日記故事
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『日記故事』という本の中の、とくに有名な一節を読みます。
この書物はいつ書かれたのか、はっきりしたことがわかっていません。
清の時代、村々の塾では故事を集めて、一冊の本にし、これを『日記故事』と呼んだと言われています。
多くの人が知っている古い話を集めたものでしょう。
この内容を元に、人間が生きていくべき道を学んだものと思われます。
主人公は宋の張孝基です。
彼は勘当されていた金持ちの1人息子に救いの手を差し伸べたのです。
その方法がこの文章にはていねいに示されています。
慎重に1歩ずつ行動に移し、その結果をみて更生を確かめた上で、家の財産を息子に返したのです。
孝基は数年後になくなりましたが、すべてを見ておられた上帝は彼を崇山の神にしたといいます。
崇山は古代から山岳信仰の場として有名です。
少林寺などの道教、仏教の道場が建立されました。
多くの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれに力を拡大させたと言われています。
この話の面白さは、張孝基という男がどのようにして、1人の人間の心模様を掴まえたのかという点にあります。
具体的な記述が次々と続き、つい先を読みたくなるように書かれているのです。
1つのドラマを見ているような気分になります。
内容を味わってください。
書き下し文を載せます。
ぜひ、声に出して読んでみてください。
書き下し文
宋の張孝基、同里の富人の女(むすめ)を娶(めと)る。
富人、只だ一子のみ有るも、不肖にして、之を逐(お)ふ。
富人病みて且(まさ)に死せんとするや、悉(ことごと)く家財を以つて孝基に付し、之に与へて後事を治めしむ。
之を久しくして、其の子、道に丐(こ)ふ。
孝基、惻然として謂ひて曰く「汝、能(よ)く灌園(かんえん)するか?」と。
答へて曰く「如(も)し灌園するを得て以つて食に就かば、何ぞ幸ひなる?」と。
遂に灌園せしむ。
其の子、甚だ力(つと)む。
孝基、之を怪しみ、復た謂ひて曰く「汝、能く管庫するか?」と。
答へて曰はく、「灌園するを得ることすら、已に望外に出づ。況(いわん)管庫するをや。又、何ぞ幸ひなる。」と。
孝基、管庫せしむ。
其の子、馴れ謹(つつし)む。
孝基、之を察し、其の能く自(みずか)ら新ため、故(もと)の態に復せざるを知り、遂に其の委(ゆだ)ぬる所の家産を以つて之に帰す。
其の子、家を治め謹め励み、郷間の善士と為る。
数年ならずして、孝基、卒(しゅつ)す。
其の友の数輩、嵩山に遊び、忽ち旌旗騶御(せいきすうぎょ)、野に満ち、守土の大臣のごときを見る。
窃(ひそ)かに專車の者を窺(うかが)ふに、孝基なり。
驚き喜び、前(すす)みて揖(いう)し、其の所以を詢(と)ふ。
孝基曰はく、「吾、財を還すの事を以つて、上帝、命じて此の山に主たらしむ。」と。
言ひ訖(お)はりて見えず。
現代語訳
宋の張孝基は同じ里の金持ちの娘を娶りました。
その金持ちには一人の息子がいましたが、愚かだったため、彼を家から追いだしたのです。
金持ちはやがて病気になり死にました。
すべての家財は孝基に任せられ、これを与えて後事を任せました。
それから、しばらくして、その息子が道で物乞いをしていました。
孝基は(驚き)憐れんで言いました。
「お前は庭や田畑に水やりをできるか?」と。
彼は答えて言いました
「水やりをして食べていくことができれば、どんなに幸せでしょう。」
こうして孝基はその息子に水やりをさせることにしました。
その息子はとてもよくやったのです。
孝基はこれに感心して、またこのように聞きました。
「おまえは倉庫の管理が出来るか?」
息子は答えて言いました。
「庭や田畑の水やりができるだけでも、もう望外の幸せです。まして倉庫を管理するという厚遇を頂けるなら、なおさらです。」
孝基は倉を管理させることにしました。
その息子は仕事を誠実につとめたのです。
孝基はその息子が自ら努力している仕事ぶりを見て、元のようにはもう戻らないだろうと考えました。
とうとう孝基に委ねられていた家や財産を息子に返したのです。
その息子は家を治め謹厳に励み、郷の有徳の名士となりました。
数年たたずに,孝基は亡くなりました。
その友人や同輩が嵩山に赴いた時、たちまちに旌(のぼり)や騎馬が野に満ち、国を守る大臣のようであったといいます。
密かに專車をうかがうと、それは孝基であったのです。
友たちは、驚き喜んで、前にすすみ挨拶をして、その理由を問いました。
孝基は答えます。
「私が家財道具を息子に戻したことで、上帝は私に此の山の主になるよう命じられました。」
言い終えるとその姿はどこかへ消えさり、見えなくなったと言います。
手堅い行ない
人間は誠実でなければなりません。
そして正直でなければ、成功しないのです。
そのことの大切さを後の世の人に伝えようとした話でしょう。
張孝基の偉さは、残された財産の管理を放棄しなかったことです。
普通ならば、自分の懐に入れて使ってしまっても不思議はありません。
しかし彼はそうした行動を全くとりませんでした。
それ以上に、託された息子の心の成長をじっと見守りながら、石橋をたたいて渡ったところにあります。
ここまでできれば、もう間違いがないという確信が持てるまで、じっと我慢したのです。
その手堅さは並々のものではありません。
そして最後に全ての財産を返し終わり、彼の役割を終えました。
その様子を上帝はすべてみていたのでしょう。
やがて彼を崇山の神にしました。
全てが絵に描いたようですが、いかにも中国に昔から伝わっている話らしい大きさと風格があります。
こういう話を村々の塾では好んで扱ったものと思われます。
滅多に読む機会がないので、ぜひ覚えておいてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。