【デジタル化社会】人間はシンギュラリティ後もAIと共生可能なのか

学び

アナログとデジタル

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はいつもと少し趣きをかえて、2023年度都立高校入試問題の中から論説文を取り上げます。

とはいえ、ここで解答を考えるワケではありません。

近年の出題傾向にのっとった論理的文章を読み解きながら、この問題文を小論文型式の出題にしたらどうなるのかを考えてみようと思ったのです。

テーマはかなり重いものです。

筆者は科学哲学者の信原幸弘氏です。

『情報とウェルビーイング』が出典です。

中学生にとって、この文章を読み取るのはかなり難しかったのではないでしょうか。

使用されている語彙はかなり複雑で専門的です。

幸い、4つの問いは文章に比べると、それほどに難解ではありませんでした。

しかしこの文章に正対して、述べていることを受け止めようとすると、かなり重いです。

後半の主要な論点は真剣に議論されるべき性質のものです。

AIが人間を超えると言われている、シンギュラリティを迎えた時がポイントです。

デジタル情報に人間は駆逐され、従来のアナログ的活動は淘汰されてしまうのではないかという懸念です。

しばらく前から、この種の危惧はかなり語られるようになりました。

この部分の内容を、どの程度理解することができたのか。

正直、かなり不安です。

この文章のテーマを読み取り、それに対して、人間の可能性を800字で論じなさいという問題が提出されるしたら、大学入試のレベルになります。

ここでは課題文として、特に抽象的な後半だけをとりあげてみます。

そこから何が言えるのか。

自分の言葉で論理を組み立てていくことの難しさを体感してください。

現代は論理性を重視する時代です。

高校入試にこれだけの内容が出るということに、衝撃を覚えました。

課題文

私たちの心は現在、脳と身体によって実現されており、それゆえその心の内容は生物媒体のアナログ情報からなるということである。

そうするとアップローディングのさいに心の内容を電子媒体のデジタル情報に変換するということは生物媒体のアナログ情報をそのようなデジタル情報に変化するということである。

たしかに音楽CDが示すように、デジタル情報は限りなく高い精度でアナログ情報をシュミレートすることができるから、そのような変換を行っても、重要な情報が失われるということはないであろう。

しかし、生物媒体のアナログ情報を変換したデジタル情報は元の情報の生物的アナログ性をいわばその「名残」として引きずっている。

アップロードされた心はこのような名残を留めたデジタル情報の集合体である。

そのようなものがはたして電脳空間で生き延びていけるだろうか。

情報は自由になりたがっていると言われる。

電脳空間は電子媒体のデジタル情報がAIのアルゴリズムによって超高速に処理される空間である。

このような電脳空間の特徴にふさわしいあり方をすることが情報にとっての自由であろう。

そうだとすれば、生物媒体のアナログ性を名残として引きずるデジタル情報が、電脳空間においてその名残を引きずったまま維持されることはないだろう。

それはやがて自由を求めてその名残を振り払い、電脳空間にふさわしいあり方へと根本的な変貌を遂げるだろう。

そうなれば、おそらくアップロードされた私たちの心はもはや人間の心ではなくなり、私たちは消滅の憂き目に合うことになろう。

電子媒体のデジタル情報が求める自由は、そのような情報にとってのいわば「ウェルビーイング」であろう。

しかし、それは私たちにとってのウェルビーイングではない。

生物媒体のアナログ情報を基盤とする私たちは、電脳空間へのアップローディングに生存の道を求めたとしても、そこで生き延びるのは難しく、ましてやウェルビーイングを達成するのは至難であろう。

私たちは私たちの基盤である生物媒体のアナログ情報を大切にして、それによって自らの生存およびウェルビーイングを達成するしかない。

そのためには、デジタル情報の集合体と化すのではなく、やはりアナログ情報の集合体のまま、何とかAIと共生する道を見いだすしかないだろう。

AIへの同化ではなく、AIとの共生が唯一の生き延びる道だと思われるのである。

キーワードを掴む

最初に新しい語彙をチェックしておきましょう。

実際の問題には注があります。

ポイントになるべき表現だけここではみます。

ウェルビーイング 人生のよい在り方

ディストピア 暗黒世界

アルゴリズム 計算の手順

基本的にこの3つの言葉は今後も使うことになるので、きちんと理解してください。

この他に、ここには出てきませんが、「シンギュラリティ」という大切な言葉も理解しておいてください。

Free-Photos / Pixabay

AIが人間の知能を上回る時点のことをそう呼びます。

ここではその時に人間が生きて残れる可能性を、どの程度もちうるのかということになります。

さらに最も大切な単語が「デジタル」と「アナログ」です。

この表現の内容が正確に理解できていないと、小論文の試みは成功しません。

2つの概念をここで整理しておいてください。

デジタルのメリットは再現性です。

明確な数値や記号があるため複製が容易にでき、正確な情報共有に役立ちます。

しかし細かいニュアンスを連続的に伝えることは最も不得意です。

人間の感情のような複雑なイメージを、数値で捉えることができません。

いわゆる「揺らぎ」と呼ばれる曖昧さを残すことで、アナログ的な世界はイメージを理解することができるのです。

この違いをこの機会にもう1度考えてください。

AIとの共生

最終的な結論はここに繋げることです。

この表現をうまく利用して、シンギュラリティを迎えた時点から、人間はどうデジタル情報の集合体とうまくやっていくのか。

難しい言葉でいえば、「共生」の可能性を探すということです

筆者も述べているように、AIと同化することは至難です。

その計算処理スピードに人間が追いつくことはできません。

としたら、どのように共生すればいいのかという現実的な問題になります。

このテーマではおそらく筆者の論点を正面から反論するのは、かなり困難なのではないでしょうか。

としたら、論調の方向は、筆者の指摘できなかった内容を付け足すか。

あるいは自分の体験や見聞を利用して、共生するための指針を掲げるという方向に進むのが1番自然でしょう。

筆者の論点にもあるように、ただAIの後を追いかけていったら、人間は彼らに駆逐され、消滅の危機を迎えるに違いありません。

人間がどのような行動をとるのかまで、あらかじめ予測される日がきます。

確かに情報にとっては楽な生き方かもしれません。

しかし人間にとってそれが生存の最後の瞬間になるのは間違いありません。

となれば、人間は自分たちの持っている特性を最後まで手放してはならないということになります。

「揺らぎ」と呼ばれる属性こそが、最後の最も強い武器に変化していくのです。

自らの感覚をどう鮮やかに育てていくのか。

これは難問です。

しかしそれなしに、生きる可能性はないところまできているといっても過言ではないのです。

あなた自身の体験や見聞が、ここでは大きな意味を持ちます。

じっくりと考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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