学校寄席
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、すい喬です。
いつも落語の話をぶつぶつと呟いてはブログに書き込んでいます。
今日もおつきあいくださいね。
さて本日のお題は、学校寄席です。
皆さんの学校時代には芸術鑑賞教室なんていうのがありませんでしたか。
特に多いのが演劇と音楽です。
文学座、俳優座、民芸なんていう老舗の劇団がよく学校公演をしてくれました。
場所は体育館というのが相場かな。
最近ではあちこちにすばらしいホールがあるので、そこへ集合して見ちゃうなどというおしゃれなのもありです。
こうなると、音響、照明もバッチリなので、スタッフも楽ですね。
体育館はとにかく完全に暗くならず、音響がよくなかったりして、それはそれは準備が大変なのです。
シェイクスピア、モリエール、チェーホフ、井上ひさし…。
3年間の間に「どん底」と「ハムレット」を観劇したというすごい学校もあったとか。
しかし今は学校でちょっと四季の「ライオンキング」を見に行ってきちゃうという時代です。
オーケストラやピアノの演奏会も懐かしいですね。
ちょっとかわったところでは国立劇場での歌舞伎などという学生向けの公演もあります。
先生はとりあえず現地集合させて、出欠確認した後は少しだけのんびりできるという企画にもなっています。
しかし大きな舞台を多人数で使うこうした公演には、大変な費用がかかります。
ぼくもかつてそういう分掌の担当だったこともあります。
無事に終わるまでかなり神経を使いました。
支払いを済ませて、やっと放免というわけです。
あとで感想文などを書いてもらうと、あんまりいいことが書いてなかったりして、意気消沈したこともありました。
そんなわけで今日は学校寄席の話題です。
少ない人数でOK
この企画のいいところは、とにかく小回りがきくことです。
ホールでも体育館でもどこでもいいのです。
1学年だけでも3年生まで全部でも、あるいは小学校でも可能です。
場合によっては幼稚園でも…。
必要な人数も調整可能。
お囃子もCDですませてしまえば、前座、真打ち2人、色ものさんでなんとか1時間半くらいは十分いけます。
ちょっと予算があれば、奇術、講談、紙切りに独楽廻しもOK。
三味線が入れば、お囃子教室もついでにできます。
最初に太鼓の叩き方などを生徒に教えて、そこから落語へという流れでもかまいません。
あるいは時間があれば、生徒を数人高座にあげて、小咄をやってもらうのもいいです。
友達が舞台にあがるだけで、大いに盛り上がります。
というのが最初の企画だったんですが…。
ところがこれが実際にやってみると、そう簡単ではありません。
というのもぼくも一度だけ中学校に呼ばれて全校生徒の前で落語をやったことがあるので、よくわかります。
生徒は落語になんてなんの興味もありません。
芸術鑑賞教室などとお高くとまってみても、冷たいもんです。
生徒が知ってる落語は「笑点」だけ。
横に並んで、座布団を積むというあのスタイル以外に興味はないのです。
落語はなんといっても想像力をめちゃくちゃに使う芸能です。
一番必要なのは国語力。
シャレや掛け言葉が多いので、知っている言葉の数が少ないと、何が面白いのかわかりません。
「こんちは」と八っつあんが隠居のところへ来る時に声をかけますね。
すると、何人かの生徒は必ず後ろを振り向きます。
だれか来たのかなと思うんでしょうね。
小学校では「こんにちは」の大合唱も。
興味関心意欲なし
だいたい芸術鑑賞教室などといわれて、さあ300年の歴史ある落語を聞くぞと今時の生徒が喜ぶと思いますか。
それよりヒカキンのYoutubeでも見ている方が、よっぽど面白いのです。
それなのにこっちを向かせて笑わせようとするのですから、脂汗ものです。
だいたい生徒指導部の先生が最初に生徒を黙らせ、それだけで場の熱は冷めてしまいます。
さらになんだかわけのわからない校長先生の話が続いた後、さあどうぞといわれて、高座に上がった頃はもう完全にしらけたまんま。
面白いことを言おうとしても、場のムードは最悪です。
ここから始まるのです。
小学校は比較的よく笑います。
中学校になると、醒めてきて、やってみなという感じ。
