教育改革
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は大学入学共通テストの話です。
ここ数年、さまざまな形で記事になることが多かったですね。
ズバリ入試改革についてです。
書く力を身につけさせたいという気持ちはとてもよくわかります。
PISAの試験で日本があまりいい点数をとれなかったことが、経済関係の会議でも隋分と話題になりました。
覚えていますか。
PISAとはOECDが3年おきに実施する国際的な学習到達度調査のことです。
読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーの3分野にわたって行われます。
対象は高校1年生です。
2019年にPISA2018の結果が発表されたことで、大きな話題になりました。
読解力の結果がそれです。
全参加国、地域内での日本の読解力の順位が8位から15位に下がったのです。
読解力の試験では日本は504点を獲得しており、OECD平均得点の487点を上回っています。
しかし前回と比べ順位が下がってしまったという結果が重く捉えられました。
ここから、自分の考えを他者に伝える能力に問題があるという論点が猛然と湧きあがりました。
どうしたらいいのか。
世界に向けて自分の考えを堂々と発信できる日本人を育成しなければならないということになったのです。
そのためには入学試験の方法をより書かせるタイプのものにしていかなくてはならない。
ちょうど新しい入学試験の在り方が模索されている時でもありました。
すぐに入試改革と直結したのです。
そこから数年間にわたる迷走が続いたというワケです。
英語民間試験
改革の目玉はなんといっても書かせる力を養うことでした。
文科省は大学入学共通テストに英語、国語、数学での記述式問題を導入すると発表しました。
そのトップに躍り出たのが、英語だったのです。
業者の民間試験を入試の代用にするという試案です。
とはいえ、いくつもの検定試験が存在します。
それぞれコンセプトが違い、どれが最も入試に適しているのかなどということは今まで考えられたこともありません。
誰でも知っている英検、TOEIC、TOEFLなどを筆頭にたくさんの試験があります。
これを日本各地で何回か行い、その最も高い得点を入試のデータに使うというものでした。
当初の予定では21年1月の初回テストから実施予定だったのです。
ところが受験生や現場の教師からは猛然と反発が起こりました。
入試となると、50万人の規模になります。
通常の検定試験とは比べものになりません。
さらに受験会場の問題もあります。
都市部を中心に大学などの施設を借りて行うとしても、山間僻地、島しょなどの生徒の受験機会を保障することができるのか。
その費用は受験生の本人負担になるのです。
最も高いケンブリッジ英検などは受験するだけで1回9000円~23500円もかかります。
複数回も交通費や宿泊代を使って受験することが実際に可能なのかどうか。
英語の試験は会場が都市部にどうしても偏ります。
格差を助長することは誰の目にも明らかでした。
もう1つは採点の公平性です。
短い期間に50万人分の答案を正しく採点することは可能なのか。
さらに問題守秘の難しさも当然あります。
入試に絡むとなれば、さまざまなトラブルが予想されます。
結局、文科省は2025年1月以降の大学入学共通テストにおける英語民間検定試験と記述式問題の導入を断念せざるを得ませんでした。
格差助長
問題は英語だけではありません。
国語や数学にもわたっています。
学力の問題に関していえば、高校の国語教科書についてもかなりこのサイトにも書きました。
2015年PISAにおいてすでに「読解力」低下の傾向が見られたことへの見解です。
2022年度から実施される新学習指導要領にそのための施策が盛り込まれました。
高校国語史上最大の方針転換ともいわれています。
現代文、古文、漢文といった従来の教材のジャンルが解体されるのです。
教養的科目と実社会との関わりを意識した科目の2系統に分かれたと考えるのが妥当でしょう。
新学習指導要領が実施されていくにしたがい、「論理国語」と「文学国語」の履修問題はますます複雑になっていくものと思われます。
入試に重点を置く、いわゆる受験校では圧倒的に「論理国語」を履修する学校が増えるでしょう。
これもPISAの試験の結果、つまり読解度に対する焦りから始まっているのです。
1年生の学習では従来通り評論と小説などに時間が配分されるはずです。
問題は2年生からの授業です。
「論理国語」の授業は評論が圧倒的にメインになります。
従来のように2年生で扱っていた小説はほとんどなくなってしまいます。
入試の傾向や、PISAの結果から、経済界としてはどうしても論理的な発言のできる生徒が欲しいのでしょう。
感性に訴えるタイプの生徒はどうなるのか。
日本語は全てが論理で割り切れない構造を持っています。
表現の内容に曖昧さが残るのです。
それが日本語の美しさでもあります。
評論を主体として、入試に対応することはもちろん大切です。
しかしそれ以外の感性を切り捨てていくことがあってはなりません。
免許更新制
免許更新制についても一言だけ述べさせてください。
現場にいるとわかりますが、管理職が最も神経を使っているテーマの1つがこれです。
つまり教員免許をいつ書き換えるのかということです。
少しでも日付を間違えると、失効してしまうからです。
その翌日からは教壇に立てません。
教員本人はもちろんのこと、管理職が忘れていたとしたら、重大な問題です。
問題教師が多いということから始まったこのシステムは完全に目詰まりを起こしています。
1番厄介なのは、途中で講師や臨採を雇わなければならなくなった時、その候補者の免許が失効していることが多いという点です。
やっとのことで先生をみつけたら、その人は有効な免許証をもっていなかったという事実です。
昨今ではブラック労働などといわれ、志望者が減っています。
仕方なく現場では臨時採用を繰り返しながら、なんとか数合わせをしているのが実態です。
講師になってくれる人を探すのが大変なのです。
その中で、教員免許証に絡む手間は大変なものがあります。
現場の教員の声をきけば、実際に行われる研修が、どのような質なのかはよく理解できるはずです。
なかには有効で大いに参考になるものもあるでしょう。
それは否定しません。
しかしクラブや、学校での日直その他を遣り繰りしながらの研修は大変です。
その費用も自分持ちなのです。
このシステムもついに破綻しました。
まもなく廃止になる予定です。
今回の入試騒ぎといい、どうにもやるせない気分になるのは致し方ありません。
事件は毎日、現場で起こっているのです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。