で再現されたのです。
私たちは、他者の生を含めて、あたらめて生きるとは何であるのかという当たり前のことを考えないワケにはいかなくなりました。
おそらく哲学的な文章などを読ませ、その後にコロナとの関連を考えながら思ったことを書きなさいといったような問題が出るでしょう。
1度、自分の中でこの問題に対する解答を考えておいた方がいいです。
もちろん「豊かさ」との関係の中から文をまとめていくことも可能です。
生があれば死があるというごく普通のこととして、その間に挟まるあらゆる災難を見通した果てに、自分の「かけがえのない生」があるといったような視点は高く評価されるだろうと思います。
日常というものの重みを今まで以上に強く感じたということを書きながら、これからの人生をより内容のある豊かなものにしていく決意を述べるのもいいでしょう。
さまざまな書き方が可能です。
自分の知っている具体的な事実を加えながら、内容を豊かにすることも考えてみてください。
その方が広がりを持ちます。
経済生活が出来なければ、話にはなりません。
しかしそれだけで人は豊かになれるワケではないということを大いに強調すること。
このことを忘れないでください。
2021年度の試験は大きな節目になるかもしれません。
生きる意味、真の豊かさについて、もう1度考え直してみることが必要です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。