エンパシーとシンパシー
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はコラムニスト、ブレイディみかこさんの文章を読みましょう。
2019年、イギリスの公立中学に通う息子さんについてのエッセイ集を出版しました。
タイトルは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です。
この年の本屋大賞ノンフィクション部門で大賞を受賞しました。
日常生活の視線で、日英の文化を比較した点がユニークだと評判になったのです。
彼女が見つけ出した言葉が「エンパシー」でした。
あなたは、この表現を耳にしたことがありますか。
日本では、「共感」と訳されることが多いようです。
しかし言葉の意味をよく調べてみると、他者の立場に立って、その人だったらどう考えるか、どう感じるかということを想像してみる能力だと書かれています。
それまでいくら探しても、この感覚を意味する適切な日本語が見当たらなかったのです。
そこで彼女は「誰かの靴を履く」という表現をそこに付け加えました。
これはイギリス人がよく使うフレーズです。
自分の都合だけで考えるのではなく、必ず相手の立場になって考えるという意味です。
それにあたる表現がなぜ日本語にないのか。
そのことにも悩みました。
もちろん、他人の靴を履けば、世の中すべてうまくいくわけではありません。
かえって迷惑だということもあります。
日本人の生き方に「エンパシー」という概念はないのでしょうか。
忖度という言葉が全てなのかもしれません。
日本人にとって、周りに合わせて生きていくのは大切な処世術の1つです。
たえず周囲の空気を読んで、世間の側から見ていくことで、万事がうまくいくという考え方が確かにあります。
「エンパシー」とはかなり違いますね。
今日、世界中で最も大切な言葉は「多様性」(divercity)かもしれません。
両者をかけ合わせれば、違う世界に辿り着ける可能性もあるのです。。
それが息子さんの中学校の期末試験に登場しました。
シチズンシップ
自分の子供が、学校でどのような教育を受けているのかは、興味のあるところです。
特に近年のイギリスはEU離脱や移民の問題などで揺れています。
階級格差や貧富の問題など、複雑な要素をたくさん孕んでいるのです。
それだけに市民意識、公共意識をどう教えるのかというのが、大きなテーマであることは言うまでもありません。
彼女の子供が11歳になって始まったのがシチズンシップに関する授業です。
議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、法の本質や地方制度、市民活動やそのための予算の重要性などがテーマなのです。
日本でも中学校レベルになると、公民の授業などで、政治への意識を学び始めますね。
しかし基本的な概念を暗記する、というレベルで終わっているのが実態です。
政治理念を早くから教えることの意味がどこにあるのかという、根本的な問題が解決しているとは言いにくいのです。
それだけにイギリスの教育の内容には驚かされます。
子供だといってやさしく教えればいいというのではなく、政治の本質を正面から教えようとするのです。
このエッセイでは、彼女の11歳になった息子の期末試験の内容が示されます。
テーマは2つでした。
➀エンパシー(empathy)とは何か
②子供の権利を3つあげよ
というものです。
いずれも論述式の試験です。
日本で多く行われている穴埋め式とは全く様相が違います。
いきなりエンパシーとは何かと言われて、父親は焦りました。
子供に向かって、どう答えたのかと訊ねたのです。
それに対して「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いたと答えました。
その部分の文章を抜き書きしましょう。
本文
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の提携表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。
日本語にすれば、エンパシーは「共感」「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。
子供の権利を3つ書けというのは何と答えたのと訊ねると、息子は言った。
「教育を受ける権利、保護される権利、声を聞いてもらう権利。他には遊ぶ権利とか、経済的に搾取されない権利とか、国連の児童の権利に関する条約で制定されてるんだよ」
英国の子供たちは小学生の時から子供の権利について繰り返し教わるが、ここで初めて国連の子供の権利条約という形でそれが制定された歴史的経緯などを学んでいるようだ。
「そういう授業、好きなの」と私が聞くと息子が答えた。
「すごく面白い」
実は私が日々の執筆作業で考えているような問題を中学1年生が学んでいるんだなと思うと複雑な心境にもなるが、シチズンシップ・エデュケーションの試験で最初に出た問題がエンパシーの意味というのには、ほうと思った。
息子は続けた。
EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きている色々な混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。
つまり、他人の靴を履いてみること。
これからはエンパシーの時代って先生がホワイトボードにでっかく書いてたから、これは試験に出るなってピンと来た。
エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
オックスフォード英英辞典のサイトによれば、シンパシー(sympathy)は誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと。
ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為。
同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解、と書かれている。
一方、エンパシーは他人の感情や経験などを理解する能力、とシンプルに書かれている。
つまり、シンパシーのほうは感情や行為や理解なのだが、エンパシーの方は「能力」なのである。
前者は普通に同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうもそうではなさそうである。
ケンブリッジの英英辞典のサイトに行くと、エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている。
つまり、シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出てくる。
だが、エンパシーは違う。
自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。
シンパシーとは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。
理解することの難しさ
それでは「エンパシー」を手にしたら、何もかもがうまくいくのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
意見の違う他人を全て理解するなどということは、到底不可能なのです。
想像力をフルに使い、実際に顔をあわせて話し合うことが1番大切でしょう。
民族、文化、宗教の違いを超えて、どこかに一致点を見いだすことが何よりも必要です。
それができなければ、結局は武力で相手を殲滅するまで、戦うということになります。
最近は、共生という表現をよく耳にします。
しかし実態は非常に複雑で難しいものです。
互いに納得できる着地点がどこにあるのか。
それを探し続けることしか、最善の方法はないでしょう。
そのための大切な考え方が「エンパシー」だというワケです。
圧倒的な想像力を身につけ、相手の立場を推察する。
たとえ激しい論争になろうとも、忖度をしてはいけないのです。
議論を尽くさなければいけません。
イギリスの教育の中に、そうした論争への芽が織り込み済みであることに、大変驚きました。
チャンスがあったら、この本を読んでみてください。
視野が広がると思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。