【マンスプレイニング】女性や子供に対する男のマウンティングは最悪

ノート

マンスプレイニング

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は朝刊に載っていたマンスプレイニングのお話を少しさせてください。

聞いたことがありますか。

造語です。

男(man)と説明する(explain)という動詞をくっつけたものです。

男性が女性や子供を見下したような態度をとることを言います。

まさにあるあるですね。

作家のレベッカ・ソルニットは、この現象を「自信過剰と無知」の組み合わせだと言い切っています。

今の言葉でいえばマウンティングですかね。

何かと自分のペースで説明をしたがる。

相手より自分の方が知識があるという態度です。

だからこの勝負はオレの勝ちというワケですかね。

少しでも優勢な分野があればそれを前面に出すのです。

なんでもかまいません。

門地、学歴、知識、資格、特技。

少しぐらいなら愛嬌もあるでしょうが、過剰になってくると、なんとも見苦しい。

きちんと説明をして、納得の上なら、まだ致し方のないところもあります。

しかしどこか醒めた目で不正確な知識を振り回されたのではたまりません。

俗に女、子供といいますが、まとめてなぎ倒してしまおうという魂胆が見え見えです。

商売柄、絶対的に有利な立場にいる人がついとってしまう態度ですね。

教師なんて最悪です。

なんでも教えてやるぞという態度の教師には、生徒もついていけないでしょう。

敬して遠ざけるというヤツです。

難しくいえば、面従腹背というのです。

マウントをとる

近頃はこの表現をよく耳にしますね。

人間はやはり相手よりどこかで優位にたっていたいもののようです。

少しでも自分の得意な分野があれば、そこへ引きずり込む。

さらに説明を加える。

蘊蓄を披露するといえば、理解しやすいでしょうか。

相手がどう思うかなんて気にしません。

マイペースで自分の考えを開陳するのです。

学歴自慢なんて最悪です。

自分の学校歴を披露したいばかりに、相手の出身校を訊く。

これも一種の暴力ですね。

どうにもなりません。

同じ話を何度もするなんていうのもたまらないです。

その度に新鮮な顔をして聞かなくちゃいけません。

相手に平伏しているという恰好だけは、とっておいた方がいいという世間知も働きますのでね。

誠にくたびれることです。

しかしどうにもならない。

相手が上司であったりすれば、覚悟の上です。

一言でいえば「自信過剰と無知」の組み合わせです。

多くのことを知っているという事実は、もうAIの時代には通用しないのかもしれません。

相手を見下したような態度を、自分がひょっとしてとってはいないかという検証は必要ですね。

いつでも冷静に自分を見つめる視点をもっていれば、こんなことにはなりません。

あるいは冷静であろうとしても、血がつながっていたり、夫婦のような関係であると、それが消えてしまうというケースもあります。

このあたりが1番面倒みたいです。

娘に言われて、はじめて気づく父親などという図式はつらいです。

毒母

少し以前には「毒母」という表現をよく目にしました。

娘と母親との関係です。

ここにもマウンティングが作用していますね。

どうしても親は自分が育てた同性には厳しくなるようです。

特に女同士の関係は複雑です。

男親と息子との関係とは本質的に違うのかもしれません。

女性同士はどうしても冷静になれないところがあるような気もします。

これはマンスプレイニングというよりウーマンスプレイニングと呼べそうな気もします。

意趣返しはご法度

だからといってどこかで逆張りを決め込み、マウントをとりにいくということだけは考えない方がよさそうです。

結局ムダなエネルギーを使って、不愉快な決着を見るだけです。

できたら、とぼけ続けることですね。

ご高説を拝聴できて幸せだというような顔をしていれば、相手もそれほどに不快ではないでしょう。

むしろ可愛がってもらえる可能性もあります。

ただのゴマすりでは困りますが、やはりそこは人の世の中。

うまいこと、やりすごす知恵が必要な気もします。

いいじゃないですか。

それでいい気持になってもらえるのなら。

軽い気分でいないと、このレベルの話は尾をひきます。

ついお酒の席で、日ごろの鬱憤が爆発することにもなりかねません。

ご用心、ご用心。

今日はここまで。

じゃあね。

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