反対意見を書く
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
文章が以前よりもスムーズに書けるようになりましたか。
日々練習を積んできた人は、かなり進歩をしたことでしょうね。
論理の整合性をきちんと守っていれば、必ずいい文章になるはずです。
習うより慣れろの精神で進んでください。
今回は反対意見について考えてみます。
課題文があたえられた時、反対意見を脳裏に浮かべるという方法は、大変に貴重です。
自分の中に対立軸を組み立てられるということは、課題文のポイントがみえているということにもなるからです。
反対意見には強さがあります。
課題文には内容の豊かな正論が多く出題されます。
表立って反対するということだけでもかなり苦しいのです。
黙っていればその通りだと納得させられることばかりです。
この論点にどうやって反論すればいいのか。
なかなかイメージが浮かびません。
だからこそストレートに反対意見を書き込んだ答案があると、大変目立ちます。
なかなかこの受験生は考えているなということになるのです。
それが論理的な整合性を持っていれば、十分価値のあるものとして認められます。
ただしそこまでいくのは大変なことです。
つねに課題文の論理を正確に読み取り、正面から切り込んでいかなくてはなりません。
よほど実力がないと、できない技です。
どうしても反論できない時ははどうしたらいいのか。
予想される反対意見があまりにも平凡なものであったら、むしろ逆効果になることさえあります。
その時の方法も考えておかなければなりません。
さらに反論する
何も思い浮かばない時はどうするのか。
どんなありきたりの反対意見でもいいです。
考えられる限りの論点を頭の中に浮かべてください。
これは無茶だと思っても仕方がありません。
とにかく考えるのです。
そうしたら、それに対してもう1度反論してみてみください。
それでは課題文の意見に迎合したものになりはしないか。
そういう心配も出てきますね。
違います。
最初にあった課題文に対して、とにかく反論をする中で、必ずいくつかの要因を考えます。
これは無理だという論点でも、頭に浮かべます。
それに対して反論を企てると、元には戻らず、少し脇へずれるのです。
これはやってみればわかります。
数直線上をプラスとマイナスへ行ったり来たりしているだけなら確かにその通りです。
しかしベクトルを考えてください。
ほんの僅かでもそこに角度が生じます。
するとも元にもどる時には、全く違う地点へ到達するのです。
この方法は一見ばかげたことのように見えるかもしれません。
しかし効果があります。
自分の主張を再確認するための方法としても有効なのです。
対立させる時には、必ずいくつもの要因を探ります。
それがたとえ空振りであっても、ただ戻ってくるワケではないのです。
人間はたえずあらゆる角度から1つの事象を見つめています。
無理にでも反対意見の反論を作り出す時に、新しい視点がみえるはずです。
その可能性を信じてください。
教育の問題
具体的に少し考えてみましょう。
今の学校教育にはさまざまなひずみがあります。
不登校の生徒、いじめ、学力格差、個性、集団主義。
そのどれもがテーマになりうるのです。
課題文をみてみます。
インターネット全盛の時代に、学校の役割は以前と大きく変化している。
このことに疑いを抱く人はいないだろう。
しかし学校は相変わらず、同じような授業を続けている。
近年、時代遅れの道徳の授業に評価までつけることになった。
パソコンの使い方、英会話、株取引の知識、ネット社会のノウハウ。
実践的なことを学校は教えようとしない。
常に理論が優先しているのだ。
教員はクラブ活動と生徒指導に忙殺されがちである。
あらゆる意味で時代が必要としているプラグマティズムからは遠い。
以前のように学校に通わなくても自分でテレビやインターネットを使えば学べる時代になった。
今日、若者たちは学校へ通う意味を見出せなくなりつつある。
理不尽な校則が横行し、不登校になるのもある意味当然である。
教師にも学校にも敬意を抱けなくなっているのが現状なのだ。
学力低下、学級崩壊、いじめの原因になっている集団指導教育はもう過去のものである。
いじめの温床は社会そのものに背景がある。
個人主義的な家庭環境の中で育ってきた子供たちにとって、学校は息苦しい場所でしかない。
集団からはみ出す生徒を排斥する現在の教育システムには個性を伸ばす意志がないとしかいえないのが現代なのである。
構造を読み取る
実際に中学高校の教育を受けてきた人にとって、ここで述べられていることはかなり事実に近いのではないでしょうか。
多くの不満があったとしても不思議ではありません。
だからそうだ、その通りであるという論点で文章を書いてしまったのでは、小論文になりません。
英会話やパソコン、プログラミング授業の導入など、文部科学省も急いで設備や予算の確保に走っています。
全く何もしていないということではないのです。
また働き方改革の中で教員の労働時間を短縮する努力もしています。
ただ傍観しているわけでもありません。
プラグマティズムにのっとったカリキュラムだけが学校の使命ではありません。
基礎基本が大切なのです。
個性尊重といいながら、それが十分に遂行されていない面は確かにあります。
近年は学校カウンセラーなどの派遣を通じて、不登校やいじめなどの問題と正面から向き合おうともしています。
それらを全て否定してしまうのはどうでしょうか。
自分の目に触れたものを次々とあげて、そのマイナス面を糾弾するだけでは、いい論文になりません。
反対意見をただここに書くだけでは、揚げ足取りになってしまう怖れがあります。
こうした時に役にたつのが、原因と背景を探るという態度です。
表面的な対立から一歩退いて、内実を探るという方法が必要なのです。
この文章でいえば、それは違う、それはその通りだという文のレベルから抜け出しましょう。
キーワードは何かということです。
対立する考え方の背後にある構造はなんでしょうか。
それは課題文にも登場した日本の教育の集団性ということです。
なぜ日本人はここまで集団的で画一的な教育をするのか。
ここが最大のポイントです。
その背景をえぐってください。
個人の自由を許さず、個性を尊重するシステムから離れていった理由があるはずです。
個性を尊重するという掛け声の元、突出した生徒を否定するという方法をとらざるを得なかった社会の仕組みを深堀りするのです。
そこから本当の新しい小論文が生まれる可能性があります。
明らかに賛否のレベルを抜け出て、新しい地平にたどり着けます。
日本の子供の学力が年々落ちているという図式などとあわせて、この問題を論じていくと、さらに興味あるいいものになるのではないでしょうか。
試みてください。
日本の将来像と重ねあわせることも可能です。
最後までお読みいただきありがとうございました。