【社会的ジレンマ】個人の利益を追うと酷いしっぺ返しが【環境問題】

学び

社会的ジレンマ

みなさん、こんにちは、

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は「社会的ジレンマ」という問題を探ります。

この表現を耳にしたことがありますか。

個人の利益と全体の利益とのバランスを、どこでとるかのという問題です。

環境問題などはつねにこのテーマに直面します。

自分だけがよければいいという視点からみれば、ごみの捨て方をここまで細かくする必要があるのかというのが本音でしょう。

たとえばゴミの分別は大変に厄介です。

それぞれの市区町村によって、千差万別です。

それでも基本的に燃えるか、燃えないか。

プラスチックがそうでないか。

その他に瓶、缶、紙ごみ、段ボール、粗大ごみと何重にも分け方が決まっています。

決まった曜日に出さないと、回収してもらえません。

当然、廃棄する場所が決まっています。

実感として面倒なことはいうまでもありません。

ぼくがアメリカの学校を視察に行ったのは、もう随分前のことです。

その時のことを思い出すと、嘘のようです。

カフェテリアで食事をすると、当然いろいろなゴミが出ます。

それを大きな箱の中に、分別することもなく、投げ込みます。

それで終わりでした。

後の処理はどうするのかと訊いたら、埋めるのだという話でした。

国土があまりにも広いと、方法論が全く違うと感心したことを覚えています。

今はさすがにそこまで大雑把ではありません。

しかしリサイクル・一般ゴミ・葉などをいれるオーガニックゴミの3つに分別すると終わりのところが多いようです。

リサイクルからさらに缶・ビン・ダンボール・紙というように分けたりはしないのです。

リサイクルできるものは全て一緒に出してしまいます。

もちろん、州や市によってはかなり細かく分別するところもあるようですが、一緒にして埋めてしまうという捨て方が普通というのが現状に近いと思われます。

今回の課題文を読んでみましょう。

考えさせられる内容がたくさんあります。

筆者は社会心理学者の山岸俊男氏です。

本のタイトルは社会的ジレンマ「環境破壊からいじめまで」です。

1昨年、香川大学教育学部後期試験に出題されました。

課題文

「共有地の悲劇」は、現代では環境問題として私たちの前に立ち現れています。

われわれの一人一人は、環境にやさしい行動をとるかそれとも環境を無視した行動をとるかというかたちで、いつも協力行動をとるか非協力行動を取るかの選択をしています。

あるいは、環境を守るための運動に参加するといった形で協力行動を取っている人もいるでしょう。

一人一人の人間にとっては、協力行動をとるよりも非協力行動をとる方が、個人的には有利な結果を得ることができます。

環境にやさしい行動をとったり、環境を守るための運動に参加するためには、それなりのコストがかかるからです。(中略)

例えば、炭酸ガスの増加による地球の温暖化は、典型的な社会的ジレンマの例です。

一人一人の人間は、自動車に乗ることによって排気ガスを出すかどうか、電気製品を使用することで発電のための石油の燃焼を要求するかどうか、あるいは熱帯雨林に住んでいる人の場合には、林を焼き払って農地にするかどうかといった形で協力行動をとるか非協力行動を取るかの選択を行います。

この場合、それぞれの個人にとっては自動車に乗ったり、電気製品を使用したり、あるいは農地を拡張することが利益につながります。

つまり非協力行動を選択する方がそれぞれの個人にとっては有利なわけです。

ところが多くの人々が全体のことを考えないで自分の目先の利益だけを考えて行動すれば、結局は全員が地球温暖化という大きなコストを払わなくてはならなくなってしまうでしょう。(中略)

私たちがよく目にする「割り勘のジレンマ」も公共財問題の一種です。

仲間で一緒に食事をしながらお酒を飲んだりする機会はよくありますが、そういった場合、一人一人が自分で注文した分を個人的に支払うのでなく、最後に割り勘で支払いをするのが一般的でしょう。

そうなると高額の料理を注文してもコストが全員に分散され、一人当たりの負担が小さくなるので、皆がつい高額の料理を注文してしまいます。

その結果、いざ勘定となると思ってもいない高額になってしまい、青ざめる人が出てきます。

この他にも私たちの身の回りにはこの種の公共財問題は数え切れないほどあります。

実際現代の社会問題と言われているものはほとんどが何らかの形で「公共財問題」ないし「社会的ジレンマ問題」の側面を含んでいると言っても言い過ぎではないでしょう。

社会的ジレンマ問題は結局は個人の利益と全体の利益との葛藤・調和の問題であり人間社会にとって根本的な問題だからです。

個人と全体

設問は以下の通りです。

筆者は社会的ジレンマ問題は結局は個人の利益と全体の利益との葛藤・調和の問題であると述べていますが、このことについて具体例をあげて800字であなたの考えを論じなさい。

かなりアイマイな問い方ですね。

具体例をあけで考えを書けというのですから、自分の身の回りに目を向けなければダメです。

冒頭で、ゴミの捨て方にスポットをあてましたが、このような例が他にもあるでしょうか。

あなたがこれはどうだろうと思ったことを、自由に書いていけばいいのです。

ただし経験を過信してはいけません。

それはたまたま、あなたのそばに起こり、ある結果を出しただけのことで、いつも同じだと信じられる結論に辿り着くのかは、確認できないからです。

あくまでも自分の場合はこのようであったという控えめな論点を忘れないでください。

割り箸とストロー

例はなんでもいいです。

あなたがこだわって実行していることは何か。

それが大切なのです。

例えば、惣菜店で弁当などを買う時、あなたは割り箸をもらうかどうか。

コンビニなどでもレジのところに置いたあったりします。

なかには店員に言わないと、くれないところもあります。

あなたにとっては箸を持ち歩くことは面倒かもしれません。

しかしそのために切られる木材の量がとんでもない量になるのは、誰にも容易に想像できますね。

プラスチックのストローも同じです。

近年、ファーストフードショップでも紙のストローに切り替えるところが増えました。

これも個人にとってはわずかなことですが、地球規模でいえば、その削減量は膨大です。

しかし同時に紙の原料はパルプです。

やはりそこにも資源がからみます。

自動車の使用も同様ですね。

電気自動車にすることでCO2の削減が進むのは、誰もが知っています。

あるいは自動車そのものに乗らず、公共交通を利用するという方法もあります。

これも言うのは簡単ですが、地方へいくと、どこへ出かけるにもアクセスの悪さだけが目立つのです。

少子高齢化の時代、都市部を除いて、公共交通そのものが弱体化しています。

それでも車に乗ってはいけないというのは、ある種の横暴だともいえるでしょう。

全てはどの地点で均衡をはかるのかにあります。

そのあたりの論点をどのようにまとめますか。

自分の意見をきちんと述べるというのが、ここでの主眼です。

ぜひ、練習をしてみてください。

相当、苦しいはずです。

こうしたタテマエとホンネに挟まれた問題は、論理を構築するのが大変に難しいのです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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