猿の彫り物
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は漢文を少し勉強しましょう。
『韓非子』20巻55編は法家の代表的な思想家である、韓非の著述を編集したものです。
韓非ははじめ儒家の荀子に学びましたが、のちに法家に転じました。
法制と君主権の確立が最も大切であるという立場になったのです。
「仁」の政治を行おうとする儒家とは正反対のベクトルをもった思想です。
今回の内容は、韓非の政治論を証明するのに、恰好の説話です。
彼はなるべくわかりやすく、自分の考えを説いていきました。
「燕」「衛」「鄭」はいずれも周代の国です。
中国ではかなのりはやい時期から、玉や象牙などの加工品がたくさん生まれました。
ぼく自身、紫禁城を訪れた時、あまりにもみごとな象牙の彫り物に感心したものです。
微細な彫刻品が、象牙の中に浮かんでいました。
その周囲に細かな筋彫りがしてあるので、普通なら、絶対に不可能なのです。
どうやってあれだけのものを掘り上げたのか。
今でも強く記憶に残っています。
地方の豪族や大名たちが、こぞって珍しいものを集めようとした気持ちがよくわかります。
当時は「客」と呼ばれる「食客」が多くいたのでしょう。
それぞれが独自の技術を持ち、富裕な人に取り上げてもらおうとしたに違いありません。
もちろん、言論の分野で政治を司ろうとした人たちもいたはずです。
ここではとんでもない職人技をもった食客の存在がクローズアップされています。
大名に難題をふっかけて、金銭をだまし取ろうとする輩の姿が実に滑稽に描かれています。
燕王ができそうもない清浄無垢の生活を目の前でやらせようとする態度に、食客の本性が透けてみえます。
本文を書き下し文にしました。
読んでみましょう。
本文
燕王微巧を好む。
衛人(えいひと)曰く「臣能く棘刺(きょくし)の端を以て母猴を為(つく)る。」と。
燕王之を説(よろこ)び、之を養ふに五乗の奉を以てす。
王曰く「吾試みに客(かく)の棘刺の母猴を為るを観ん。」と。
客曰く「人主之を観んと欲せば,必ず半歳宮(きゅう)に入らず、飲酒食肉せず、雨霽(は)れ日出づるとき、之を晏陰(あんいん)の間に視て、棘刺の母猴乃(すなわ)ち見るべきなり。」と。
燕王因(よ)りて衛人を養ふも、其の母猴を観る能(あた)はず。
鄭に台下の治者有り、燕王に謂ひて曰く「臣は削(さく)を為る者なり。
本文諸々の微物は必ず削を以て之を削(けず)る。而して削るところ必ず削よりも大なり。
今棘刺の端は削鋒(さくほう)を容(い)れず。
王試みに客の端を観よ。
「能くすると能くせざるとを知るべきなり。」と。
王曰く、「善し」と。
衛人に謂ひて曰く「客、棘削の母猴を為るに、何を以てする」と。
曰く「削を以てす。」と。
王曰く、「吾之を観んと欲す。」
客曰く「臣請ふ舍に之(ゆ)きて之を取らん。」と。
因りて逃る。
注 棘刺(きょくし) イバラのとげ
母猴(ぼこう) 猿
削(さく) 鑿、小刀
現代語訳
燕王は、微細な細工を好みました。
衛人が言いました。
「茨の棘(とげ)の先端で私は猿を作れます。」
燕王は之を喜び,彼を養うのに車五台の格式の俸給を与えたのです。
王は言いました。
「私は、試しにあなたの作るという茨のとげの猿を見たい。」
衛人は言いました
「王が、これを観たいとお思いでしたら,必ず半年間は後宮に入らず,お酒をお飲みにならず肉を食さず,雨が晴れて日が出るとき、この陽と陰が交代するわずかの間であれば,茨の棘で作った猿をお見せしましょう。」
そこで燕王は、この衛人を養いましたが、その猿をみることがはできませんでした。
鄭の国に、国に雇われた鍛冶屋がいて、燕王に言いました。
「私は鑿を作る者です。様々な細工物は、必ずこれを使って削ります。そこでできるものは必ず作った鑿よりは大きいものなのです。
茨のとげの先端には、鑿の先を入れることが出来ません。
茨の棘を削ることはとても難しいのです。
王様、試しにその職人の鑿を調べてみて下さい。本当か嘘かをを知ることが出来ましょう。」
王は答えました「善し。」
そこで衛人に告げました
「あなたは茨を削るのに何を用いるのか」
「鑿をつかいます。」
「私はそれ見たい。」
そこで職人が言いました。
「どうか、私に宿舍に行き鑿を取ってこさせて下さい。お見せしましょう」
そのまま男は逃げてしまったということです。
法が国の基軸
この話の面白さは、とんでもない難題をふっかけるところにあります。
①半年間は後宮に入らないこと(女性と戯れない)
②お酒を飲まないこと
③肉を食べないこと
④雨が晴れて日が出るわずかな瞬間をとらえること
この4つの約束をきちんと守れない限り、猿は見られないというのです。
それでなくても王と名のついた男にとって、幾つもの難題を全てクリアするのは、とんでもないことに相違なかったはずです。
それを最初からわかっていて、言ったところにこの男の本音が見えます。
意外だったのは、そこに鑿をつくる鄭の人が登場したことです。
食客の嘘を瞬時に見抜き、なんとかギャフンと言わせたかったのでしょう。
案の定、食客は逃げてしまいます。
鍛冶屋は王にこう言ったのです。
物事を計るのに、基準と為る度量がないならば、棘のとげを彫刻するというような荒唐無稽なことを論じる言説の士が多くなるのです。
だからこそ、国には「法」という明確な基準が必要なのです。
そうでないと国がつねに不安定なものになります。
『韓非子』はここから、国を成立させる基準は「法」であるという思想を説いています。
儒家のいう「仁」には、なんの基準もないと彼は言いたかったのでしょう。
法家の持つ基本的な考えを、ちょっとおかしなたとえ話にしたと考えれば、わかりやすいと思われます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。