瀬戸際へ
みなさん、こんちには。
元都立高校国語科教師、40年の経験を持つすい喬です。
現在はブロガーになるべく、日々精進しています。
毎日更新していると、とんでもないニュースが飛びこんできますね。
9月初旬に書いた記事がこれです。
簡単に要約すると、来年度から始めるという英語の外部試験はあんまりひどすぎるというものでした。
さらに国語と数学の記述式問題はなんにも考えてないじゃないかという内容です。
結局、英語の外部試験はさんざん揉めたあげく、機会の均等が図られないということで中止。
文部科学大臣の「身の丈」発言もあり、随分とマスコミに叩かれて、最初から取りざたされていた不安が全て露呈したのです。
なんといっても3万円を超えるような試験を、それも都市部だけで実施するなどというのは、あまりにふざけています。
なかにはTOEICのように早々と白旗をあげて降参した業者も出てきました。
一番やる気だったのは英検とGTECです。
GTECはベネッセの系列ですから、さらに会社としてのステータスをあげられるチャンスとみたのでしょう。
しかしいろいろ紛糾した後、結局中止となりました。
1番の被害者は受験生です。
現在の高校2年生が該当するため、高校などでもスピーキングに特化した授業などを取り入れるところが増えました。
話す能力を身につけるということには何の問題もありません。
しかしそれをどうやって採点するのか。
あるいはライティングの試験もどのように評価するのかなど、大いに話題になりました。
それ以上に問題だったのが、格差を助長するという可能性についてです。
「身の丈」という表現にこの問題の本質が全て出ていたのではないでしょうか。
国語と数学
この2つの試験についても英語の中止の後、すぐに話題になりました。
そもそもどうやって数10万人単位の試験を短期間で採点するのか。
そのために採点基準を誰が検討するのか。
採点者の確保はどうするのか。
その質の保証は誰がするのか。
同時に自己採点の難しさもあります。
段階が1ポイント違うだけで、受験できる大学がかわります。
つまり自分で採点することで、事前の予想と実際の入試結果との間に誤差が生じるのです。
難問ばかりが次々と降ってわくようにおこりました。
というか、最初から十分に予想のつくことだったのです。
ぼく自身もそのことを記事に書きました。
結局強引に採点はベネッセの子会社がほぼ60数億円で落札しました。
その後、ベネッセは自社の広告に、採点業務を全て自社で行うということをかかげ、それだけ信頼に足るのだと歌い上げました。
これにはさっそくクレームがつき、私企業に全ての採点を委ねるということの不安が一気に広がったのです。
安心して業務を任せることができるのか。
当然、入試以前に問題を全てベネッセ側に渡し、採点の基準づくりをしなければなりません。
それまでに漏洩する心配はないのか。
採点者の確保は可能なのか。
一時は大学生のアルバイトに頼らなければ採点不能という予測も出ました。
そんな議論の中、国語と数学の論述試験もついに中止かというニュースが飛び出したのです。
来年度から始まる大学入学共通テストで導入予定の国語と数学の記述式問題について、政府・与党が実施を延期する方向で検討しているというのです。
実施には受験生や関係者の理解が得られないと判断した模様です。
5日午後にも萩生田文部科学相に延期を提言するとあります。
政府は11月1日、英語民間試験の実施見送りを発表したばかりです。
さらに記述式問題も導入が延期されれば、来年度からの大学入試改革は2本の柱を失うことになります。
つまり全ての入試改革の旗を降ろすということになるのです。
どうしてここまで必死になって改革をしようとしたのか。
PISAの持つ意味
その一番の理由はこれです。
国際学習到達度調査(PISA)です。
経済協力開発機構(OECD)が行っている国際的な学力テストのことです。
義務教育修了段階の15歳を対象に「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」の3分野で2000年以降3年ごとに実施してきました。
知識や技能を実生活で直面する課題にどの程度活用できるかを評価します。
問題は一部を除き非公開です。
前回から全てコンピューターで解答する形式となり、今回は読解力を中心分野として重点的に調べました。
日本からは無作為に抽出された高校など183校の1年生約6100人が参加したのです。
結果はどうだったのでしょうか。
経済協力開発機構(OECD)は12月3日、79カ国・地域の15歳約60万人を対象として2018年に実施したPISAの結果を公表しました。
それによれば結果は惨憺たるものです。
日本は「読解力」が前回15年調査の8位から過去最低の15位に後退しました。
「科学的応用力」は5位(前回2位)。
「数学的応用力」も6位(同5位)にそれぞれ順位を下げました。
日本の読解力は、平均得点が504点でOECDの平均(487点)よりほんのわずか高いものの、前回より12点下がりました
長文がもう読めなくなっているのです。
ネットやスマホの影響などもあるのでしょう。
教科書の文章を読むことが苦痛になりつつあります。
読書量が激減していることと並んで書く力も、間違いなく落ちています。
文部科学省はある意味、焦っているのです。
読解力をなんとかしなくてはならないということが、喫緊のテーマになりつつあります。
テキストから情報を探し出すことや、内容の信憑性を評価する力。
自分の考えを他者に伝わるよう根拠を示して説明したりする力が特に足りません。
とにかく力をつけさせなければならないというのが大きな課題なのです。
そこで考えた方法が入試での新しい学力観でした。
決して無意味に先走っていたワケではないのです。
焦りというのが一番近い感覚ではないでしょうか。
このままでは世界に遅れるということなのです。
論理性を重点に
特に最近のIT関連の発達は目を見張るものがあります。
さらにいえばグローバル化の波です。
日本人も世界に出て自分の考えを述べなくてはならないシーンにたくさん出会うようになりました。
しかし元々島国ですから、どこかで甘えや以心伝心に頼るというコミュニケーションの手法を取りたがります。
世界では全く通用しない伝達の方法です。
英語を中心とした世界共通言語は全てイエスかノーを最初に述べ、その後から論理を付け足すという構造です。
それに馴れないとグローバル化の波に遅れてしまうのです。
その焦りが今回の入試改革の根底にあります。
しかしその方法論はあまりに稚拙でした。
官僚が構想だけで可能とした1つ1つの作業は、実際にやってみると膨大なものだったのです。
今までも数回にわたって模擬テストを行い、論理性を確認するための検証をしました。
その結果、どうしても論述式になると、国語、数学ともにそこだけ非常に得点率が下がるという現象がおきています。
どのようにして、現実の入試の中に取り入れたらいいのか。
かなり悩んだはずです。
問題の採点のみならず、管理、運営にいたるまでこまかい詰めが必要でした。
それを私企業に全て丸投げしてすませようとしたところにこの問題の難しさがあります。
どうしてもその実績を次のビジネスに繋げたいとする企業論理までは読み込めなかったに違いありません。
これで論述式入学試験が中止ということになると、完全に目玉はなくなります。
しかしグローバル化の流れはとどまるところを知りません。
日本人が不得意とする論理重視の考え方を、どう育てていくのか。
論理的な評論などの長文を読み取る力をどう身につけさせるのか。
新指導要領における「論理国語」の位置づけなどと絡み合い、当分の間難しい舵取りがつづくものと思われます。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。