遠くの親戚より近くの図書館
みなさん、こんにちは。
シニアブロガー、すい喬です。
人間年を重ねて感じることは読書の楽しさ、大切さ。
これほどすばらしいものは、世の中にそうそうありません。
数千年も前の人と対等に話ができるなんて。
その人の目の前に座って、親しく教えを請うことができるんです。
行ったこともない場所。
見たこともない風景。
どれもこれも教えてくれるのです。
目がつぶれるほど本が読みたいというキャッチコピーがかつてありました。
なるほど、そうかもしれません。
週に3冊読んでも、年に150冊にも満たないのです。
1日に刊行される本の数は100冊を超えているとか。
ということは一生涯必死に読んでも数千冊。
すごい数ではありますけれど、なんと微々たるもんじゃありませんか。
ぼくも以前は小説を中心に読みました。
これは楽しい。
しかし昨今は必要な情報、ブログの構築に関するもの、落語関係などなど…。
出た本を片っ端から読んでいきます。
どうしてそんなことが可能なのか。
全部買っていたら、とうに破産してます。
それに置く場所もない。
今は全部、図書館で借ります。
地域の図書館が自宅のそばにできました。
それ以前は車に乗ったり、電車に乗ったりして借りにいったものです。
今では全て、地域の図書館で済ませています。
どうしてそんなことが可能なのか。
遠いところにある本を配送してくれるからです。
同じ市内は勿論のこと、提携している周辺の市の蔵書を調べて、運んでくれるのです。
なければ都立中央図書館からも取り寄せてくれます。
今は貸し出し数にも制限がありません。
完全無料
本だけではありません。
CD、DVDなども可能です。
新しい本がないという時は、リクエストをします。
今はネットがすべて。
日曜日に読書欄でみかけた面白そうな本は、すぐに検索します。
公立図書館はすぐに新刊を揃えるということができません。
なければその場でリクエスト。
それくらいの税金は払っているつもりです。
すぐにあなたの順位は何番ですと教えてくれます。
自分の読みたい本をリクエストボックスに入れて、一度にキーを叩けば、簡単に予約できるのです。
これは実にありがたい。
少し前だったら考えられないシステムです。
近隣の提携している図書館の蔵書なら、データベースにアクセスすることもできます。
貸し出しの延長も可能です。
とにかく買わなくてもいい。
これがシニアにとってはありがたいですね。
さらにシニアコーナーなどというのもあって、高齢者にふさわしい本が取りそろえてあったりもします。
大活字本もありますよ。
本はけっして安いものではありません。
買ったらば、どこに置くかでまた悩まなければならなくなります。
家の書棚に並んでいるのは、どうしても手元に置いておかなければならないものと決めています。
遠くの親戚に頼るより、近くの図書館です。
以前勤めていた学校のそばには大きな図書館がありました。
3階と4階のフロアを全て開放して、そこに入るだけの本を詰め込んだという印象です。
奥の方にはDVDやCDを視聴するコーナーもありました。
また個室になっていて、勉強を集中してできるコーナーもありました。
開館と同時に飛び込んでいくのはかつては受験生。
今はシニアの男性です。
みんな行くところがないのです。
とにかく雑誌、新聞が読み放題ですから…。
時々は雑誌や新聞の取り合いをして、小競り合いもあるとか。
いい年をして見苦しいね。
厭だなあ。
空調がほどよく効いていて、楽にすわれるソファーも完備しています。
ところによっては食堂などもあります。
少し遅く出かけると、もう座れないなどいうこともありました。
ここはシニアにとってのオアシスです。
というか、最終の楽天地かも。
特に昼食を食べてから座り心地のいい椅子に座っていると、眠気がやってきてどうにもなりません。
ぼくもよく昼寝をするために図書館に潜り込みました。
静かな空間
昨今はどこへいってもBGMがかかっています。
まったく音のしない空間というのは、図書館以外にないのではないでしょうか。
いくらでも調べものができます。
勉強もできます。
もちろん、よく眠れる
パソコン用の電源もあるところ。
