人は哀し
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今まで隋分と長く生きてきたような気もします。
しかしアッという間だったとも言えますね、
人間は哀しい生き物です。
1度その地位を得ると、なかなかそこから降りることを認めようとはしません。
現在、衆議院議員選挙を後ろに控えた某党の総裁選びの真っただ中です。
マスコミもここぞとばかり相乗りして、お祭り騒ぎですね。
最近は世論調査が精細になり、ほぼ結果が読める構造になっています。
よほどのことがない限り番狂わせはありません。
先日の横浜市長選挙も開票時刻と同時に当選確実が出ました。
出口調査の正確な効果もあるのでしょう。
議員というのは、「昔からバッチとったらタダの人」といわれるくらい、当落の差が激しいのです。
まさに落選した瞬間から素浪人になるしかありません。
国会議員の場合、議員宿舎を引きはらわなければならなくなります。
公設秘書がいなくなり、当然のことながら歳費と呼ばれる給料もなくなり、公用車もなくなります。
国会開会中の不逮捕特権も剥奪されます。
全てが消えるのです。
怖いですね。
それまでの条件がよければよいほど、失ったものの大きさが身にしみるというワケです。
どうしても国の存亡より、まず我が身が大切ということになります。
誰を党の総裁にすれば、次の選挙でも自分が生き残れるか。
それだけが目の前からちらついて離れません。
もちろん自分が世話になっているグループの目も気になります。
俗にいう派閥ですね。
にんじん
年末に配られるモチ代もばかになりません。
事務所の維持費も大変なのです。
寄らば大樹の陰というヤツです。
利害損得で動くのは人の世の常でしょう。
そこに義理と人情のしがらみがついて回ります。
パラメーターが多くなりすぎると、あちらにもこちらにもいい顔をしなくてはなりません。
本当に苦しいのです。
党の中央から選挙資金と言われて降りてくる金額にも疑心暗鬼がおきます。
自分よりはるかに多い金額をもらった候補者がいるなどということになると、内心穏やかではありません。
そんなケースがつい前回もありました。
誰とは言いませんが、確か広島の方でしたでしょうか。
だから長く政治家をやっていると、顔つきがだんだん悪くなっていきます。
人間が信用できなくなってくるのです。
昨日の敵は今日の友。
もちろん、その反対もあります。
喩えは悪いですが、目先ににんじんをぶらさげて走る馬を髣髴とさせます。
誰かのために走ったという記録が、次の選挙の時に生きるのです。
あの時の功績、この時の業績や義理が次第に積もって、その候補者の力になっていくのです。
こまめに周囲をまわり、町内会に挨拶をし、結婚式、葬式の挨拶をかかさずに地盤を固める。
俗にいうドブ板選挙の開始です。
選挙カーに乗って名前だけをいくら連呼したところで空しいだけです。
その背後に貸し借りの長い歴史があってはじめて、選挙の公約として結実するのです。
それがこの国の縮図です。
にんじんにあたるものがなんであるのか。
人によって違うと思われます。
スポーツの世界
スポーツの世界は違います。
力がなければ、すぐ降格になるのです。
もちろん、忖度は存在するでしょう。
人の世ですからね。
しかしそれも実力に応じてということなのです。
プロ野球もストーブリーグの話題は移籍と引退です。
毎年、契約更改の華やかな話題の陰で何人もの選手がやめていきます。
サッカーの世界も同じですね。
名門と呼ばれるチームもJ2に降格になります。
ステージ優勝経験のあるチームでも下に落ちていくのです。
これも実力の世界ならではのことです。
しかし落ちるチームがあれば、昇格するチームもあります。
だからある意味はっきりしていていいですね。
当然昇格すればメンバーのギャラは上がることでしょう。
契約金を含めたペイというにんじんがなければ勇んで進もうとはしません。
かつて古代ローマにも似たようなことがありました。
奴隷達は戦いに勝つことによってその身が解放されるという条件があったからこそ、勇敢になれたに違いないのです。
俗にインセンティブともいいます。
報償制度があることで、人はより前へ進もうとするのかもしれません。
賞も賞金も勲章も、全てこうした類のものです。
最近では企業内でも研究成果に見合ったインセンティブを与えるところが出てきました。
ノーベル賞などを取った研究者に、所属する企業が独自に祝い金と特別賞与を与えるという話もあります。
中には、会社側に対して特許料を要求する科学者もいる時代です。
逆にいえば、こうしたシステムが機能しない社会は自滅していくのかもしれません。
オリンピックなどは、商業主義の色合いが濃くなり過ぎました。
誰もが目の前のにんじんを追いかけているワケではないでしょう。
しかし全くその要素がないといったら嘘になります。
国家
かつての中国における国有会社をちょっと考えてみてください。
古い機械をなんの工夫もなく使っていたのです。
ニーズが全くない製品でも作っていればそれで生活ができました。
ソ連も全く同じシステムを続けていたので、最後には崩壊したのです。
新興の私企業はその隙を鋭く突き、次々と市場を奪っていきました。
資本の論理が前面に飛び出たわけです。
数度にわたる全国人民代表大会で、党中央は是正を繰り返し現在の状況に至ったのです。
まさににんじんを追いかけ続ける経済の実現です。
その効果は絶大で、今や中国は世界の覇者です。
日本はどうでしょうか。
簡単に結論づけるのは難しいですね。
公務員の世界は相変わらず横並び意識が強く、少々のことでは動きそうもありません。
しかし上級国家公務員の受験者数は以前より明らかに減っています。
インセンティブもありますが、それもたかが知れているのが現状です。
企業はポストを与えたくてももうないし、賃金もこれ以上は払えそうもありません。
ずっと経済は低迷したままなのです。
土地資産などはどうなのでしょうか
あるいは株は…。
日銀が介入しなくなったら、その先はどうなるのか。
株価が3万円になったと喜んでばかりはいられません。
ここまで来たら、にんじんは1人1人が自分の心の中に育てる以外に方法がないのではないでしょうか。
どうすれば豊かで穏やかな人生が送れるのか。
どこに自分のインセンティブを見いだすのか。
本当に今、そのことが真剣に問われています。
夢のない社会は自然に滅んでいくしかありません。
やっと横綱になれた照ノ富士もその地位にずっといられるワケではないのです。
白鵬の時代もついに終わってしまいました。
今回も最後までお読みいただき誠にありがとうございました。