仏教説話集
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はちょっとかわった仏教説話集を読みましょう。
昔の人は信心深かったとよく言われますね。
亡くなった人が帰ってくるという盆の行事などは、今でも思い出に残っています。
仏壇の前にはさまざまなお供物が捧げられていました。
きゅうりやナスに乗って、死者が舞い戻ったのです。
家族制度が大きく変化している現在、家というものに対する考え方もかわってきました。
かつては人の命があまりに短かったのかもしれません。
それだけに来世への期待は大きいものでした。
医療の発達した今とは、何もかもが違っています。
仏教に対しても、信仰そのものがごく自然なものであっただけに、深いものでした。
そのためか、祈りを大切なものと考える説話集がたくさん残されました。
その中でも『撰集抄』(せんじゅうしょう)は特異なものです。
筆者がわからないままです。

寿永2年(1183年)、讃岐国善通寺において作られたとあり、江戸時代まで西行の自作と信じられていました。
しかし現在では、後の人の仮託であることが研究の進展によって明白になっています。
全体は9巻からなる大作です。
この説話集は漂泊の歌人としての西行像を形成するのに大いに貢献しました。
人々はここに登場する僧侶の像の上に、西行の姿を重ねたのです。
旅の中で、人生の真実をつかもうとする生き方は、やがて芭蕉につながりました。
それ以前にも御伽草子や謡曲の素材になったりもしています。
室町時代には連歌師の心敬などにも影響を与えました。
『雨月物語』を書いた上田秋成もこの著作から刺激を受けたと言われています。
興福寺に関係する遁世者が多く描かれているところから、さまざまな仮説がありますが、これといって決め手になるものはありません。
この段は範円上人が出家するに至った事情を描いたところです。
本文
中ごろ、筑紫の横川といふ所に、範円上人といふ人いまそかりけり。
智行ひとしくそなはりて、生きとし生けるたぐひ、あはれみ給ふことねんごろなり。
観音を本尊として、つねに大悲の法門をなん心にかけ給へる。
いまだこの上人、飾りおろし給はざりける前は、吉田の中納言経光と申しけり
帥になりて、筑紫へ下り給ひける時、都より浅からず覚え給へりける妻をなん、いざなひていましけるを、

いかが侍りけん、あらぬかたに移りつつ、花の都人は古めかしくなりて、薄き袂に秋風の吹きて、あるかなきかをも問ひ給はぬを、憂しと思ふ乱れの、はれもせぬつもりにや、
この北の方なん、重くわづらひて、都へ上るべきたよりだにもなく、病は重く見えける。
とさまにして、都に上りなんと思ひ侍りけれども、心にかなふつぶねもなくて、海を渡り、山を越へむやうも覚えざりければ、帥4のもとへ、かく、
問へかしな置き所なき露の身はしばしも言の葉にやかくると
とよみてつかはしたるを見侍るに、日ごろの情、今さら身にそふ心地し給ひて、あはれにも侍るに、また、人の走り重なりて、「すでにはかなくならせ給ひぬ」と言ふに、
夢に夢見る心地して、わが身にもあられ侍らぬままに、手づから髻(もとどり)切りて、横川といふ所におはして、行ひすましていまそかりけり。
現代語訳
その昔、筑紫の横川という所に、範円上人という僧がおられました。
学問も修行もともに優れていて、生きているものすべてに対して、たいへん深い慈悲の心をお持ちになっていたのです。
観音菩薩を本尊として、いつも「大悲の法門」といわれる観音の深い慈悲の教えを心にかけて修行しておりました。
出家なさる前の名前は、吉田中納言経光です。
経光が大宰帥(だざいのそち)となって筑紫へ下られたとき、都にいる頃から深く愛していた妻を連れて行かれました。
しかし、どういう事情があったのでしょうか。
経光は次第に別の女性へ心を移すようになったのです。
そして、都から連れてきた妻をもはや「過去の女性」として扱うようになってしまいました。
薄い袂に秋風が吹くようになっても、妻がどうしているのかさえ、経光は気にかけなくなってしまったのです。
そのことを「つらいことだ」と思い、心の乱れがいつまでも晴れないまま積み重なったためでしょう。
北の方は重い病気にかかってしまいました。
そして、都へ帰るための方法もないまま、病気も重くなっていきました。
彼女は、なんとかして都へ帰ろうと思いました。
しかし、自分の思い通りに都へ連れて行ってくれる船もありません。
1人で海を渡り、山を越えて帰る方法も分かりませんでした。
そこで、大宰帥である夫のもとへ、次のような歌を詠んで送ったのです。
問へかしな 置き所なき 露の身は しばしも言の 葉にやかくると

(どうか私のことをお尋ねください。
この世に身の置き所もない、露のようにはかない私の身の上が、せめて少しの間でも、あなたの心の中にかかるのではないかと信じておりますので)
この歌を読み、夫はこれまで妻から受けてきた情愛が、今になって改めて身にしみるように感じられました。
たいそう気の毒に思われてならなかったのです。
ところが、その直後、人が走りこんできて「北の方はお亡くなりになりました」と告げました。
経光は、まるで夢の中でさらに夢を見ているような気持ちになり、自分自身が自分でないように感じられてなりませんでした。
さまざまに感じるところがあったのでしょう。
自ら髻(もとどり)を切って出家し、横川という所へ行って、ひたすら修行に励みました。
その後は、還俗することもなく僧侶として暮らしたということです。
ポイント
この説話には現代にも通じる愛情の問題が色濃く滲んでいますね。
「妻を捨てたことへの後悔」がやがて出家へと繋がっていくのです。
経光は、かつて深く愛していた妻を筑紫まで連れて行きました。
それなのに別の女性に心を移し、妻を顧みなくなります。
今でもこうしたことは数多くあるような気がしますね。
新聞などで人生相談を読んでいると、人の心は紫陽花のようだという言葉を思い出すのです。
人間はそれだけ落ち着きのない茫漠としたものなのに違いありません。
妻はその悲しみから病気になり、最後に夫へ和歌を送ります。
「置き所なき露の身」という表現が重いですね。
「露」は、はかなく消えてしまうもののたとえです。
妻は、自分にはもうこの世に居場所がなく、まもなく消えてしまうような存在だと訴えています。

そして、夫がその歌を読んで「妻の情愛を今さらながら身にしみて感じた」直後に、妻の死が伝えらるのです。
ここで大切なことは、大切なものの価値に気づいたときには、もう取り返しがつかないことが起こっていたという悲劇です。
強烈な後悔と無常観が、経光を出家へと向かわせます。
この部分は今の時代に読んでも、心が痛みますね。
経光はもともと世俗の中にいた人物です。
日々、権力にまつわる闘いの現実をみてきたはずです。
それが妻の死をきっかけにして、無常な人生を捨て、仏道に入っていく決心をしたのです。
この説話は夫婦の悲しい話ではありません。
さまざまなキーワードが浮かんできますね。
愛情、後悔、無常、出家という、仏教説話に特徴的なテーマが凝縮されていると考えることができるのではないでしょうか。
現代にも通じる人の世の無常をしみじみと感じます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
