深謀遠慮
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はめったに高校でも扱わない『石林燕語』の中にでてくる話を解説しましょう。
大学入試の問題などでは時折とりあげられることがあります。
内容が難しいですからね。
読むだけで大変です。
しかしじっくりと読みこむと、味わいのあるテーマが多いです。
この『石林燕語』という本は宋の時代の作品です。
朝廷の故実などが全10巻に渡り、詳細に記されています。
11世紀から12世紀にかけて生きた葉夢得(しょうむとく)の著書です。
本のタイトルが読めますか。
「せきりんえんご」です。
宋の太祖、趙匡胤(ちょうきょういん)は「恩」と「威」を用いるのが巧みだったと言われています。
臣下の心をどのように捉えたのか。
その人心掌握の術は今日でもけっして古びることはありません。
思わず唸らされてしまうほどです。
太祖は江南地方を討伐するために曹彬を大将、潘美を副将として派遣します。
その際、帝は曹彬に軍律違反者に対する処分書を授けました。
重大な規律違反があったら、そこにしたためてある通りに裁けということなのです。
今のように通信が発達していない時代です。
ただちにその場で判断することが求められました。
その処分書には何が書いてあったのか。
それこそが帝の深謀遠慮そのものだったのです。
味わってみてください。
書き下し文
太祖初め曹武惠彬(そうぶけいひん)に命じて江南を討たしむるに,潘美(はんび)之に副たり。
将(まさ)に行かんとするに、燕を講武殿に賜(たま)ふ。
酒、三たび行(めぐ)り,彬等、起ちて榻前(とうぜん)に跪(ひざまず)きて,処分を面授せられんことを乞ふ。
上(しょう)、懐中より一の文字を実封せしものを出し,彬に付して曰く
「処分は其の間に在り。潘美より以下、罪有らば,但だ此れを開きて,徑(ただ)ちに之を斬れ。奏禀(そうりん)するを須(もち)ゐず。」
二臣股栗(こりつ)して退く。
江南の平らぐに訖(およ)び,一の律を犯す者無し。
還るに比(およ)びて,復た燕を講武殿に賜ふ。
酒、三たび行り,二臣、起ちて榻前に跪く。
「臣等幸ひに敗るる事無し,昨に面授せられし文字、敢へて家に蔵せず。」
即ち上の前に納む。
上、徐ろに自ら封を発(ひら)きて之を示せば,乃ち白紙一張なり。
上の神武機権は此くの如し。
初め特だ是を以つて命令を申(の)ぶるは,使(も)し果たして犯すものありて封を発(ひら)き,白紙たるを見れば,則ち必ず入りて禀(りん)すればなり。
帰るに及びて之を示すは,又将に以て初めより軽斬(けいざん)の意無きを見(しめ)さんとすればなり。
恩威両(ふた)つながら得たり。
故に彬等と雖も、折服せざる無し。
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表現に少し難しいところはありますが、意味はだいたいわかるのてはないでしょうか。
燕というのは宴会のことです。
講武殿はみごとな美しい建物であったと思われます。
一の文字とは一通の封印した文書のことです。
現代語訳
太祖は初め、曹武惠彬に江南に赴くように命じ,潘美をその副官に添えました。
出立するにあたって,講武殿で酒宴を賜ったのです。
酒がふるまわれました
席上、彬等は帝の御座の前にひざまずき、軍律違反に対する指示を願い出ました。
帝は懷中から一通の封印した書翰を取出し,曹武惠彬に手渡して言ったのです。
「処分の仕方はこの書簡中にある。副将以下の者が罪を犯したらただちにこの指示書通りにせよ。その処分を私に上申する必要はない。」
二人の臣は恐怖に怖れおののいて退きました。
江南の平定が終わるまで,誰一人として軍律を犯す者はいなかったのです。
帰還してから,再び講武殿で酒宴を賜りました。
酒が三巡りした頃,二人の臣は御座の前に跪き叩頭して言いました。
私どもは幸いにも戦さに敗れることはありませんでした。
先日拝受した処分方法に関する書翰を家に置いておくわけにはいきません
そう言ってすぐに書簡を御前に返納しました。
そこで帝はゆっくりと封を開いて内容を示したのです。
すると、そこには何も書いてありませんでした。
白紙一枚だったのです。
太祖が武力や家臣を掌握する優れた機智は、まさにここにあったのです。
前述の命令を下しておけば,もし開封しても,それが白紙であることを見ることになります。
その際には必ず使者を遣わせてこのことを報告してくるはずだったからです。
彼らが帰還してからこれを見せたのは、初めから臣下を斬ってしまう意図がなかったことを明らかにするためでした。
この方法であれば帝の恩と帝への威敬と両方を獲得できると太祖は考えたのです。
白紙1枚
白紙にはとんでもない深い意味がありました。
軍律に違反したものがあった場合、誰かが必ずその書類を開きます。
それはまさに太祖の考え方そのものが示された唯一の方法だったのです。
実際の戦さでは軍律に違反したものもなく、さらに勝利して帰ってきたのですから、その紙の内容をチェックする必要はありませんでした。
しかし人間なら気になります。
太祖は何を考えている人なのか。
その場で指示書の通りにすればよいという命令なのです。
報告の義務さえないありません。
当然内容を知りたいですね。
そこには何が書いてあるのか。
するとただの白紙だったという事実がわかります。
太祖の真意はどこにあったのか。
軍規に違反者がいても白紙であったらどうするか。
何らかの命令が書いてあるという前提だったのですから、当然伝令を遣わして内容を確認するでしょうね。
当然使者が都に赴くはずです。
太祖には軍律違反者を斬る意思がなかったという事実がそこで明確になります。
上にたつ人間には大きな穴が必要だといったのは作家、司馬遼太郎でした。
その茫洋とした魅力に人は吸い込まれていくのです。
ある意味ではブラックホールに似ているのかもしれません。
細かすぎてはいけない。
しかし常に見ている人でなければならない。
いつの時代も頂上にのぼれば、あとはおりるだけです。
そこまでの道のりの難しさ、責任の取り方こそが人間の器を決めるのでしょう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。