【このついで・堤中納言物語】姫君のところへ通う男に心の変化が【子は鎹】

堤中納言物語

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『堤中納言物語』(つつみちゅうなごんものがたり)を読みます。

この作品は平安時代後期以降に書かれた短編物語集です。

1番よく知られているのは「虫めづる姫君」の段です。

教科書にもよく載っています。

女性が虫を好むという題だけで、ちょっと奇妙な感じがしますね。

それも高貴な姫君となれば、それだけでユニークな話になります。

かつて記事を書いたことがあります。

この文章の最後にリンクを貼っておきましょう。

時間のある時にお読みください。

作者、編者についてはよくわかってません。

ただし「逢坂越えむ権中納言」という話だけは、1055年に小式部という女房が書いたと確認されています。

今回の話はいわゆる[歌徳」によって男の心を取り戻したという構成になっています。

歌物語には、このパターンのものが多いですね。

女の人の歌を聞いて、男が心を動かされるという話です。

子供を連れて行こうとした男が、それまでの決心をかえ、とどまった理由とは何か。

そこに最大のポイントがあります。

思ってもみない形であらわれた女性の純情が、男の心を動かしたのです。

それを表現したのが、作中に出てくる和歌です。

内容をよく味わってみてください。

本文

ある君達に、忍びて通ふ人やありけむ、いとうつくしき児さへ出で来にければ、あはれとは思ひ聞こえながら、きびしき片つ方やありけむ、

絶え間がちにてあるほどに、思ひも忘れず、いみじう慕ふがうつくしう、時々はある所に渡しなどするをも、

「今。」なども言はでありしを、ほど経て立ち寄りたりしかば、いとさびしげにて、めづらしくや思ひけむ、かきなでつつ見ゐたりしを、

え立ち止まらぬことありて出づるを、ならひにければ、例のいたう慕ふがあはれにおぼえて、しばし立ち止まりて、

「さらば、いざよ。」とて、かき抱きて出でけるを、いと心苦しげに見送りて、前なる火取を手まさぐりにして、

こだにかくあくがれ出でば薫き物の ひとりやいとど思ひこがれむ

と忍びやかに言ふを、屏風の後ろにて聞きて、いみじうあはれにおぼえければ、児も返して、そのままになむをられにし。

現代語訳

ある姫君のもとへ、人目を忍んで通う男があったのでございます。

たいへん可愛いい子供までおできになったので、男は姫君を大変いとしいと思い申し上げておりました。

しかし男には本妻がいたのです。

この方はなかなかに口うるさい人だったようです。

そんなわけで姫君を訪れることも途絶えがちでした。

しかし時に訪れると、子供は父を覚えていて、とても慕ってあとを追いかけます。

その様子がかわいらしく、時折は自分の住まいへ連れて行ったりすることもありました。

姫君は今すぐ返してくださいなどとも言わずにいたこともあったとか。

しばらくの間があいてから、男は久しぶりに姫君のところへ立ち寄りました。

子供はたいそう寂しそうにしていたこともあり、男は頭をなでながら子をかわいがりました。

ところが、そこににとどまることのできない用事ができ、出ていこうとするのを、子供は連れて行かれるのに慣れてしまっていたので、いつものようにたいそう慕ってあとを追いかけます。

男はたいそう不憫に思えて、しばらくその場に立ちつくしてしまいました。

「じゃあ、こっちへおいで。」と言って、子を抱いて家を出ようしたのです。

しかし姫君はつらそうに見送って、前にあった香炉を手でなでながら、次のような歌を詠みました

(こだにかく あくがれ出でば 薫き物の ひとりやいとど 思ひこがれむ)

子供までがこうしてあなたのあとを追って出て行ってしまったならば、薫き物の火取りという、その言葉のとおり私はひとりぼっちになってしまいます。

これから先、私はどうしたらいいのでしょうか。

今までよりしみじみと言葉を紡ぎ出すのを、男は屏風の陰で聞いていました。

ひどくかわいそうに思われたので、子供も姫君に返し、そのまま、その夜は姫君のもとにお泊りになった、という話です。

残される身のつらさ

この話は姫君の詠んだ歌にすべてのヒントがありますね。

残される女性の気持ちを「ひとり」という言葉に集約したのです。

もちろんもこの表現は「一人」と「火取り」の掛詞です。

日本語は同音異義語がたくさんあるので、短い言葉の中に、たくさんの気持ちを織り込むことができます。

ここでは「薫き物」がその核になります。

なんのことか、ご存知でしょうか。

香炉ときいてイメージがわきますか。

伏籠(ふせご)と表現もよく古文には出てきます。

これはお香を焚きしめるときの道具です。

香炉の上に竹などで作られた籠を置き、その上から衣類を被せます。

すると衣に香りが移りますね。

今の感覚でいえば、オーデコロンを想像すればいいでしょう。

少し遠くからでも、誰が通りかかるのか、すぐにわかるのです。

女性たちは、みな違う香を使っていたようです。

男性はその香りにつられて、女性のところへ会いに出かけました。

そのための香炉のことを別名、「火取」(ひとり)というのです。

あなたがいなくなったら、わたしは結局一人に戻ってしまうという心の表現だと考えてください。

その瞬間、男は心が動きます。

特にこの場合は子供がその間に入るだけに、確かな感覚を覚えます。

こういう情景を昔から「子はかすがい」と言いました。

かすがいというのは材木をつなぎあわせる時に使うコの字型をした金具のことです。

現在ではほとんどみかけることがありません。

漢字では「鎹」と書きます。

何かの拍子に「子供はかすがいだ」と呟く人を見かけたことはないでしょうか。

男と女を繋ぎとめてくれる最後の武器でもあるのです。

今では子供がいても離婚をします。

しかし子供のために思いとどまるということが、全くないわけではありません。

この子がいなかったら、男は姫君の元を早々に去っていったことでしょうね。

この後、どうなったのか。

それはわかりません。

人の生きざまは、昔も今も同じです。

あらためて、古文を読んでいるとそのことが実感されます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

【虫めづる姫君・堤中納言物語】珍奇な人物の特異な人生観を味わう
「堤中納言物語』という古典の中に出てくる姫君はかなり特異な人生観の持ち主です。タイトルは「虫めづる姫君」と言います。とにかく虫が大好きなのです。珍しいのを集めては自分で名前までつけます。どうしてこんなことになったのか。その理由はさて。

タイトルとURLをコピーしました