【文学の仕事・加藤周一】科学技術の時代に文学が必要な理由【小論文】

学び

文学の仕事

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は文学の持つ役割について考えてみましょう。

文章の一部分は令和3年、都立立川高校の推薦入試に課題文として出されたものです。

タイトルに掲げた文は、評論家、加藤周一氏の『私にとっての20世紀』に収録されています。

高校の『文学国語』の教科書にも「文学の仕事」という表題で所収されているのです。

書き出しの部分が加藤周一の心の声、あるいは覚悟に聞こえるのはぼくだけでしょうか。

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文学がなぜ必要かといえば、人生または社会の目的を定義するためです。
文学は目的を決めるのに役立つというよりも、文学によって目的を決めるのです。

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この文章がそれです。

人が生きる目的を文学が手助けするという論点です。

確かに科学技術は今日、さまざまな恩恵を与えてくれています。

しかしだからといって、生きる目的を探し当ててくれるかといえば、それは大きな疑問です。

そのことは次の文章にも示してあります。

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どうしたら経済的にうまくいくか、みんなが豊かになるかというのは、科学技術から出てくるかもしれない。

家が大きくなって庭が広くなる。

しかし、ではそれから何をするかということはそこからは出てこない。

もう少し長期的にある生き方を選ぼうとするならば、そのときに参考になり得るのは文学だと思います。

人生の意味

この文章はやはり、重いですね。

実感に満ちています。

人生に意味があるかどうかを考えるのが、文学の役割だと彼は主張しているのです。

しかし同時に、今日の文学は商業化され、人生の意味を考えていこうなどと、考える人にとって文学はほとんど役に立たなくなったといっています。

その後に出てくるのが孔子の話です。

『論語』はご存知ですね。

この部分は具体例として、実に当を得ています。

それを立川高校では令和3年の小論文入試に使いました。

もちろん、加藤周一氏の論点はその後も続くのですが、それをカットしても、ここだけで有用だと考えたのでしょう。

ユニークな課題なので、ここに再録してみます。

課題文

人間の活動は感情や感覚やいろいろな要素が入っていて、単に知的な問題ではないから、別な言い方をすると、一種の情熱がないと何事もできない。

しかし、情熱だけだとまた危険です。

知的な操作と思考力と、それからデータにもとづいて現状を判断するための正確な判断というものがなければ危ない。

しかし、だからといって知的な活動が目的を設定すると思うのは見当違いな期待で、そういう目的は知的な活動のみからは出てこない。

たとえば、孔子の牛のはなしを考えてみましょう。

孔子は重い荷物に苦しんでいる一頭の牛を見て、かわいそうに思って助けようと言った

すると弟子は中国にはたくさんの牛が荷物を背負って苦しんでいるのだから、一頭だけ助けたってしようがないのではないかという。

孔子は、しかしこの牛は私の前を通っているから哀れに思って助けるのだと答える。

それは第一歩です。

第一歩というのは、人生における価値を考えるためには、すでに出来上がった、社会的約束事として通用しているものから、まず自らを解放することです。

たとえば牛に同情するのだったら、統計的に中国に何頭の牛がいて、それに対してどういう補助金を与えるとか動物虐待をやめるような法律を作るとかさまざまな方法でそれを救う必要がある。

それは普通の考え方です。

その普通の考え方から解放される必要があるのです。

どうしてその牛がかわいそうなのかという問題です。

たくさん苦しんでいるのだから一頭ぐらい助けてもしょうがないという考えには、苦しんでいる牛全部を解放しなければならないということが前提にある。

なぜ牛が苦しんでいるかへの答にはなっていない。

牛が苦しんでいるのは耐えがたいからこたえた牛を解放しようと思う、どうしてそう思うかというと、それは目の前で苦しんでいるのを見るからです。

だから出発点に返る。

やはり一頭の牛を助けることが先なのです。

設問

「同情」と「共感」については、さまざまな定義が考えられますが、ここでは以下のように定義するものとします。

「同情」…つらい状況にある人や問題を抱えている人をかわいそうだと思う感情。

誰かの気持ちや問題を理解して気にかけていることを示すこと。

「共感」…その人の立場に身を置くことによって、他者の感情や経験を理解する能力。

以上の定義を踏まえて次の【課題文】を読んだとき、「牛を助ける」ために大切なものは、「同情」と「共感」のうちどちらだと思いますか。

あなたの考えを【課題文】の内容に触れながら、その理由を含めて360字以内で述べなさい。

その際、論の展開を意識して複数の段落で書くこと。

なお、あなた自身の体験談は入れなくても構いません。

これが設問の全てです。

同情と共感

この問題は「同情」と「共感」という2つの言葉の違いがポイントです。

どの程度理解しているのかを明らかにしなくてはいけません。

筆者の論点を受験生にまとめさせる、という面白い構成になっています。

「文学の仕事」というレベルを、ある意味で突き抜けた設問です。

あまり「文学」に指針を振り切って書くと、評価は低いものになるでしょう。

この2つの用語は、よく使われますね。

しかし両者の違いは決定的です。

同情(Sympathy)は、他人の状況を思いやり、支援する能力です。

共感(Empathy)は他人の状況や感情を読み取って共有し、効果的かつ適切な方法で対応する能力です。

ここで筆者は牛に同情するのなら、統計的に中国に何頭の牛がいて、それに対してどういう補助金を与えるとか動物虐待をやめるような法律を作るとか、さまざまな方法でそれを救う必要があると述べています。

これがキーセンテンスです。

同情の限界を示しています。

目の前の現実は牛が苦しんでいるという事実そのものです。

だから孔子は牛を解放しようと思ったのです。

なぜか。

それは目の前で苦しんでいる牛を見たからです。

この時の感情は同情でしょうか、それとも共感でしょうか。

あなたはどちらを選びましたか。

文章を追いかけていけば、当然どちらかの考えに流れ着くのではないでしょうか。

試験の問題はそこまでですが、実際の評論は、この後、さらに劇的な展開をします。

筆者は劇作家、木下順二の作品「巨匠」に触れ、ナチの将校と俳優とのアイデンティティをかけたやりとりが繰り広げられるのです。

最後は一斉射撃でそこにいた人々が殺されるという、凄惨な幕切れになります。

関心のある人はぜひ、元の文章にあたってみてください。

加藤周一の目の確かさに、気づくことと思います。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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