心の四季
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
吉野弘という詩人をご存知でしょうか。
彼の代表作「祝婚歌」はよく結婚式などで披露されますね。
1度くらいは、どこかで聞いたことがあるのではないかと思います。
柔らかな詩の魂を持った人です。
高校では「I was born」という詩を学びます。
これもすごい詩です。
記事にしたことがあります。
リンクを貼っておきましょう。
時間のあるときに読んでみてください。
詩人には普通の人には全く見えない特別な風景が、感じとれるのです。
羨ましいほど、繊細な感性です。
ぼくは高校時代、合唱をやっていました。
その頃によく聞いた組曲が「心の四季」です。
その第1番目に登場するのが「風が」という曲名の歌です。
とにかく詩がいい。
文句のつけようがありません。
ご紹介しましょう。
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風が
風が桜の花びらを散らす
春がそれだけ弱まってくる
ひとひら ひとひら 舞い落ちるたびに
人は 見えない時間に吹かれている
光が葡萄の丸い頬をみがく
夏がそれだけ輝きを増す
内にゆかしい味わいを湛え
人は 見えない時間にみがかれている
雨が銀杏の金の葉を落とす
秋がそれだけ透き通ってくる
うすいレースの糸を抜かれて
雪がすべてを真っ白に包む
冬がそれだけ汚れやすくなる
汚れを包もうと また雪が降る
私は 見えない時間に包まれている
包まれる感触
最近、時は過ぎていくものだということを感じます。
普段は全く考えもしないのに、突然そんなことを思うのです。
昔の時間はどこへ行ってしまったのか。
不思議で仕方がありません。
みんな思い出になってどこかへ消えてしまいます。
残っているのは自分の記憶の中だけです。
吉野弘は見えない時間に人は吹かれ、磨かれると表現しています。
「私は包まれている」という感触は、詩人だけのものなのでしょうか。
人は本当に見えないものと対決をしながら、生きているのかもしれません。
同時に、それに身を委ねるということの心地よさを、また味わうことも可能なのです。
実はそれこそが詩人の願ったことなのです。
見えない時間をどれだけ意識したかで、人の価値は決まります。
声高に叫ばなくてもいい。
自然のいとなみにただ耳を傾け、自らを空しくすることで、世界は豊かになるのかもしれません。
雪の風景
この詩に曲をつけたのは高田三郎氏です。
「水のいのち」が最も有名ですね。
聞いていると、時の彼方に吸い込まれてしまいそうになります。
ゆったりとたゆたって揺られているような、心地の良さを感じます。
あわせて鑑賞してください。
吉野弘の故郷は山形県酒田市です。
最上川が日本海に流れ出るのを利用して、内陸から米を運びました。
ここから京都、大阪へ輸送したのです。
日本海に面した古い町です。
冬にはたくさんの風が吹き、雪も舞います。
きっと彼は目の前の風景が雪に覆われていく様子を、いつも眺めていたのでしょう。
汚れたものを包もうとして、雪がまた降るという最後のところは雪国にいた人にしかわからない感覚があります。
それが見えない時間なのです。
どこから来てどこへいくかわからない時に包まれて、人は生きていくというワケです。
悲しいのでもない。
嬉しいのでもない。
まさにそうするだけの生なのです。
1度、この合唱曲をきいてみてください。
動画がいくつもアップされています。
見えない時間を意識することは本当に難しいです。
しかし時は確実に過ぎ去っていきます。
時の感触
『徒然草』にはこんな言葉があります。
「沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるがごとし」。
ご存知でしょうか。
至言というほかはありません。
昔の人はちゃんとみていたのです。
遠いと思っていたものが、しらない間にやがて近くにやってきます。
古今和歌集には次のような歌もあります。
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
在原業平の歌として知られています。
人間の「死」をうたっています。
『伊勢物語』にも出てきますね。
吉野弘は本当に多くの人に愛され続けてきました。
詩集というのは、それほど売れるものではないとよく言われます。
谷川俊太郎のような感性も、詩人の持つ生き方の1つです。
しかしそれと同じくらい、吉野弘のこの穏やかで確かな感覚にも驚きを覚えます。
これといって、何がどうしたということはありません。
ただ日常の時間が、自然に過ぎていく。
そのことがいいとか悪いとかいう判断とは、全く関係がありません。
雪が汚れをを消すように、再び降る。
それを詩人は黙って見ているのです。
その眼には透徹した寂しさや愛おしさがあるのでしょう。
人間の生とは、そうした静かな響きを持ったものなのかもしれません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
