天災
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は落語の話をします。
以前にも書いたことのある「天災」という噺についてです。
リンクを最後に貼っておきます。
暇なときに読んでみてください。
あらすじは簡単です。
しかし演じるのは非常に難しいのです。
単純にいえば、「付け焼刃ははげやすい」というところでしょうか。
落語にはこのパターンの話が大変多いのです。
生半可な知識を得たのち、それを使いたくなって披露すると、とんでもない結果になるというごくオーソドックスな構成です。
「子ほめ」「牛ほめ」などはその代表格ですね。
さらにいえば「道具屋」なども似ています。
だいたい江戸っ子は能天気ですから、そんな複雑な思考には耐えられません。
そこでつい人から聞いたばかりの蘊蓄を、披露したくなるようです。
かなりの噺がこうした構成でつくられています。
その代表の1つが「天災」なのです。
隠居のところへやってきた短気で喧嘩っ早い八五郎に、説教をしたのは心学の先生、紅羅坊名丸(べにらぼうになまる)でした。
隠居とは古くからの知り合いだったのです。
ここから紅羅坊名丸先生の話が始まります。
「孝行のしたい時分に親はなし」
「短気は損気」
「ならぬ堪忍するが堪忍、堪忍の袋を常に首に掛け、破れたら縫え、破れたら縫え」
「気に入らぬ風もあろうに柳かな」
「人間、諦めが肝心、何事も天災と諦めれば腹も立たぬ」
ていねいに諭してみたものの、八五郎には全く通じません。
ものは考えよう
そこでさらに具体的な話をいくつもします。
その中の1つが「何もない大きな原っぱで夕立にあったらどうする」というものでした。
すると八五郎は「天から降ってきた雨で、誰とも喧嘩しようもないから諦める」と降参します。
紅羅坊先生の話のポイントは、「それならば、なにごとも天から降りかかってきたもの思えば諦めがつく」という点にありました。
そこで「天災」を心得た八五郎、さっそく長屋に戻ります。
なんとなくいつもと長屋の様子が違うのに気が付き、おかみさんに尋ねると、
「熊さんが女を引っ張り込んだ所に、奥さんのおみっつぁんがが怒鳴り込んできて大変な騒ぎだった」というのです。
八五郎はさっそく夫婦喧嘩をしていたという熊五郎のところへいって、「天災」の考え方を披露しようとします。
その説得があまりにもトンチンカンなので、熊五郎にはなんのことかさっぱりわかりません。
ここからがオウム返しになっていて、お客様がよく笑ってくれるところです。
そのためには、紅羅坊名丸の話が、観客の皆さんの頭にきちんと入っていないとダメですね。
活舌や、言葉のリズムが悪く、八五郎の人のよさと単純さがみえないと、面白くもおかしくもありません。
落語の難しさです。
結局、付け焼刃の話はかえって混乱を招くばかりでした。
八五郎だけは一人で悦に入っています。
「奈良の神主 駿河の神主、中で天神寝てござる、ああ、こりゃこりゃ」
「神主の袋、頭陀袋 破れたら縫え 破れたら縫え」
「気に入らぬ風もあろうに蛙(かわず)かな」
「北から風が吹けばどうしたって寒いから、いっぱいやりたくなるだろ」
何を言っているのか訳が分からんという熊さんに、八っつぁんは最後の手段に出ます。
「先(せん)のかかあが怒鳴り込んできたと思うから腹もたつ。天が怒鳴り込んで来たと思え。これすなわち天災だ」
オチは熊さんの返事です。
「いいや、おれのとこは先妻の間違いだ」
最後は掛詞ですね。
とてもいいオチとは言えません。
しかし落語には非常にこのパターンが多いのです。
石田梅岩の心学
この落語の根幹には「心学」の考え方があります。
最近ではあまり聞いたことがないですね。
本屋さんでも見かけることはほとんどありません。
歴史の授業で習うくらいでしょうか。
心学がもっとも盛んだったのは江戸時代の中期です。
石田梅岩を中心とするとする、ごく庶民的な道徳思想のことを言います。
ふつうは「石田」の「石」の字をとって「石門心学」と呼んでいます。
誰にでも理解しやすいように、儒教、仏教、神道などをとりまぜて、人間はかくあるべしといった考え方を基本にしたものです。
この落語を聞いていると、よくわかりますが、難しいことはなにひとつ言っていません。
例えば、最初の譬えが「柳」です。
「北から風が吹けば南になびき、南から風が吹けば北へなびく」
「風の吹くまま、吹かぬまま」
「むっとして帰れば角の柳かな」
「吹く風を後ろに柳かな」
「気に入らぬ風もあろうに柳かな」
「たおらるる人に香るや梅の花」
まさに自然体の行動を奨励しているのです。
老荘の思想をかなり取り入れた表現のようですね。
当時さかんになりつつあった商業の重要性をみとめたことから、心学は勃興しはじめた商人たちに喜んで迎え入れられました。
しかし幕末になると、急速にその勢いが衰えたといわれています。
なぜ衰退したのか
いろいろな理由があると考えられます。
やはり時代の流れにうまくのれなかったというのが、最大の原因かもしれませんね。
学問がトレンドになるには、さまざまな要因があります。
幕末になって、流れが西洋思想に傾いていったことが、1番大きかったのでしょうか。
日常の習慣や考え方が心学を古臭いものにみせたとも考えられます。
『論語』の本は今もたくさん出版されていますね。
人気は非常に高いです。
しかしその儒学でさえ、かなり弱まった時もあります。
日本人は新しもの好きです。
毛色のかわったものにすぐ飛びつきやすい傾向が強いのです。
心学は特に儒学を土台にしているため、皇国史観などと結びつき、なおさら毛嫌いされたのかもしれません。
しかし商業道徳などの世界では、今でも通用する考え方がたくさんあります。
松下幸之助、稲盛和夫、本田宗一郎などの考え方は今でも、多くの人に読まれていますね。
かつてはあちこちに石門心学を学ぶための道場があったようです。
しかしそれらが復活したという話は聞きません。
なぜなのでしょうか。
SNS全盛の時代に、人が生きていくことの難しさを感じることが多い昨今、暢気な八五郎と熊五郎の掛け合いが懐かしいです。
この噺を近々、高座にかけてみようと考えています。
うまくいくでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。