項羽の最期
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は項羽がこの世を去る時の話です。
垓下(がいか)の戦いというのを御存知でしょうか。
楚と漢が戦っていた紀元前202年の話です。
項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間の戦いが垓下(がいか)を中心に行われたのです。
部下800余騎とともに、漢軍の厳重な包囲を破って脱出した項羽は、淮水を渡り、一路南へ向かって敗走します。
途中、苦戦を続けながら、長江河岸の烏江にたどりついた時には、わずか20数騎になっていました。
この戦いでついに項羽が戦死したのです。
劉邦が完全勝利しました。
この結果、漢の支配する時代が続くことになったのです。
中国を統一した劉邦は、皇帝として即位するにあたって旧来の国号であった漢をそのまま統一王朝の国号として用いました。
この時の戦いの様子は「項王の最期」というタイトルで、教科書に所収されています。
王として再起をはかるのにふさわしい江東に逃げてほしいと宿場の長に言われたものの、その資格が自分になくなったことを悟った項羽は死を選びます。
なぜ決意したのかを語るシーンは、胸にせまるものがありますね。
ちなみに、項羽と劉邦の話は多くの作家が小説にしています。
司馬遼太郎の著作がもっとも定評があるので、ぜひ一読してみてください。
有名な「鴻門の会」の場面も出てきます。
このサイトにもその様子を書きました。
劉邦を甘く見た項羽
沛公(劉邦)が先に秦の都、咸陽に一番乗りしたのです。
先に咸陽に入ったものが王となる約束でした。
劉邦はただちに関所を閉ざしました。
関中に入ることを妨害されたと感じた項羽は、鴻門での面会を要求します。
周囲を固めていた指揮官たちは劉邦を殺してしまえと項羽に進言します。
そうすれば後に禍根を残さないと考え方からです。
しかしそれにも関わらず、項羽は舐めてかかりました。
項羽は秦に滅ぼされた楚の将軍家の血筋で、名将と言われた項燕の孫にあたります。
一方の劉邦はもともと庶民でした。
地方でごく低い官職について生活をしていたので、身分の差は明らかです。
そのために劉邦を甘く見てしまったのです。
その時の心の油断が、後の運命を決定することになりました。
歴史の厳しい現実というのはこういうものかもしれません。
日本でも源氏と平氏の戦いなどで有名ですね。
平清盛が少年だった源頼朝を殺しておけば、後に追われて平氏が滅びることはなかったのかもしれません。
「鴻門の会」については、リンクを貼っておきますので、後でぜひ読んでみてください。
具体的な内容がはっきり理解できるはずです。
書き下し文
項王乃ち東のかた烏江を渡らんと欲す。
烏江の亭長、船を檥(ぎ)して待つ。
項王に謂ひて曰はく、
「江東小なりと雖(いへど)も、地は方千里、衆は数十万人、亦(ま)た王たるに足るなり。
願はくは大王急ぎ渡れ。今独り臣のみ船有り。漢軍至るも、以て渡る無し。」と。
項王笑ひて曰はく、「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西す。
今一人の還る無し。
縦(たと)ひ江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありて之に見(まみ)えん。
縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧(は)ぢざらんや。」と。
乃ち亭長に謂ひて曰はく、「吾公の長者なるを知る。吾此の馬に騎すること五歳、当たる所敵無し。
嘗て一日に行くこと千里なり。之を殺すに忍びず。以て公に賜はん。」と。
乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。
独り籍の殺す所の漢軍、数百人なり。
項王の身も亦(ま)た十余創を被(かうむ)る。
顧みるに漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、「若(なんぢ)は吾が故人に非ずや。」と。
馬童之に面(そむ)き、王翳に指して曰はく、「此れ項王なり。」と。
項王乃ち曰はく、「吾聞く、漢我が頭を千金・邑万戸に購(あがな)ふ、と。
吾若の為に徳せん。」と。
乃ち自刎(じふん)して死す。
現代語訳
項王は東へ烏江を渡ろうとしました。
烏江の亭長は、船を出す用意をして待っていたのです。
亭長は項王にこう言いました。
「江東は小さくはありますが、地は千里四方、人口は数十万人、王となるには十分の大きさです。大王は急いで渡られてください。
今はわたくし一人だけが船を持っています。漢軍は、ここに至っても、渡ることができません。」
項王は笑ってこう言いました。
「天が私を滅ぼそうとしているのに、どうして渡河しようか、いやしまい。しかも、私は江東の子弟8千人と渡河して西進し、今一人の帰る者もない。
たとえ江東の父兄が私を憐れんで王にしたとしても、私は何の面目があって彼らに会えようか、いや、全く会えないのだ。
たとえ彼らが何も言わなかったとしても、私が心に恥じないことがあろうか。」
そして、亭長にこう言いました。
「私はあなたが高徳の人であることを知っている。私はこの馬に5年間乗ってきたが、当たる所敵無しであった。
かつて、一日に千里走ったこともあった。とても殺すには忍びない。あなたに与えよう。」
そして、配下の騎兵を下馬させ、白兵戦を挑んだのです。
項王は一人で数百人の漢兵を殺しました。
項王も十余創の傷を受けました。
項王が振り返ると、そこには漢の騎司馬、呂馬童がいたのです。
項王は言いました。
「お前は私の旧友ではないか。」
呂馬童は顔を背け、王翳に指し示して言いました。
「項王はここにいるぞ。」
項王は言いました。
「私は聞いている、漢は私の首に千金・一万個の邑を掛けていると。私はお前に恩恵を施してやろう。」
そうして、項王は自ら首をはねて死んだのです。
まるで『平家物語』の合戦シーンを読んでいるような気分に陥りますね。
不思議な感覚に捉われたことを告白しておきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。