高校は既に義務教育
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
長く教師をしてきました。
その間に教育を取り巻く状況は、ものすごい変化をしています。
学校は社会の鏡です。
さまざまな問題を抱えているのです。
その中でもっとも難しいテーマの1つが不登校です。
学校に行けない小中学生が昨年度には24万人を超えました。
小学生が約8万人、中学生が約16万人です。
高校も長期欠席の生徒が約12万人になろうとしています。
ぼくが現役の教師だった頃も、不登校の生徒は一定数いました。
ただし高校の場合は出席日数の制限があるので、年間欠時数の上限を超えると、在籍できません。
留年か退学をしなければならないのです。
その結果、基本的に登校している生徒は、卒業まで面倒をみるという形にならざるを得ませんでした。
高校は事実上、義務教育といっても間違いではありません。
そのため、学習意欲の少ない生徒が多い学校の場合、中間、期末テストの前に、練習問題という名前のプレテストをします。
ほぼ本番の試験と同じ内容なのです。
そうでもしなければ、かなりの生徒が赤点をとってしまうという結果になります。
成績を認定しない限り、単位がとれませんから、仕方なくやっているワケです。
生徒はやむなく登校してきます。
年間欠時数を常に計算しながら、なんとか形だけは取り繕うというのが実情なのです。
人間関係などが原因で退学する生徒ももちろんいました。
現在はかつての比ではありません。。
しかし彼らも、通信制やサポート校に入りなおし、高校卒業の資格だけは、なんとか取得しようとします。
もちろん、うまくいかず、そのまま進級を諦めてしまう生徒もいるのです
これが偏差値で輪切りにされた、現在の高校の実態なのではないでしょうか。
近年は、人間関係がつくれない生徒のために、単位制やチャレンジ校などといった特別な枠組みの高校も用意されています。
入試の段階で内申書がいらない学校もあるのです。
面接と作文、志望理由書の合計で合否を決めています。
不登校生の増加
近年なぜこれほどに不登校生が増えたのでしょうか。
簡単に断定することはできません。
理由はいくつも考えられます。
この数年、中学校で毎日、生徒の様子をみています。
今まで、不登校生徒の割合は全体の4%程度でした。
ちなみに「不登校児童生徒」とは 「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」とされています。
年間30日というのがどの程度のものなのか、あなたは想像できますか。
朝から一日中欠席する生徒もいれば、2時間目、3時間目にくる生徒もいます。
午後に顔を出すケースもあったりします。
あるいは気にいらない先生の授業にだけ、顔を出さないケースもあります。
4%というのは、100人の新入生がいたとしたら、各クラス1人です。
最近はとてもこの平均値では語れませんね。
原因は何か
多くの生徒は小学校時代にも、不登校を経験しているようです。
中学校に入ったら、やり直そうとして頑張っている生徒もいます。
しかし真面目な性格の人ほど、疲れてしまうようですね。
コロナ禍が原因になったことも否定できません。
臨時休業なども多く入り、学校側も無理に登校を促しませんでした。
リモートで授業を見ていればよかったということもあります。
当然、生活リズムが乱れやすかったということも考えられます。
人間関係がうまく作れなかったという理由もありそうです。
昨今の交友関係は、以前とはかなり違います。
いじめなどの記事を読むと、その数の多さに驚かされます。
報告があったものだけで、小中高校など合わせて61万件を超えたというのです。
実際に暴力を受けたなどというのとは、内容がかなり違います。
パソコンやスマホを使っての、中傷やいやがらせがメインなのです。
ラインの応対などには生徒同士、かなり神経を使っているのが、よくわかります。
あまり親しくない人ともアカウントの交換をしてしまうと、その後の付き合い方が大変厄介なのです。
既読でスルーしてしまうと、相手がどう思うだろうかという判断がつねにつきまといます。
神経がかなり消耗するのだ、とよく生徒は話していました。
グループなどにも一度入ってしまうと、なかなか抜けることができません。
別のグループを立ち上げて、さりげなく前の人間関係と違うものをつくったりされると、神経質な生徒は、かなりショックを覚えるようです。
中学校の場合は、地域が固定化されていますから、新しい関係を作りたくても、以前の人間との交遊もあります。
こんなことに悩んで学校にいけなくなるのかという驚きを、ぼく自身、何度も経験しました。
教師との関係も当然あります。
自分にあわない価値観の教師と、どう向かい合うのか。
これも大きな登校拒否のテーマです。
親が試される時代
学校にいかないという選択は、「普通」のラインから外れることを意味します。
大袈裟にいえば、日本人の価値観の基本から逸脱してしまうのです。
それだけで、大きな意味を持つのは言うまでもありません。
世界全体が正解のない時代の渦中にいます。
どのような生き方をすることが、最も幸せなのか。
当然、親は考えるでしょう。
大きく破綻しない人生を過ごしてもらいたいと考えている親ならば、それが日常の会話にでてこないはずはありません。
親は、子どもの将来のことを常に気にしているものです。
それと同時に「世間体」というものの、しがらみにとらわれています。
子供は自分がたどっているコースが、親の希望にかなったものであるのかどうかを、たえずチェックしています。
当然、学業のことも心配になるでしょうね。
学校の成績が、将来の生活を決定する大きな要素であることに、かわりはありません。
どうしても学校中心の生活を、イメージしてしまいがちなのです。
登校拒否は、ある意味、親と子がギリギリ本音で話し合う最後のチャンスなのかもしれません。
フリースクール、教育支援センター、ホームスクーリング、塾。
さまざまな選択肢があることを知ることも、親の役割なのです。
解決への道のりはさまざまです。
これが決定的な方法などいうものはありません。
不登校の時代が、最も真摯に自分自身と向き合った時間だったと語ってくれた生徒もいました。
正解はないというのが、ぼくの現在の心境です。
親はある意味で、日々試されているのです。
登校拒否は誰にでもおこりうる、ごく日常の出来事であると考える必要があります。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。