【柳家小三治・落語家論】芸の神髄は守破離の流れに謙虚なこと

まねるとまなぶ

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家のすい喬です。

最近の楽しみはベートーベンのピアノコンチェルトと落語を聞くことです。

コロナ禍でどこにも行けませんからね。

幸い、Youtubeをさがすと夥しい数の動画があります。

その中でもとりわけ見事なのがコンサートの中継です。

ピアノニストの細かな表情から指の先までが本当にシャープに録画されています。

ここのところ、毎日ベートーベンばかり聴いています。

ピアノ協奏曲は見事ですね。

1番も3番もいい。

「皇帝」は絶品です。

ショパンやチャイコフスキー、ラフマニノフもいいですが、やはりぼくにはベートーベンです。

チェロ、バイオリンとのトリオも好きです。

「大公」は大のお気に入りです。

音楽に飽きると、次は落語です。

Bluemount_Score / Pixabay

もう10年以上も聞いていますので、ほとんどのストーリーは頭に入ってしまいました。

後は演者の魅力に引きずられていくだけです。

もちろん、同じ噺でもいくつかのバリエーションがあります。

師匠の教え方によるのでしょう。

かつては3遍稽古と呼ばれました。

師匠が同じ噺を3度してくれるのです。
   
4度目には覚えてやらなくてはなりませんでした。

芸の道でいうところの「守」です。

とにかくまねる。

「まねる」ことが「まなぶ」に繋がるのです。

守破離

守破離という言葉を最初に使ったのは千利休だと言われています。

「守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされているのです。

この考えはあらゆる芸道に通じます。

落語の場合も師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まります。

逆にいえば、噺を聞くだけで誰に習ったかがすぐにわかるのです。

他のバージョンを少しでもやろうものなら、柳家ではそういう教え方はしてないよとすぐに言われてしまいます。

きちんと真打の師匠に教わり、高座でやってもいいという許可がおりない限り、勝手に演じることはできません。

プロの1番厳しいところです。

逆にいえば、アマチュアの気楽さとでも言えるのでしょうか。

あちこちの噺家の型から面白いところをつまみ食いできるのです。

Photo by udono

しかしそれゆえに、芸がプロの前座にも及ばないというのはここから来ています。

所作事、言葉遣い1つにも厳しさが足りないのです。

師匠の教えに従って修業を積みその型を身につけた者は次の段階に進みます。

あまり自分の師匠ばかりに付きすぎると、全くのクローン状態になってしまいます。

この頃から別の流派の師匠などの元へ通い始めるのです。

自分に合ったより良いと思われる型を模索する期間です。

既存のフォルムを「破る」ことができなければ、同じ芸人は何人もいらないという厳しい決断が下されます。

過去にはあまりにも師匠に似すぎているといわれ、自殺した噺家までいました。

それほどに芸の世界は厳しいものなのです。

そして最後は師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立ちます。

その頃になると、既存のかたちに囚われることもありません。

自分の好きなように演じても踏み外すことがなくなるのです。

これが「離」ですね。

つまり型から「離れ」て自在になるということです、

小三治の間

かつて小三治と志ん朝の落語しか聞かない時分がありました。

今はさすがにそこまでかたくなではありません。

かし噺のストーリーを知っていても、つい笑わされてしまうのはやはりこの2人です

どちらかといえば、小三治の間に引き付けられますね。

先日も泥棒の噺を聞きました。

裏は花色木綿で有名な「出来心」です。

特別なストーリーがあるというワケではありません。

ただ間抜けな泥棒がいかにもいたらこうなるだろうなというのんびりした気分にさせてくれる噺です。

アマチュアとしては素直に脱帽です。

どうしたらこの気分になれるのか。

少しも笑わせようとはしてません。

そこが最大の強みですね。

有名な師匠五代目柳家小さんに聞いてもらった時、おまえの噺はつまらねえなと言われたエピソードがあります。

これは本人があちこちで語っています。

どうしたら面白くなるんだとそれからずっと考え続けたといいます。

しかし結論は出ませんでした。

落語家論

そのヒミツがこの本の中にあります。

特に小さんの家に内弟子に入った頃のエピソードはどれも実にふんわりとしていい味です。

掃除の仕方の話では、雑巾の絞り方から、下駄の拭き方、足袋の洗い方に至るまで、細かく書き込まれています。

どうせつらい作業をする期間は2、3年でそれほど長くはないのだから、思い切り若いうちに修行させた方がいいというのが、師匠の考え方だったようです。

あるいはおかみさんの発想だったのでしょうか。

小さんは面と向かって何かを教えるタイプの人ではありませんでした。

芸は盗むものだというのが師匠の基本的なスタンスです。

このあたりも師匠の横顔が実に彷彿として、いい気持ちになります。

叱られて悔しいというのでもなく、不思議な感情をもてあましている小三治の表情もまたみてとれるのです。

全編を通じて最もよかったのが、桂文楽のところへ師匠が入門の挨拶につれていってくれた時のことです。

当時、文楽といえば、名人の名を欲しいままにしていました。

「今度入りました小たけ(小三治の前座名)で…」と彼が挨拶すると、「いいかい。痛いっと思ったらそれが芸だよ」と名人は呟きます。

この台詞はどのようにも解釈可能でしょう。

聞き手が本当に痛いと感じるまで、噺ができるようになれば、それはもう立派な芸だということでしょうか。

あるいは痛いという時の感覚を忘れずに、噺の中に生かせということかもしれません。

そこまでのリアリティを噺の中で展開できる人は、そう多くはないのです。

面白くやろうとしなくていい。

落語はそれだけで十分に面白くできていると小さんはよく語ったと言われています。

つまらないギャグをとばすことも、内輪ネタも不必要なのです。

笑いをとろうとして小器用に振る舞っているうちに、芸の力が衰えてしまうというのが、この世界の怖さでもあります。

痛いと本当にその登場人物の了見になって感じられるかどうか。

そこから噺家の存在が消えてしまうという瞬間があれば、それこそが本当の芸だということなのでしょう。

いずれにしても、なんと遠い道であることかとしみじみ思います。

桂文楽だから言えた台詞なのかもしれません。

彼がよく口にしていたという「あばらかべっそん」の時代も遠くに去りました。

芸は一代のものです。

真の意味でけっして伝承はできないのかもしれないのです。

厳しいといえば、それだけのことです。

しかしそれが芸というものの本質を言い当てているような気もします。

本当の意味で「離」を知った時、それはもう矢の存在を忘れてしまった弓の名人の心境なのかもしれません。

中島敦に『名人』という小説があったのをつい思い出してしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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