管鮑の交わり
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は有名な故事成語を扱います。
「管鮑(かんぽう)の交わり」という表現を一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この言葉は親友などというレベルでは言い表せない、深い友人関係を象徴した表現です。
お互いに理解しあっていて、自分たちの立場が変わっても壊れることのない友情を意味します。
管という人と鮑という人の深い信頼が、この表現の由来です。
2人の名字をとって「管鮑の交わり」と名付けられているのです。
この2人は、最初はそれぞれ異なる国に仕えていました。
時には互いに敵対する勢力であったこともあったのです。
しかし、2人の友情は最後までくずれることはありませんでした。
具体的にはどんな話なのでしょうか。
時代を遡ってみましょう。
春秋時代、諸侯は覇権を争っていました。
時代は周が東西に分裂した紀元前771年から、大国「晋」が三国に分裂した紀元前5世紀までの、およそ320年に渡る期間を指します。
特にこの時代を支配した強大な5人の諸侯を「春秋の五覇」というのです。
最初の覇者、斉の桓公(名は小白)には管仲(かんちゅう)、鮑叔(ほうしゅく)という優れた家臣がいました。
彼らがどのような人物であったのかというのが、今回のテーマなのです。
斉の君主であった襄公(前697~686年)は暴君として知られています。
弟二人(糾と小白)をかねてより鬱陶しく思っていました。
弟たちは兄に殺される可能性もあったのです。
そこで糾は魯へ、小白は莒(きょ)へと家来を連れて逃げました。
それぞれ糾には管仲、小白には鮑叔という優秀な部下がついています。
しかしその後、襄は甥の無知に殺され、無知もまた殺されてしまうという事件が起きました。
次の君主は
権力の世界は一寸先も見えません。
先に斉に着いた方が次の君主になれる可能性もあります。
二人は急いで国へ戻りました。
管仲はここで小白を亡き者にしてしまった方が安心だと考えたのです。
途中で小白を待ち構え、一行が見えた時に矢を放ちました。
それがみごと腹に当たったのです。
糾と一緒に再び斉へと向かいました。
しかし既に小白が斉へ着いて、君主になっていたのです。
死んだはずなのにどうしたことか。
矢は確かに当たっていたのです。
ところが当たりどころが、ベルトの前にある金物の部分でした。
小白は九死に一生を得たのです。
糾は捉えられ、処刑されてしまいました。
しかし一緒にいた管仲は殺されませんでした。
なんと小白の家臣となったのです。
鮑叔は管仲の実力を高く評価していました。
彼は斉だけを治めるのなら私の補佐で十分です。
しかし五つの国全ての君主になりたいなら、管仲を一番の家臣にするべきですと進言したのです。
自分が勝ったにもかかわらず、敗軍の将にその政権のかじ取りを任せたというワケです。
管仲は友人の鮑叔が自分を高く評価してくれたことに感激しました。
戦さに負けても鮑叔は、非難したり笑ったりしなかったのです。
そこには何らかの理由があり、時節が伴わなかったのを知っていたからです。
よく使われる言葉に「俺を生んだのは父母だが、本当に俺を理解してくれたのは鮑叔だ。」というのがあります。
そこまで友人の実力を見抜き、信じたことが、結局は5つの国を治める原動力になっていきました。
書き下し文
兄、蘘公(じょうこう)、無道なり。
群弟、禍(わざわい)の及ばんことを恐る。
子、糾(きゅう)魯に奔(はし)る。
管仲、之に傅(ふ)たり。
小白、莒(きょ)に奔(はし)る。
鮑叔(ほうしゅく)之に傅たり。
蘘公、弟無知の弑(しい)する所と為り、無知も亦(また)人の殺す所と為る。
斉人、小白を莒より召く。
而(しこう)して魯も亦兵を発して糾を送る。
管仲嘗て莒の道を遮り、小白を射る。
帯鉤(たいこう)に中(あ)つ。
小白、先づ斉に至りて立つ。
鮑叔牙(ほうしゅくが)、管仲を薦めて政(まつりごと)を為さしむ。
公怨(うら)みを置きて之を用う。
仲、字(あざな)は夷吾(いご)。
嘗(かつ)て鮑叔と賈(あきな)ふ。
利を分かつに多く自ら与ふ。
鮑叔以つて貪(たん)と為さず。
仲の貧なるを知ればなり。
嘗て事を謀(はか)りて窮困す。
鮑叔以つて愚と為さず。
時に利と不利と有るを知ればなり。
嘗て三たび戦ひて三たび走る。
鮑叔以つて怯(きょう)と為さず。
仲に老母有るを知ればなり。
仲曰はく、
「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」と。
現代語訳
兄の襄公(じょうこう)は、道にはずれた悪い行いをする人物でした。
弟たちは災難が身に及ぶことを恐れました。
そこで弟の子、糾(きゅう)は魯に逃げたのです。
管仲(かんちゅう)は彼の守り役でした。
小白(しょうはく)は莒(きょ)に逃げました。
鮑叔(ほうしゅく)は彼の家来だったのです。
襄公が弟の無知(むち)に殺され、無知もまた人に殺されました。
そこで斉の人たちは小白を莒より迎えて君主にしようとしました。
すると、魯の国も軍隊を派遣し、糾を送り込みます。
管仲は以前、小白が莒から魯へと向かう道の行く手をさえぎり、小白に向けて矢を放ち、それが帯金に当たったことがありました。
あやうく一命をとりとめて、小白が先に斉に入り、君主として立ちました。
これがのちの桓公なのです。
ところが桓公の守り役である鮑叔牙(ほうしゅくが)は、管仲を推薦して政治を行わせようとしました。
桓公は自分を殺そうとした管仲への恨みを捨てて、彼を用いようとしたのです。
管仲は字(あざな)を夷吾(いご)といいました。
かつて鮑叔といっしょに商売をしていたこともあります。
彼は利益を分けるとき、自分の分を多く取りました。
しかし鮑叔は管仲のことを欲張りとは思いませんでした。
管仲が貧しいのを知っていたからです。
管仲がかつて事業を企て、失敗して困り果てたこともありました。
しかし鮑叔はそれが愚かだとは思いませんでした。
時というものには、いい時と悪い時があるのを知っていたからです。
管仲はかつて三回戦って、三回とも逃げ出したことがあります。
しかし鮑叔は卑怯だとは思いませんでした。
管仲に年老いた母がいるのを知っていたからです。
管仲は言います。
「自分を生んだのは父母であり、自分を理解してれるのは鮑君(鮑叔)である。」と。
ちなみに字(あざな)とは男性の元服時、女性の婚約時につける呼び名のことです。
鮑叔牙が管仲の才能を惜しんで自分の主人に推薦してくれた結果、管仲は命を救われただけでなく宰相となりました。
そして斉を繁栄に導いたのです。
本当の信頼という表現の意味をもう一度、考えてみてください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。