「小督と隆房卿・平家物語」清盛の横暴ぶりを示す悲恋に満ちた章段

悲哀に満ちた章段

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『平家物語』の中でも味わいのある段をご紹介します。

小督(こごう)は平安時代後期の女房で、藤原隆房と恋仲でした。

ところが、平清盛の娘である建礼門院の命で高倉天皇の中宮に入内することになったのです。

この結果、小督と隆房の恋は悲恋に終わり、隆房は小督への想いを歌集『隆房集』にまとめました。

小督はその後、高倉天皇の寵愛を受けて高倉天皇の皇子を生みますが、清盛の恨みを買って嵯峨野に隠遁します。

その後しばらくして、藤原隆房の元へ駆け落ちしてしまいました。

後に出家したと言われています。

高倉天皇はそれ以前、身分の低い女性(葵前)とひそかに愛し合っていましたが、その人は間もなく亡くなったことが直前の章に示してあります。

天皇をなぐさめるために小督を差し出した中宮は平清盛の娘です。

隆房も清盛の娘を妻にしていました。

この話をきいた清盛は小督に二人の婿をとられたと怒り、小督は怖れて内裏を抜け出し嵯峨野の地に身を隠してしまったのです。

内裏を抜け出した小督は、天皇の命を受けた源仲国に捜しあてられ、都に連れ戻されてしまいます。

高倉天皇の寵愛はますます深まり姫君が生まれますが、それを知った清盛は怒って小督を捕らえ、尼にして追放してしまったのです。

小督の段は平清盛の横暴ぶりを浮かび上がらせ、やがて平家の滅亡につながる伏線となっている大切な章です。

原文

主上恋慕(れんぼ)の御思(おんおも)ひにしづませおはします。

申しなぐさめ参らせんとて、中宮の御方より、小督殿(こがうのとの)と申す女房を参らせらる。

この女房は桜町(さくらまち)の中納言成範卿(しげのりのきやう)の御娘(むすめ)、宮中一の美人(びじん)、琴(こと)の上手にておはしける。

冷泉大納言隆房卿、いまだ少将なりし時、みそめたりし女房なり。

少将はじめは歌をよみ文をつくし、恋ひかなしみ給へども、なびく気色もなかりしが、さすがなさけによわる心にや、遂にはなびき給ひけり。

されども今は君に召され参らせて、せんかたもなくかなしさに、あかぬ別れの涙には、袖しほたれてほしあへず。

少将よそながらも小督殿み奉る事もやと、常は参内せられけり。

おはしける局の辺、御簾のあたりをあなたこなたへ行きとほり、たたずみありき給へども、小督殿、「われ君に召されんうへは、少将いかにいふとも、詞(ことば)をもかはし文をみるべきにもあらず」とて、つてのなさけをだにもかけられず。

少将もしやと一首の歌をようで、小督殿のおはしける御簾の内へなげいれたる。

思ひかね心はそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし

小督殿、やがて返事もせばやと思はれけめども、君の御ため御うしろめたうや思はれけん、手にだにとッてもみ給はず。

上童(しやうとう)にとらせて坪のうちへぞ投げいだす。

少将なさけなう恨めしけれども、人もこそみれとそらおそろしう思はれければ、いそご是をとってふところに入れてぞ出でられける。

なほたちかへって、

たまづさを今は手にだにとらじとやさこそ心に思ひすつとも

今は此世にてあひみん事もかたければ、いきてものを思はんより、死なんとのみぞねがはれける。

現代語訳

高倉天皇は恋慕の御思に沈んでいらっしゃる。

おなぐさめしようということで、中宮(徳子)の御方から、小督殿と申す女房を参らせられました。

この女房は桜町の中納言成範卿(しげのりきょう)の御娘、宮中一の美人、琴の名人でいらっしゃいます。

冷泉大納言隆房がいまだ少将であった時、みそめた女房です。

少将ははじめ歌をよみ文をつくして、恋い慕いなさいました。

しかしなびく様子もありませんでした。

そうはいってもやはり、情けに心が弱ったのでしょうか、ついには心を寄せることになりました。

しかし今は天皇にお召しを受けて、どうにもならない悲しさに、飽きてもいないのに別れる悲しみの涙に袖がぐっしょり濡れて乾く間もありません。

少将は、よそながらも小督殿を拝見することもできるのではないかと、いつも参内なさっていました。

小督殿がいらっしゃる局の辺、御簾のあたりをあちらこちらに行ったり、たたずんだりして、歩きまわりなさいましたが、小提殿は、

「私は天皇に召されたのだから、少将がどんなにおっしゃっても、言葉も交わすべきではないし、文をもみるべきではない」

といい、人づての情けをもおかけになりません。

少将はもしかして返歌をいただけるかと、一首の歌をよんで、小督殿のいらっしゃる御簾の内へ投げ入れました。

思ひかね心はそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし

(あなたを恋い慕う思うをおさえかねて、心は空に広がっていくようです。みちのくの千賀の鹽竈ではないので、近くても、近くにいるかいがないのです)

小督殿はすぐに返事をしなくてはと思われたかもしれませんが、君の御ため御うしろめたくでも思われたのでしょうか、手にとってさえも御覧になりません。

お側に仕えていた少女にとらせて坪のうちに投げ出されました。

少将はなさけなく恨めしかったのですが、人がみていたら大変だとそらおそろしく思われましたので、いそいでこれをとってふところに入れて退出されました。

それでもやはりもう一度立ち返って、

たまづさを今は手にだにとらじとやさこそ心に思ひすつとも

(手紙を今は手にさえ取ってくれないのですか。いくら心に思い捨てたといっても)

今はこの世で会うことは難しいので、生きて物思いにくれるより、死のうとばかり願いました。

笛の音

高倉院が小督失踪の後も嘆き、彼女の行方を気にかけたのはよく知られています。

ではどうやって見つけ出したのでしょうか。

小督が嵯峨野に隠棲しているという噂を耳にした高倉院は、臣下の源仲国を召し出します。
ちょうど、その日は八月十五夜の日でした。

仲国はしばしば、宮廷で小督の琴の音に合わせて、笛を吹いたことがあったので、小督の琴の音色を聴き分けることができたのです。

十五夜の明月に誘われて小督が琴を弾くに違いないと考えた仲国は、高倉院からいただいた馬を駆り、嵯峨野へ出かけ、琴の音がしないか、と訪ね歩きました。

法輪寺のあたりまできた仲国は、ついに琴の音を耳にします。

その時の曲が有名な「想夫恋」です。

失った人を思い出しながら、懐かしみながら弾くという有名な曲でした。

小督の琴の音だと確信した仲国は、その家に入り込み、案内を乞います。

いったんは断った小督でしたが、仲国が逢えるまで帰らないという決意を示したことから、気の毒に思った侍女の仲介により、仲国と対面します。

仲国は小督に高倉院への親書を手渡しました。

小督は、遠くまで探しに来てくれた院への感謝の心を示し、手紙を仲国に渡します。

帰ろうとする仲国を止めて、酒宴を催し、仲国は男舞を舞います。

やがて酒宴は終わり、小督が見送るなか仲国は馬に乗って帰っていくのでした。

仲介役の源仲国の存在が本当に大きいですね。

八月十五夜、秋の明月の照る嵯峨野の情景を想像してください。

美しいの一言でしょう。

この時の舞の情景は能にもなっています。

『小督』がそれです。

ぜひ、チャンスがあったら鑑賞してください。

人の持つ宿命をこれほどまでに美しく描き出した段は珍しいのではないでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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