「今昔物語・月見の宴」宰相にまでのぼった漢文学者を懐しむ文人たちの姿

本

今昔物語

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は久しぶりに『今昔物語』を取り上げます。

この説話集は、平安時代末期に成立したと見られています。

全31巻、長大な部数を誇っています。

高校では必ず、古文の最初の段階から授業で扱います。

比較的に内容が理解しやすく、使っている表現もわかりやすいものが多いからです。

『宇治拾遺物語』と並んで、説話集の代表といえます。

『今昔物語集』という名前は、話の全てが「今は昔」という書き出しから始まっている事に由来する便宜的な通称です。

誰が書いたものかはっきりとわかっていません。

内容は天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成されています。

基本は因果応報などの仏教説話が多く、それ以外にもさまざまな物話が続きます。

芥川龍之介などは好んで、小説の題材に取り上げました。

『羅生門』『鼻』『藪の中』などはその代表的な作品です。

谷崎潤一郎にも『少将滋幹(しげもと)の母』という、数奇な物語があります。

その他にも堀辰雄、室生犀星など多くの作家が、この作品からヒントを得て小説を書きました。

それだけ、内容の深い人間性の根源に触れる作品が多かったということなのでしょう。

作家の立場から考えたら、どうしても何か書きたくなるようなエッセンスに満ちた物語ばかりですからね。

本文

今は昔、村上天皇の御代に、大江朝綱と云ふ博士ありけり。

やむことなかりける学生なり。

年来、道につきて公につかまつりけるに、いささかに心もとなきことなくして、つひに宰相までなりて、年七十余にして失せにける。

その朝綱が家は、二条と京極とになむありければ、東の川原はるかに見え渡りて、月おもしろく見へけり。

しかるに、朝綱うせて後、あまたの年を経て、八月十五夜の月、ごく明かりけるに、文章を好む輩十余人伴ひて、月をもてあそばむがために、

「いざ、故朝綱の二条の家に行かむ」と云ひて、その家に行きにけり。

その家を見れば、ふるく荒れて人気なし。

屋共も皆倒れ傾きて、ただかまどやばかり残りたるに、この人々やぶれたる縁に居並みて、月を興じて詩句を詠じけるに、

踏沙披練立清秋 (沙(いさご)を踏み練(ねりぎぬ)を披(かづ)きて清秋に立つ)
月上長安百尺楼

と云ふ詩は、昔し唐に白楽天と云ひける人、八月十五夜に月をもてあそびて作れる詩なり。

それをこの人々詠じけるに、また故朝綱の文花の微妙なりし事どもを云ひ語らひける間、丑寅の方より、尼一人で来たりて問ひて云はく、「こは誰人の来たりて遊び給ふぞ」と。

答へて云はく、「月を見むために来たれるなり。また汝はいかなる尼ぞ」と。

尼の云はく、「故宰相殿に仕へし人は、尼一人なむ今に残りて侍る。この殿に男女の仕へ人そのかず侍りしかども、皆死にはてて、おのれ一人けふあすとも知らで侍るなり」と。

道を好む人々は、これを聞きても、あはれに思ひて、尼を感じて、或ひは泣く人もありけり。

現代語訳

今となっては昔の話です。

村上天皇の御代に、大江朝綱(おおえのあさつな)という文章博士がいました。

たいへん優れた学者でした。

長年、文章道をもって朝廷に仕え、少しも心もとない点がなく、ついに宰相にまでなって七十歳余りで世を去りました。

その朝綱の家は二条京極にあったので、東の河原をはるかに見渡せ、月が美しく眺められるところでした。

これは、朝綱が亡くなったのち、相当年月が経った頃の話です。

ある年の八月十五日の夜、満月がこうこうと輝いているところへ、漢詩文を好む人たちが十人以上集まりました。

この月を眺めるために、「いかがでしょうか、月見に故朝綱殿の家に行ってみませんか」と言い、出かけてきたのです。

その家を見ると、すでに古び荒れ果てていて、人の気配もありません。

屋敷はどれもみな倒れ傾き、ただ炊事場だけが昔のままに残っていました。

そこで人びとは、この壊れた縁側に居並んで月に興じ、詩句を詠じたのです。

いさごを踏み、練り絹をかつぎて清秋に立つ
月は長安の百尺の楼に上れり

(河岸の白砂を踏み、練帛(ねりぎぬ)を肩にかけて清明の秋気に立てば、名月は中天高く長安城の高楼の上にかかっている)

この詩は昔、唐の白楽天という人が、八月の十五日の月を愛でて作った詩です。

これを人びとが朗詠し、また故朝綱が詩文に長じていたことなどを語り合っていると、北東の方から尼が一人現れてきて、問いかけました。

「ここに来て、詩を吟じておられるのは、どなたでいらっしゃいますか」

「月を見に来たのでございます。それにしても、そなたはどういう尼か」と、訊ねた時、尼が言いました。

「故宰相殿にお仕えしておりました者で、今まで残っているのは、この私一人だけでございます。

このお屋敷にお仕えする者は男女合わせてずいぶんたくさんおりましたが、今ではみな死に絶えて、私一人今日明日とも知れぬ命を長らえているのでございます」と。

詩文を好む人たちは、この言葉を聞いて哀れに思い、尼の心根に感じて、なかには涙を流す者もいたという話です。

人の世の無常とは

この話の設定はまるで能を想わせますね。

いかにもこのようなことが起こりうるという自然な流れで出来上がっています。

舞台は平安時代の漢文学者、大江朝綱(おおえのあさつな)の旧宅です。

朝綱は村上天皇の時代に活躍した学者でした。

彼の邸宅は二条と京極の交差するあたりにあり、東側には川原が広がり、月を美しく眺めることができたのです。

主人公、朝綱が亡くなってから長い年月が過ぎたある年の八月十五日、中秋の名月の日の話です。

かつて朝綱が住んでいた二条の邸宅を文人たちが訪れます。

そこは見る影もないほど、荒れ果てた屋敷に変貌していました。

わずかにかまどだけが残っていたのです。

人の栄華のはかなさとでも言ったらいいのでしょうか。

訪れた人々は、月を眺めながら漢詩を詠みました。

白楽天が八月十五夜の月を眺めて詠んだという有名な詩です。

澄み渡る秋の夜に立つと、月は長安の百尺の高楼に昇るという内容の歌です。

故人を慕う文人たちの様子が目に浮かびますね。

しばらくすると、北東の方角から一人の老いた尼がやって来ました。

仔細を訊ねたところ、かつて朝綱に仕えていた人々皆亡くなり、自分一人だけが残っているというのです。

年月の去るのがいかに早いかを象徴した場面です。

ただ残っているのは月の光だけでした。

星霜うつり人は去るという言葉そのものを示す風景そのものです。

自然と人間の対比が実にわかりやすく描かれています。

「おのれ一人けふあすとも知らで侍るなり」という老尼の言葉が象徴的です。

命がいつ尽きるかは誰にもわかりません。

繫栄の後には衰亡がやってくるという「諸行無常」の真理がみごとに描かれているのです。

朝綱の旧宅で漢詩をうたい、記憶の中にかつての人物を蘇らせるという構成は時間の流れの非情さを感じさせます。

同時に文学の持つ力もあわせて表現されています。

当時の知識人がどれほど中国文学に親しんでいたのかもよくわかります。

過ぎ去った人々の在りし日の姿に心を動かされるという、人間の深い共感のあり方が実にみごとに描かれているのです。

今昔物語の中でもしみじみとした味わいのある段だといえます。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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