高校が一番難しいですね。
知り合いのプロの噺家に聞くと、高校は偏差値次第ということのようです。
よく笑う学校は偏差値が高いという怖ろしい事実があります。
こんなことを書いていいんでしょうか。
つまり落語を理解するには国語力が必要です。
言葉だけで、そこに実在していない人間の姿を想像しなければなりません。
オチもそうです。
掛け言葉やシャレを言うことも多く、馴れていないと結構難しいのです。
よく笑うか笑わないかは、まさにこの怖ろしい数字に左右されます。
ぼくの経験では中学生を笑わせるのは難しい。
落語はものすごく複雑な芸能だなとしみじみ思う瞬間です。
一番受ける定番の落語
さて本題です。
それでは何の噺が受けるのか。
ぼくの知ってるところでは随分と難しい本格的落語をやる噺家さんもいます。
もちろん、企画会社はネタに関しては噺家に一任です。
その日の生徒の様子を見ながら、演者にネタを選んでもらいます。
以前、古今亭菊之丞がよくマクラにつかっていた噺にこんなのがありました。
どこでやるんですかと伺ったら、案内されたのがチャペルなんです。
まさか後ろに十字架を背負って噺をするとは思いませんでした。
もう1つ。
こちらは柳亭市馬のマクラ。
いつものように与太郎のでてくる噺をしようとして…。
おい与太郎といっただけで、場内が騒然とした笑いにつつまれたんです。
まだなんにも面白いことを言ってないのに。
さらに、おまえは随分間抜けな面をしてるなあといったら、またすごい笑い。
どうしたんだろうと思って、あとで聞いたら、この学校の校長先生の名前が高橋与太郎というのでした。
これにはまいりましたよ。
どちらも話半分でちょうどいい加減ですかね。
噺家は平気で法螺を吹きますから…。
統計をとったわけではないのですが、学校寄席では短い滑稽噺が一番です。
定番中の定番です。
どうでしょうか。
この中でも一番はなんといっても「転失気」です。
てんしきと読みます。
この噺はぼくも昨年ダンスとコラボしてご披露させてもらいました。
だいたい15分です。
身体の具合の悪い和尚さんが、医者の往診を頼みます。
帰りに「ご住職、転失気はございますか」と聞かれて知らないということがいえません。
「いえ、ありませんが」というところから、とんだ笑い話に発展していきます。
転失気というのは放屁、おならのことをいいます。
これは中国の書物『傷寒論』という本にもでてくる記述です。
和尚さん、小坊主の珍念を騙して、医者に行かせ、転失気の意味を探らせます。
珍念は和尚が言葉の意味を知らないことに気づき、盃のことだといって騙します。
そこからトンチンカンな会話が、医者と和尚との間でとりかわされるということになるのです。
ストーリーはそれほど複雑ではありません。
根本は知ったかぶりをする人間の愚かさを笑ったものです。
僧侶という尊敬されるべき人間のとる愚かな行為の中に、弱さをみてとります。
そしてそれを笑うということになるのです。
おならという小道具が実にユニークで、誰も途中までは言葉の意味がわからないためにキョトンとしています。
しかしそれが明らかになった瞬間、和尚の持つ権威性を珍念が壊していくというあたりから、笑いがおきます。
ここにあげた滑稽話はぼくも全て持っています。
短いですからいつやっても邪魔になりません。
時そばなどと一緒に2席やってもいいのではないでしょうか。
どれも名作だと思います。
自分で落語をやってみたいという人に最初に勧められる噺ばかりです。
牛褒めは与太郎噺なので、独特の味があります。
平林は滅多に聞くチャンスがありません。
しかしよくできた噺です。
初天神は子供がダダをこねる落語なので、とくに女性の多い席でやると、大変に喜ばれます。
まんじゅう怖いは言うまでもないですね。
学校寄席は噺家にとって収入源になる貴重な仕事の場です。
寄席だけでは生活ができないので、このような営業形態は大変にありがたいのです。
何人かで組んで、数日間地方を回るということもよくあります。
今日はいろんな話を書いてしまいました。
落語のことになると、つい熱中してしまいます。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。