【夏目漱石】名作・こころは高校で必ず習う国民的ネタバレ小説

国民的小説

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、40年の経験を持つブロガーのすい喬です。

今まで延べ1万人の生徒を相手に授業をしてきました。

昔のアルバムを見ていると懐かしいですね。

時間の流れが止まってしまいます。

現代文、古典、漢文、国語表現となんでもやってきました。

その中で一番時間を長く費やした教材は何か。

つまり担当した1年間のうちで、必ず教えた小説、評論あるいは古典はなんでしょうかということです。

これはなかなか難しいです。

随分といろいろやりましたからね。

現代文でいえば、1年なら『羅生門』、2年なら『山月記』と『こころ』、3年なら『舞姫』でしょうか。

この教材にかぎっていえば、教科書がなくてもなんとかなります。

ほとんど頭に入っています。

ほんとに怖ろしい話です。

でも本当です。

すぐにやれます。

試験を何度作ったことか。

どのあたりを出題すればいいのか。

頭に入っています。

40年という歳月はダテじゃありません。

一番の長編はなんといっても『こころ』です。

新潮文庫の夏の100冊の中でも今までに一番売れた本です。

国民的小説と呼んでも差し支えないでしょうね。

必ず高校時代に習っているはずです。

これをやらないで卒業するということはないでしょう。

ストーリーもだいたい知っていると思います。

つまりネタバレです。

全部読む

学校によっては夏休みの宿題にするところもあります。

休みのうちに全編を読ませ、感想文を書かせるのです。

終業式の日にあらかじめ購入した本を全員に配るところもあるという話を聞いたこともあります。

それくらい漱石のこの小説はみんなが手にしているのです。

しかし全部読んだ人はそれほど多くはないのではないでしょうか。

構成は3部からできています。

最初は完全にミステリータッチです。

教科書には最後の章「先生と遺書」の一部が載っています。

最初の2つの章「先生と私」「両親と私」の部分はあまり読まれません。

もっぱら友人Kと先生とお嬢さんの三角関係が強調されます。

後に先生と呼ばれるのが若い頃の帝大の学生です。

「わたし」と小説の中では書かれています。

わたしは友人のKを自分の下宿に呼ぶのです。

Kは道のためなら全てを犠牲にするといった刻苦勉励型の真面目な男でした。

Kは養父母を欺いて仕送りを受けていました。

彼を医者にするのが養父母の希望だったのです。

しかし文学や哲学の道に進もうとしたことが発覚し、まもなく仕送りを止められてしまいます。

Kが困っているのを知ったわたしは自分の下宿に呼び、生活全般の面倒をみます。

戦争未亡人の下宿には家主の奥さんとお嬢さんがいました。

それまで平穏な暮らしをしていた3人の中に突然Kが飛び込んできたのです。

彼は奇妙な緊張状態を生み出しました。

お嬢さんとKが仲良く話しているのを見るたびに、わたしの心は穏やかではいられなくなっていきます。

いわゆる三角関係ができあがっていったのです。

Kの口ぐせ

真宗の寺の息子に生まれたKは「向上心のないやつは馬鹿だ」といつも言っていました。

それには恋愛も含まれていたのです。

恋愛などは愚かな人間のすることだと言い放っていました。

やがてお嬢さんへの恋が募る中、Kは苦しくていたたまれません。

ついにわたしに告白をします。

ここから小説は一気に人間のエゴイズムを前面に出して進みます。

realworkhard / Pixabay

なんとかKを潰さなければ、好きなお嬢さんをとられてしまう。

そのためにはどんな卑怯な手段でもとる気になりました。

まさに不意打ちをねらったのです。

2人で散歩をしている時にKのよくいう台詞を呟きます。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」

つまり恋愛などしている者は愚かだとKに向かって囁いたのです。

これがどれほど痛烈な言葉だったか。

Kのよく使う表現でしたからね。

「ばかだ、ぼくはばかだ」

Kは覚悟があるとさえ言います。

最初はお嬢さんのことを諦めると思い喜んだわたしですが、不安も増していきます。

どういう覚悟だったのか。

実は生きる価値を失った人間として、自殺せざるを得ないというところまで、Kは追い詰められていたのです。

しかしそんなところまで想像することはできませんでした。

ここはよく試験に出ます。

覚悟という言葉をどのようにわたしは考えたのかという問いです。

次第に複雑な意味を考えさせる構造になっています。

三角関係と同性愛

わたしはその後、わざと病気だといって学校を休み、その間に家主の奥さん(お嬢さんの母親)に向かって娘を妻にくれと直談判します。

あっさりと了承され、親子の間では話が進んでいたことがわかるのです。

しかしそれをKには黙っていました。

数日後、奥さんは何も知らずにKにそのことを報告します。

その時のKの気持ちを考えると、気の毒で仕方がありません。

Kは「そうですか」と言います。

「なにかお祝いをあげたいが、私は金がないからあげることができません」と呟きます。

この時のKの心の中はどうだったのでしょうか。

これも大きな問いになります。

わたしへの恨みなのか、人間というものへの寂しさまで感じたのか。

それまでKに報告しなかったわたしは、その話を奥さんから聞いた途端、完全に打ちのめされます。

なぜ言わなかったのかと言われ、胸がふさがる苦しみを覚えるのです。

その後Kは自殺し、遺書を残します。

それを丹念に読み、自分への恨みなどが何も書いてないことを確認してから、家人を呼ぶのでした。

その瞬間、わたしは襖にほとばしっている血をはじめて見るのです。

逆にいえば、自分の自尊心を傷つけたくなかったわたしは、どこまでいってもKへの裏切りを隠しておきたかったのです。

Kは何一つ恨み言も書かず、自分が弱い人間だから生きる価値はないとしたためていました。

この後、わたしはお嬢さんと結婚したものの、夫婦関係はどこかぎくしゃくとしていきます。

そんな時に出会ったのが一人の学生でした。

ここから最初の章に話がもどっていくというワケです。

学生と出会ったことで、過去の全てを告白し、自らも死を選ぶのです。

漱石という人は同性愛ということにもかなり深い思いを持っています。

鎌倉の海岸で若い学生と出会うシーンは、どうしてもトーマス・マンの『ベニスに死す』を連想させます。

『こころ』の学生は『ベニスに死す』の少年よりもかなり年齢は上ですが、その登場の仕方は似ています。

またわたしとKとの関係も不思議な同性愛的感情に満ちています。

自分の下宿に住まわせ、襖一枚隔てただけの隣の部屋で衣食の面倒までみるのです。

そこへお嬢さんがからむことで、三角関係が生まれます。

漱石の作品には必ずこの三角関係と同性愛の問題が出てきます。

これ以降の小説を続けて読んでいくと、もっと内容が深まっていることもわかります。

『それから』などはまさに三角関係そのものですし、『行人』『明暗』には同性に対する複雑な愛情と不安が描かれています。

もしチャンスがあったら是非手にとってみてください。

漱石の苦悩というのは底知れないところがあります。

かつて何度か漱石展に行くチャンスがありました。

彼の持ってきた本の膨大な量にも驚かされます。

しかし、そのページの随所に実に細かな英文で注釈が入っているのです。

これにはさすがに声が出ませんでした。

「夏目狂セリ」という電報が日本に届かなければ、彼はロンドンの自室で本当に死んでいたかもしれません。

それくらい猛勉強した人間がいたという事実は重いです。

『こころ』は誰もが知っている小説です。

ネタはほぼ知られています。

しかしそれでも汲みつくせない深さを持っている小説だといえるのではないでしょうか。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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