【祇園会・夏の噺】江戸っ子と京都人が故郷自慢の果てついに喧嘩を

ノート

京都の夏の風景

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家で、ブロガーのすい喬です。

暑いですね。

毎日、おんなじことばかり言ってます。

しかし本当に暑いんだから仕方がない。

今日も家でじっとしている以外、手はなさそうてす。

夏ときくと、やはり祇園祭でしょうね。

幸い、数年前に山鉾を間近でみるチャンスがありました。

巡幸の前に京都の辻々に飾ったものを置くのです。

偶然、一台の山鉾に乗せてもらう機会も得ました。

傍でみると、なかなかに豪壮なものです。

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すぐそばに町内ごとの建物があり、そこで山鉾に飾る道具を一式展示するのです。

それも見せてもらいました。

それぞれに名前がついていて、味わいがあります。

立派なタペストリーにはそれぞれ故事来歴があるということも知りました。

中には国の重要文化財に指定されたものもあるとか。

内容も叙事詩イーリアスに取材した「トロイの王子と妻子の別れ」とか。

伊達正宗の命令でローマに派遣された者が持ち帰ったもの。

当時の豪商が輸入したものなども混じっているそうです。

京都の町衆の経済力の高さが伺えるものばかりなのです。

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船の形をした鉾などもあって、とっても楽しかったです。

歴史を1番に感じたのが子供たちのわらべ歌でしょうか。

祇園祭では宵山期間中,各山鉾できれいに飾り付けられた厄除けちまきが,祭りに訪れた人たちに授けられるのです。

子供たちが,浴衣姿でちまき売りのわらべ歌を,盛んに歌っていました。

「お守りはこれより出ます。常は出ません、今晩かぎり。ご信心のおん方さまは受けてお帰りなされま

しょう。蝋燭一丁,献じられましょう」

なんともいえないリズムでどの小屋でも子供たちが歌っています。

京都の町の底の深さをしみじみと感じましたね。

祇園会は難しい

この落語は本当はかなり長いものです。

元々は「三人旅」という江戸から京都まで旅をする話です。

途中、あちこちで切って短くしていますが、これといって山があるワケではありません。

「おしくら」などというのは聞いたことがありますか。

今の時代には少し地味な内容です。

どの程度通用するのでしょうか。

これからもそれほど演者が増えるとは思えませんね。

その1番最後のところだけをとったのが「祇園会」です。

現在も寄席ではかかります。

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しかし難しい噺なので、達者な人しかやりません。

春風亭正朝、一朝の両師匠のが最も多いのではないでしょうか。

きっぷのいい江戸っ子の啖呵がきれないと、この落語は本当の味わいが出ません。

その他では兼好、圓太郎、菊志ん師匠などがおやりになります。

若手でもやろうする人はいますが、かなりの技量を必要とします。

これから覚えたいという人は正朝、一朝ご両人の型で稽古をするということになるのでしょうか。

正朝師匠はこの噺でNHK新人落語コンクール最優秀賞を受賞しました。

ご本人も好きな噺のようです。

あらすじ

祇園会の季節に京都へやってきた主人公。

後からやってくるという仲間を待って、有名な梅村屋の2階に陣取ります。

ここは祭り見物をするには最適な場所なのです。

ところがぞろっべいな江戸っ子はなかなかあらわれません。

そこへ同席していた京都生まれの男が、間をつないで「江戸の兄はん、一杯いきまひょ」と誘ってくれました。

知らない土地で知らない者どうしが酒を飲みかわすと、とんだことになりかねないものなのです。

最初はいい調子でしたが、京都人は酒は伏見が1番で、「京は王城の地」だと地元の自慢ばかりをします。

ちょっと腹がたつものの、ここで怒っては江戸っ子の評判を下げるというワケで、我慢をして聞いていました。

すると男の京都自慢がとまらなくなります。

「京は天子はんのいらっしゃるところや。王城の地どすさかいにな。なんちゅうても日本一の土地柄や」。

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「ハーッ、ハーッ、ハッ」という超間延びのした笑いを何度もいれます。

江戸っ子はますますイライラ。

男は江戸を「武蔵の国の江戸」じゃのうて「むさい国のヘド」じゅわいなと言うに至ってはさすがに江

戸っ子も頭に来ました。

「京都なんか見たよ、全部見たよ、なんだ寺ばかりで抹香臭くてやってられるかってんだ」と次々啖呵

を切っていきます。

ここが1つの見せ場ですね。

落語の好きな人なら、「大工調べ」の威勢のいい啖呵を思い出すかもしれません。

稽古をする時は、ここがまず最初の難関になります。

その次はお囃子比べです。

京都の男は祇園囃子の調子をのんびりと語らなくてはなりません。

コンコンチキチン、コンチキチン、ひゅーりひゅーりトッピッピ。

江戸っ子は屋台、聖天、鎌倉などという江戸の囃子を口でやる必要があります。

ここが第2の見せ場です。

笛を吹いたり、しちりきや太鼓を叩く恰好をする人もいます。

テンテンテン、テンテンテンツクツ、ドーンドン、ド、ド、ドン、テンツクツ、テンツクツ、スケステンテン

トローリ、ヒュルトロリーロ、ヒュルリ-ロ。

全く音だけの噺家もいます。

ぼくは笛や太鼓の恰好だけでもちょっとしてくれた方が好きですね。

一朝師はご自身が笛を吹かれるので、実にみごとです。

ここがきちんとできないと、この噺はできません。

千住の天王様、蔵前のだんご天王、品川の河童天王などいう神輿の名前が次々と飛び出します。

気っぷのいい江戸っ子の魅力たっぷりの場面です。

同じように囃子がでてくる落語に「片棒」があります。

応用が利きますのでどちらも覚えられますね。

最後のオチは

京都人も負けてはいません。

「あんさん、御所をまだ見てへんのやろ。天子さまのお住まいどころ。広いところに塵1つ落ちてまへ

ん。紫宸殿、あそこのお砂利を掴んでみなはれ、どんな熱病も瘧(おこり)もすぐに落ちます。」

「どないだす。これはかないまへんやろ」

「何をぬかしやがんでぇ。そんなもの徳川様のお城、千代田のお城へ行ってみろい。おめんとこなんぞ

狭くて猫の額だ。鼻がつっかえるわ」

「紫宸殿の砂利を握れ。冗談じゃねえ。こっちだって江戸城の大手の砂利を掴んでみろい…」

「瘧が落ちまっか」

「なあに、首が落ちらぁ」

これがオチです。

なかなか秀逸なオチですね。

これはいいなと思います。

自分の生まれ故郷をけなされて愉快な人間はいません。

それを江戸と京都に設定し、さらに祇園祭をかぶせたところにこの噺の面白味があります。

祭り囃子を口で表現するところなど、活舌がよくなければできません。

いろいろな意味でその噺家の力がわかってしまう怖ろしい落語でもあります。

ぼくも何回もチャレンジしてきました。

いまだに高座にかけていません。

早くやってみたいけれど、なかなかうまく仕上がりません。

これも楽しみの1つにとっておかなくちゃいけないですかね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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