舌打ちの意味
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は「言葉」と「表情」という2つのキーワードについて考えてみます。
この両者はどのような特徴を持っているのでしょうか。
その中で、ここでは誰もがとっさにしてしまうことのある「舌打ち」に着目してみます。
人はどういう時に舌打ちをするのでしょうか。
「チッ」という音は、日本語の50音図には入っていません。
だから全く意味がないというワケではないのです。
言語体系の外にありながら、深い意味を持つことばの役割を果たしています。
舌打ちは本心の感情をあらわす装置に似ているのです。
誰にでも経験がある怖い経験だともいえるでしょう。
外国では舌で音を鳴らす行為が、ポジティブな意味を持つこともあると聞きます。
しかし日本ではマイナスの印象の方が強いですね。
相手の感情を一気に悪くしてしまいます。
もっとも舌打ちは、いつも他人に対してだけするものではありません。
自分自身に対してする場合もあるのです。
ところがこの音を聞いた人は、当然不快感を覚えます。
基本的にプラスになることはない、といっていいのではないでしょうか。
舌打ちをする心理を細かく分析していけば、面白い発見が多数あることと思います。
しかしここでは心理的な側面を脇において、「言葉」との関係をさぐってみます。
この文章は、かつてお茶の水女子大学の入試に出題されたものです。
筆者は言語学の研究者、滝浦真人氏です。
課題文
舌打ちというのは、不満や苛立ちといった感情が音になって表面に現れたものです。
感情が顔などに出たものを「表情」と呼ぶのだとすれば、舌打ちはむしろ表情と似ていることになります。
意図的に表情を隠したり職業的に一定の表情をつくることに慣れている人でも、ふと自然の表情を見せてしまう瞬間は必ずあります。
もしも、意図せずして顔から完全に表情が消え去ってしまったら、人はそれを病気と呼ぶでしょう。
表情とは決して仮面のようなものではなく、つい図らずも顔に出てしまう喜怒哀楽の感情のことだと言うべきなのです。
そして、私たちが人の表情の中に「本当の」気持ちを読み取ろうとしたり、人の無言の表情がすべてを物語っているように感じられたりするのも、私たちが表情というものを、「不意に吐露された」内面として理解しているからにほかなりません。
顔の表情にならって、つい「ことば」に出てしまう感情のことを、ことばの表情ないし表情的なことばと呼ぶことができます。
今世紀を代表する言語学者の1人であるヤコブソンは、この点に着目して、ことばの持つそうした働きを「情動的・表情的機能」と呼んでいますが、つい出てしまう舌打ちは、とりもなおさずその1つの典型であることになるでしょう。
つまり舌打ちとは、不意に吐露された「表情」の形態なのです。
ここで「表情的」ということを「非意図的」と置き換えて考えてみましょう。
すると、伝達の意図がないことと結果として伝達が生じてしまうこととは別の事柄だということに気づきます。
意図がないのに伝わってしまうとき、そのコミュニケーションの過程には、勘違いがあるか、そうでなければ真実があるかのどちらかでしょう。
伝えようという意図がない以上、そこには「嘘」という意図も入る余地がないからです。
顔の表情にせよことばの表情にせよ、私たちがしばしば「表情は嘘をつかない」と感じている原因はそこにありますし、他人の舌打ちから直ちに「意味」を読み取ろうとする理由もそこにあるでしょう。
設問
入試小論文の設問は以下の通りです。
コミュニケーションの場における「言葉」と「表情」について、あなた自身の考えを600字以上800字以下で述べなさい。
設問は何を求めているのでしょうか。
それが問題を解く時のカギです。
ポイントは設問にある通り、「言葉」と「表情」です。
この2つを対立軸にして捉えるのが基本です。
ただしこの文章を抜け出て自分の言葉で書ききるのは、それほど容易いことではありません。
どうしても自分の経験をもとにして、つい書き始めてしまう傾向があります。
特に「舌打ち」などという経験は、不愉快な事実の連続でしょう。
友人との軋轢だとか、自分の心理状態などを扱った文が、中心になりそうな予感がします。
ところがここでのポイントは、そうではありません。
どうしたら舌打ちをしないで、楽しく日々を暮らせるのかというテーマは、全く別の次元のものになります。
あくまでも、「言葉」と「表情」の関係に着目しないと、全体の文章が完全に崩れてしまいます。
表情は言語の体系の外にある、という事実をまずおさえましょう。
だからといって、コミュニケーションには欠かせないものです。
言葉と同様に重要な意味を持つ伝達手段です。
では言葉は大切ではないのか。
とんでもありません
中心的な役割を果たしていることに間違いはないのです。
文章のまとめ方としては、「言葉」に重点をおくか、「表情」に重点をおくかで、方向性がある程度見えてきます。
あなたはどちらの視点から書く方が楽ですか。
採点者の立場からいえば、どちらでもかまいません。
ポイントは整合性です。
言葉か表情か
表情の持つ意味は想像以上に大きなものがあります。
当然、舌打ちもここでの大切なアイテムでしょう。
いくら言葉を飾ったにしても、それを語る時の表情をみれば、ほぼすべての意志が見通せるといってもおかしくはありません。
言葉で伝えられることには自ずと限界がある、という論点が1つ成立するでしょうね。
もう1つはまったく反対の立場です。
表情によるコミュニケーションが、大切であることは間違いがありません。
確かに非言語的な要素をもった情報に満ち溢れています。
しかし言葉の持つ意味は、明確そのものです。
表情だけでは誤解が生じることも、多々あるのではないでしょうか。
コミュニケーションにとって、最も大切なのは、やはり言葉が優先すると考えます。
これも1つの方向性です。
そこに自分の経験が加われば、なお理解しやすい文章になるのではないでしょうか。
ポイントは言語と非言語です。
ノンバーバル・コミュニケーションという言葉がある通り、ことばに頼らない伝達も非常に大切であることはいうまでもありません。
あなたはどちらの立場をとってもいいのです。
ただしそれを選んだら、論理の整合性を存分に確認してください。
どんなことがあっても舌打ちの持つ、心理的側面だけに引っ張られてはいけません。
その点だけは十分に注意することです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。