【末法の時代・無常観】失意の日々の中で鴨長明が見た光は【方丈記】

無常観

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『方丈記』を読みましょう。

高校時代に少しだけ勉強したことと思います。

火事、飢饉、地震、竜巻などに関する災害の記録は歴史的にみても重要な資料です。

狭い方丈(約3m四方)の庵の中で彼は何を見ていたのでしょう。

実物を模した草庵が京都の下鴨神社近くにあります。

1度覗いてみてください。

こんな小屋を建てて、日野山にそばに住んでいたのか。

寒くて暗くてつらかったろうなというのが率直な感想です。

子供の頃は大変に恵まれていた人なのです。

1155年に京都の下鴨神社の神官、鴨長継の次男として生まれました。

7歳で従五位下となるなど幼少期は思い通りでした。

rawpixel / Pixabay

しかし長明が18歳の頃に父が亡くなってしまいます。

そこから彼の人生は一転して波乱含みの展開となりました。

それでも和歌や琵琶などにエネルギー注ぎました。

『千載和歌集』にも1首入集し、勅撰歌人ともなったのです。

和歌所の寄人にも任命され、後鳥羽院に目をかけてもらいました。

もう少しで河合社(下鴨神社の付属社)の神官に推挙されるところまでいったのです。

しかし思うように人生は進みませんね。

一族の反対で実現しませんでした。

時に長明、50歳。

人生に疲れてしまったのです。

世の中はまさに末法の時代でした。

日本三大随筆

『方丈記』は『枕草子』『徒然草』とよく並び称されますね。

分量からいえば、文庫本50ページ足らずです。

その中に彼の無常観がこれでもかとつまっています。

言葉の使い方がきれいです。

読んでいて心地がいいのは和漢混交文の典型です。

対句が見事に散りばめられていてとても気分がよいのです。

読む文章の典型かもしれません。

声に出してみてください。

人生最後の心境を語った「日野山の閑居」の一節を掲載します。

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おほかたこの所に住みはじめし時はあからさまと思ひしかども、今すでに五年を経たり。

仮の庵もややふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。

おのづからことのたよりに都を聞けば、この山にこもりゐて後、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ。

ましてその数ならぬたぐひ、尽してこれを知るべからず。

たびたびの炎上にほろびたる家またいくそばくぞ。

ただ仮の庵のみのどけくしておそれなし。

ほど狭しといへども、夜臥す床あり、昼ゐる座あり。

一身を宿すに不足なし。

寄居は小さき貝を好む。(注 寄居はヤドカリのこと)

これ事知れるによりてなり。

みさごは荒磯にゐる。

すなはち人をおそるるがゆゑなり。

われまたかくのごとし。

事を知り、世を知れれば、願はず、走らず、ただ静かなるを望みとし、憂へ無きを楽しみとす。

それ三界はただ心ひとつなり。

心もしやすからずは象馬七珍もよしなく、宮殿楼閣も望みなし。

今、さびしき住ひ、一間の庵、みづからこれを愛す。

おのづから都に出でて身の乞匈となれる事を恥づといへども、帰りてここにをる時は他の俗塵に馳する事をあはれむ。

もし人この言へる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。

魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず。

鳥は林をねがふ。

鳥にあらざればその心を知らず。

閑居の気味もまた同じ。

住まずして誰か悟らむ。

現代語訳

およそこの所に住み始めた時は一時的な仮の住まいと思っていましたが、既に5年が過ぎました。

仮の庵もだんだん住み慣れてきて、軒に朽葉深く積り、土居は苔むしています。

事の便りに聞こえてくる都の噂を聞けば、この山にこもって後、高貴な人がお隠れになった例も多く聞きます。

まして物の数では無い身分の者などは、数えきれないほど亡くなったことでしょう。

たびたびの火事で焼けた家も、またどれだけあることか。

ただこの山中の仮の庵だけが、のどかで、恐れることはありません。

手狭ではありますが、夜臥す床があり、昼座る座があります。

わが身一つ暮らすのに、不足はありません。

ヤドカリは小さい貝を好みます。

これは人生で何が大事か、わきまえているからです。

みさごは荒磯にいます。

それは人を恐れるからです。

私もまた、それと同じです。

人生の大事を知り、世を知っているから、願はず、あわてず、ただ静かであることを望みとし、憂いないことを楽しみとしているのです。

この世は心の持ちよう一つです。

心がもし安らかでなければ、象や馬、七つの珍しい宝といった財産があっても、何もならないし、宮殿楼閣を望んでも仕方がありません。

(後略)

乱世に生きる

鴨長明が生まれたのは1156年の後白河天皇と崇徳上皇の対立による保元の乱、1159年の平清盛と源義朝の対立による平治の乱が起こった政変の時代です。

結局、和歌の世界でも名をなすことはできませんでした。

やるせない気持ちを絶えず抱いていたと思われます。

貴族から武士の時代に変化する端境期に生きたのです。

人々の価値観は大きく変化したことでしょう。

この世に確かなものは何もない。

全てのものが移り行くということです。

平氏の世から源氏へと政権も変わりました。

さらに京の都を襲った天災の数々。

山里にこもった長明が心の中の叫びを綴った部分がこれなのです。

閑居生活の中に心の安住を求めずにはいられませんでした。

誰がなんといっても、今がいいのだと信じなければ生きていけなかったでしょう。

暗く寒い夜もあったことと思います。

それでも今がいいと呟く心の動きを想像してください。

現代と何が違うのか。

きっと何もかわりません。

人が生きていくことは実に長くつらい道のりです。

その様子がみえるからこそ、今のような時代にも『方丈記』が読まれ続けているのに違いないのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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