「神様」
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は何度読んでも、そのたびに新鮮な短編集をご紹介します。
川上弘美の『神様』がそれです。
とにかく出色ですね。
高校1年の教科書に所収されています。
ぼく自身、何回も授業で扱いました。
表題になっている「神様」は誰もが思わず唸る、不思議な味わいに満ちています。
くまと散歩をするという特殊なシチュエーションが、「大人のおとぎはなし」にピッタリなのです。
ユニークな情景設定に、生徒も知らず引き込まれていくようでした。
「くま」と「わたし」がともに行動する姿から、何を感じ取るのも自由です。
動物や生物、自然現象などを擬人化したりする話を、寓話といいますね。
自分の日常的な精神風景を読み取るには、恰好の方法論のひとつといえるのではないでしょうか。
全体が9つの物語で構成されているので、自分の気にいった作品がいくつかはみつかるという楽しい短編集になっています。
特に「神様」については、以前記事にしましたので、時間があるときに読んでみてください。
人間のことばを喋るくまが実にかわいらしく、さらにいえば、人間よりもより人間的なのです。
川原までの道を歩きながら繰り広げる会話の面白さも、この作品の特徴です。
この作家の文体が、どこか現実離れをしたものであることも幸いしているのではないでしょうか。
そんなことがいかにも起こりそうな不思議な時間軸を感じさせます。
『蛇を踏む』で芥川賞をとり、『センセイの鞄』で谷崎賞をとった時とは、また違う場所にいるような気もします。
他者との出会い
不思議な他者たちとのふれあいと別れが、なぜかどこにでもありそうなもう1つの世界を予感させるのです。
梨の収穫時期に現れる不思議な生き物、5年前に死んだ叔父、河童、壺から出てくるコスミスミコ、えび男くん、「猫屋」のカナエさん、そして名前のないくま。
バラエティに富んだ登場人物に触れただけで、この物語の持っている寓話性に引き込まれていくはずてす。
彼らに対して懐かしさを覚えるのは、ぼくだけでしょうか。
「非日常」といってしまえば、それまでのことです。
しかし何度読んでも、不思議な感覚に襲われるのです。
何かが大きく劇的に変化するわけではないというところが、日常の持つ真実なのかもしれません。
全ては静かに、日常の言葉とともに動いていきます。
今から15年ほど前に書かれたという事実が、ある意味で重いです。
子供の育児をしながら、「パスカル短編文学新人賞」に応募したそうです。
「何かを書きたい」という衝動が消えなかったとか。
一口に15年前といえば、それまでのことです。
しかしその間にも世界は大きく変化しました。
AIがここまで人間を凌駕することなど、考えもしなかったです。
ある意味「平和の時代」のだったのかもしれません。
「神様」の最後はくまの述懐で終わります。
——————————
今日はほんとうに楽しかったです。
遠くへ旅行をして帰ってきたような気持ちです。
熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように。
それから干し魚はあまりもちませんから、今夜のうちに召し上がるほうがいいと思います。
——————————–
言葉の中に、救いがあった時代の様相がみてとれるような気がします。
「離さない」
今回は特に9つの短編の中で「離さない」について考えてみたいです。
この短編集には作品それぞれの味わいがあり、一様ではありません。
読み手の好みがはっきりと出るのかもしれません。
それが異空間に対する、熱量となって戻ってくるような気もするのです。
ぼくは今までに何度もこの短編集を読んでいます。
そのたびに1番お気に入りの作品が変化するのです。
前回の時に面白かった短編とは全く違うタイプのものに、反応したりします。
それがすごく不思議で、自分でも興味深いですね。
今回、ご紹介する短編「離さない」のあらすじはそれほど複雑なものではありません。
主人公の私は上の階に住む、画家兼高校教師のエノモトさんと仲良くしています。
2ヶ月前に旅先で妙なものを手に入れたと聞いて以来、疎遠になっていました。
そこで私が部屋を訪れます。
すると、南方に旅した際、海岸で人魚を拾ったという話を聞きます。
マグロより小さく鯛よりは大きい人魚だと知らされるのです。
長い尾ひれから腹にかけて大きな虹色の鱗で覆われ、上半身に巻き付いた長い髪の隙間から、豊かな胸が見える。
このあたりから一気にテーマが、日常の現実を飛び越えます。
見せてもらうと、その人魚は浴室を泳いでいるのです。
あまりにも優雅なので、いつまでも見ていたい気にさせられました。
エノモトさんすでに5回も、人魚を見続けるためだけに会社を休んでもいました。
私に人魚を預かって欲しいと言い出します。
本当は海に帰すのが一番の解決法だと分かっていましたが、2人ともすでに手放せなくなっていたのです。
私は自分の部屋の浴槽に人魚を放しました。
魚と一緒にやって来たエノモトさんは、じっと人魚を見たまま深夜まで動かなくなります。
ところが突然「うわぁ」と叫んでエノモトさんは逃げ出してしまいます。
人魚との生活
結局、私は人魚と一緒に暮らすことになります。
食事は出来合いのものを買い、夜は浴室で眠るような生活が続きました。
時間が惜しくて浴室で生活します。
人と話すのも億劫になり、電話にも出ず、ひたすら人魚を眺めて暮らすのです。
たったの一週間でその状態になった。
ある日、エノモトさんが人魚を取り返しにやってきます。
海へ帰すと言うのです。
私はやめさせようと必死になりますが、エノモトさんの意志は非常に固いものでした。
とうとう海へ放す時がやってきます。
しかし人魚はなかなか傍を離れません。
その刹那、人魚が口を開きます。
赤い薄いくちびるを開き、私の顔をじっと見て「離さない」と言ったのです。
私も「うわぁ」という声を上げ、海岸へ向かって逃げました。
もう一度背後から「離さない」という声が聞こえます。
翌日から高熱が出て、体調が戻る頃には、季節がかわっていました。
後日、エノモトさんと話をする機会がありました。
人魚に魅入られていたんだとエノモトさんは言う。
どうして人魚を帰すことができたのと訊くと、榎本さんは次のように答えます。
「人魚を離さないでいるだけの強さがぼくにはなかったのかな」
わたしもそうだったのかもしれないと考えて、2人は窓の外を眺め続けたのです。
この短編の持つ意味は何なのでしょうか。
人魚の方から離さないという意思表示をされた時の怖さは、どこから来るのか。
狂気といってもいいかもしれません。
静かに襲いかかられ続けることが、かえって怖さを増幅させます。
底知れない不気味さをを感じます。
魅入られるという言葉がありますね。
自分の生活が破綻してしまうほどの魅力に満ちたものとの出会い。
そこから抜けられなくなる不安。
これも現代の縮図なのでしょうか。
寓話の奥深くに潜んでいる、気味の悪いものの正体とは何なのか。
もしかしたら、伝奇小説と呼ぶことも可能なのかもしれません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。