論理で動く
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元高校国語科教師、すい喬です。
勉強の進み具合はどうですか。
志望校を簡単に諦めてはいけませんよ。
どうしても試験が近づくと、人間弱気になるものです。
やっぱりダメなんじゃないかと考えるのは、ごく普通のことです。
ぼくも教員時代には随分と生徒に泣かれました。
試験日が近づくと精神的につらいのです。
誰でも同じです。
だからこそ、最後の一踏ん張りが効果を発揮します。
「こけたら立ちなはれ」を合い言葉に頑張りましょう。
いい言葉ですね。
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本当は不屈の精神でこけたりしないのが最高なんでしょうけど、そんなことは誰にもできません。
転んだら立ち上がる。
まさにダルマさんの心境です。
さて小論文は何度も言うように、常に論理で動きます。
それぞれのパラグラフの関係をつねに明確にすることが大切なのです。
文章はいつも相互のつながりの中で成り立っています。
内容を1度で理解してもらうために書き手が心がけることはなんでしょうか。
論理の関係をはっきりさせたい時にすることとはなにか。
序論から本論へスムーズに進めていくために、どんな点に注意しているのでしょうか。
その1つのキーワードが同等と対立です。
主張を裏付けるため、課題文の中にはさまざまな具体例があげてあります。
まずそこをおさえてください。
ここが1番理解しやすいところです。
そこから課題文の主眼とする抽象的な概念を理解するのです。
つまりイコールで結べるものを探し出すという方法です。

課題文には冒頭から理解しやすい具体例がでてくることは、通常ありません。
しかししばらく読んでいると、必ず同等に至る文脈があります。
イコールで結べるところです。
そこで具体的なテーマをわかりやすく示してくれているのです。
ポイントを絶対に外さないでください。
1番の急所です。
どう展開するのか
今回は日本語のあり方について、この方法を使い考えていきましょう。
2 フィリピンでは英語とともにタガログ語が公用語とされている。
3 しかしタガログ語を話さない国民は「これは自分たちの言葉ではない」と反発している。
5「国語」としての日本語が、今の日本に生き残れるかどうかということだ。
この課題文は実際の試験ではかなり長いものでした。
しかしその中で比較的に理解しやすいところが、このフィリピンの公用語と日本語の話題でした。
ここでの論理的パターンはどのようなものでしょうか。

同等の関係をイメージしながら、筆者の主張を理解しましょう。
課題文はフィリピンの例をあげながら、日本語の可能性を探っています。
具体例が始まったら、文章がどこで一般化、抽象化していくのかをチェックします。
その逆にどの一般論から具体例に入ったのかをチェックしてもかまいません。
しかし論理はこのままでは先へ進みません。
そこから必要になるのが対立関係です。
つまり全く反対側からの考え方が出てこない限り、論点は先へ進みません。
課題文ではこの後に次のような文がでてきます。
2つの論点を完全に対比的に書き込んでいます。

テーマが2つ出てきたことで、最終的にこの事実をどう考えていったらいいのかという方向へ話をもっていけるのです。
ここから最後の因果関係へ、論点を集中します。
因果関係で収束
難しくいえば、ある考え方と全く反対の考え方があるとしましょう。
そのまま2つを並べただけではそこからより高次元へテーマを運ぶことはできません。
確かにその通りですねで論文は終わってしまいます。
しかし本当にそれでうまくいっているのかどうか。
そこに大きな落とし穴はないのか。
あるとしたらそれはなにか。
問題の本質は本当にそこなのか。
1つ1つ中をチェックしていくのです。
そうすると必ず問題がみえてきます。
つまり深掘りですね。
そのことにより内容をさらに深化させていけば、きちんと物事をみて判断しているという評価を得られるワケです。
ここではさてどうしたらいいのでしょうか。
筆者の論点はさらに複雑になっています。
まさに因果関係に突入しているのです。
自分の結論を
同等、対立、因果の図式に乗せながら、フィリピンでのタガログ語、日本語の成立、言葉の衰弱、文学の弱体化の問題を扱ってきました。

全体の課題文の流れが実によく見えますね。
論文はつねに論理の流れの中で書かれています。
課題文もまさにその通りです。
ここからでは自分なりにどう切り返していくのか。
それが実力の見せ場だということになります。
どこへテーマを落とし込んでいきますか。
言葉は変化していくという事実と文学の衰退をその通りであると、イエスの立場から進めるのも1つの方向でしょう。
文学の衰退は認めつつも、良書と呼ばれる作品の存在の大切さを論じてもかまいません。
寄付や納付などをふくめ、税金で補填をしても図書館へ収め続けていくという行為の重要性を論じることもできるでしょう。
近代文学の整理を進めていく意義を認める方向はあり得ます。
あるいは、読まれることがないということは、AI革命の進む現代には不向きであり、必要性がなくなったということも考えられます。
その視点から、消えていくものを追うことはできず、言葉そのものの変質もやむを得ないという論点も浮かびます。
英語が普遍語になりうる一方、日本語が地域言語化していく可能性について考えてもかまいません。
あるいは良質な本とされているものが読み継がれるものかどうかという重要な視点に着目することも可能です。
英語以外の書き言葉の存在として、日本語の再生をしなくてはいけないという認識もありうるでしょう。
また歯ごたえのある作品を読む機会を教育が支えなくてはならないという考え方が登場する可能性もあります。
どの立場から書くにせよ、最初のところで、課題文が論じてきた流れを無視しては先へ進めません。
文章は必ず、同等、対立、因果で進みます。
この論理性を身体の中に植え付けてください。
そうすれば、どの視点で文章をまとめあげたにせよ、十分合格点がとれるようになります。
書き上がったら、先生にみてもらってください。
たくさん小論文を読んでいる人でないと、いい採点はできません。
添削するのは想像以上に大変なことなのです。
感謝の気持ちを忘れないでください。
礼を十分に尽くしてくださいね。
必ず書けるようになります。
努力を続けてください。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