さまざまなサービスがついています。
さらにどうしても調べものでわからない時はレファレンスサービスのテーブルに専門の職員を配置しているところもあります。
あらゆる質問をうけつけてくれるのです。
もう一度言いましょう、全部無料です。
こんな場所が他のどこにありますか。
最近では映画会、落語会、コンサート、読み聞かせの会などさまざまな催しもあります。
力をいれているところでは「ビブリオバトル」を展開し、どのような本を読んで何を考え、何を得
たのかということをコンテストまでして、発表する場をもうけています。
ここまで便利に進化した図書館を使わない手はありません。
図書館嫌いのなかには、どうしても誰が読んだのかわからない本を手にするのがイヤだという潔癖
症の人もいます。
確かにそうした側面がまったくないというわけではありません。
しかし集中して、1人の作家のものを全部読んでみたいなどとなったら、とても個人では無理です。
読んだ本は全部身の周りにおいておかないと気がすまないという人もいるでしょう。
しかしそれはそれ。
ぼくも以前はそうでした。
今は割り切っています。
何度も読む本はかぎられているのが現状です。
それよりも手軽に次々と新しいものにチャレンジしていく。
本屋さんでみても買いません。
タイトルと著者名、出版社名を覚えておきます。
ネットで調べればすぐにわかります。
あとは図書館のサイトを開いて、そこに打ち込むだけ。
本のタイトルしか覚えていなくても、すぐ検索できます。
読みたい本はすぐに読みたいという人もいるでしょう。
その場合は仕方がない。
買ってください。
古本でも手元においておきたいという場合はアマゾンの中古で買うという方法もあります。
1冊1円から出品されていますのでね。
シニアにあるもの。
それはひたすら自由な時間です。
本館と分館の開業日もちがうところが多いです。
どうしても本に触れたければ、少し足を伸ばしたらどうでしょう。
あの書棚を見るだけで、ワクワクしませんか。
今日はどれを読もうか。
この次はどの作家の作品を読もうかな。
もちろん、自習用の机が完備している空間と考えてもいいですけど…。
それだけじゃ、ちょっと寂しい。
読後にメモを残すのもいいですね。
タイトルだけでも手帳にのこしておくと、あとでとてももいい記録になります。
本を読んでいると、日常使う言葉が変化してきます。
世界が違って見えます。
一言でいえば、重層的になる。
ものを一面的にみるということはなくなります。
ほんとうのことをいえば、図書館がいいというのではなく、読書をするという行為がすばらしいのです。
それを可能にしてくれる場所が図書館です。
世界を広げる
その1つが図書館だといって間違いはありません。
ただ新聞や雑誌を見にいくだけでもいい。
さらにテーマを決めて調べるのもいい。
滅多に本屋さんでも手にできないような専門的な雑誌も揃えてあります。
新聞のダイジェストだけをトピックス別に切り抜いた雑誌などもあります。
遠くの親戚より、近くの図書館を大切に。
館員の人と顔なじみになれば、確実にまた世界が広がります。
ウソじゃありません。
ここまで読んで、図書館を利用しないということは、世界が僕たちに残してくれた遺産の大部分を
捨てているということがわかっていただけたでしょうか。
多くの優れた人々が後の世の人のために贈ってくれた真実ばかりなのです。
もちろん、その中身を精査する能力をもっていなければ、不可能なことも多いことは事実です。
しかしその力も鍛えることができます。
そのための場所が図書館であり、読書そのものなのです。
シニアには時間があります。
それをムダにしてはあまりにもったいない。
必ず書棚の中の本が囁きます。
私を手にとって、そして読んでと…。
その一冊をまず借りてください。
そこから全てが始まります。
図書館に行かなければ、ものすごく損をしたことになります。
何の損かって。
大風呂敷をあえて広げるとすれば、世界を手のひらに乗せられなかったという損です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また図書館でお会いしましょう。