アイデンティティの心理
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は人権について考えましょう。
難しいテーマです。
この課題が正面から出題されることはあまりありません。
しかしいろいろな形で関係のあるキーワードが出てきます。
特にジェンダーフリー、障害者、いじめなどと関連して問題になります。
人種問題、ヘイトスピーチ、慰安婦、同和問題など掘り起こしていけばいくらでも出てきます。
民主的な社会の根本が全ての人の基本的な人権にあることは誰もがよく知っています。
自分には差別意識などないと普段考えている人が多いでしょう。
しかし一歩中に入ると、実は考えてもみなかった現実がそこにはあるのです。
普段意識せずにしている差別こそが、最も厄介なのです。
ここでは少しだけ、そのことについてのヒントを考えてみましよう。
心理学者の中野信子さんによれば、人間は集団をつくり、同時に仲間外れの人間をつくる動物だということです。
仲間外れが1人でもいることで、集団はその力を発揮するのです。
あえて言葉でいえば、アイデンティティ確立の瞬間です。
1番簡単な例が外国人の集団を考えてみればいいでしょう。
自分の家の近くに外国人の人はいないでしょうか。
関係はうまくいっていますか。
知らない人達が夜中までお酒を飲んで歌を歌っている。
ゴミを決まった日にルール通り捨てない。
町内会の集まりに全く顔を出さない。
このような話は大変よく聞きます。
特にアジア人や中東、アフリカ人に対して頻繁に出る話題です。
ここにも普段意識していない1つの差別がありますね。
差別することで、自分たちの存在意識を高めているのです。
差別せずには生きていけない
事情は学校においても同じです。
いつの間にかクラスの中で必ずスケープゴートになる生徒が出てきます。
誰も気づかずに、ひっそりと日常的に起こっている現象なのです。
教師が全てを見抜くということはなかなかできません。
たまたまうまくいじめを見つけたとしても、また他の人をターゲットにして同じ行動が始まる可能性もあります。
小学生や中学生の自殺などという事件の背後には必ず、いじめの問題が絡んでいます。
人権教育というと、すぐにアイヌ、同和、在日韓国人などという言葉が出ます。
親の中には、そのような意識をうちの子供は持ってもいなかったのに、学校で教えられ、むしろ迷惑だったという人もいます。
それまで差別について知らなかった。
今ではかえって特別な意識を持つようになり、非常に困っているというのです。
この問題は差別用語撤廃の内容ともからみます。
テレビやラジオなどで行われているNGワード追放の流れです。
放送禁止用語と呼んでいます。
「目の不自由な人」とか「耳の不自由な人」という言葉を聞いたことのない人はいないはずです。
しかし日本語にはもっと直接的な表現がいくつもあります。
そのような言葉を一切日常生活の表面上から消してしまえという流れです。
差別用語を使わなければ、差別はなくなるのでしょうか。
これは本当に難しい問題です。
これだけで、入試問題が1つできますね。
言語使用の自由と人権との問題は複雑で多様です。
入試に出題できるだけの重みを持っています。
言葉が先か、現実が先かという話です。
マジョリティは強い
マジョリティは多数派、少数派はマイノリティです。
人間はあらゆる場面で「マジョリティ」と「マイノリティ」に分けられます。
一般的にマジョリティは社会的に強い立場にいることが多いです。
しかし本人たちは自分のことをどう思っているのでしょうか。
彼らはちっともそのことを意識していません。
むしろ普通だと思っているのです。
ここがこの問題のキモです。
1番厄介で面倒くさいところなのです。
しかし現実は「特権」に囲まれ、居心地のいい環境にいます。
それを認識していないだけです。
だからこそ、他人に対してなんの気遣いもない。
よく言われることに自動ドアの思想があります。
マジョリティに属している人たちはドアを自分で開けません。
あらゆる困難や障害を自動的に乗り越えられるのです。
そこに障壁があることすら知りません。
だからこそ、他人の中に人権問題があることにも気づかないのです。
これは怖いことです。
チェックしてみよう
マジョリティに属していればいるほど、特権に囲まれています。
そのレベルははかり知れません。
その差は就職や結婚の時に如実に表れます。
自分の出身を気にせずにエントリーシートを会社に提出できるのか。
身分、門地などを意識しなければ生きていけない人達がいます。
職業の選択や結婚相手が狭まるという現実があります。
その時点でマイノリティに属することになるのです。
もちろん、国が違えばその指標は大きく変化します。
アメリカなどで起こっている黒人差別などのニュースに触れたことがありますね。
黒人だというだけで、逮捕され殺されてしまった人々もいます。
居住環境から、学歴に至るまで、その差は歴然としているのです。
それでは具体的にどのような人が最もマジョリティ度が高いのか。
日本の社会の中で考えてみましょう。
簡単にいえば、どのタイプの人が最も日本では特権を得ているか。
当然のことながら日本人が1番有利です。
さらに男性で部落外の出身者。
異性愛でトランスジェンダーではないこと。
自分を男性だと考えている人です。
さらに健常者で高学歴であれば申し分ありません。
学歴を身につけているということは、成育環境がある程度整っていたことを意味します。
最近は性自認ということも大きなポイントです。
アメリカでは就職面接の時、男性か女性かを訊ねてはいけないことになっています。
ここまでみてきてどうでしょうか。
この全てが整っている人は、他人の目を気にせず、最大の権利を持ち、大手をふって外を歩けます。
最も強い人間なのです。
そうでない人から見たら、羨ましいほどの特権を身につけています。
彼らは障壁を意識しません。
全てのドアは自動的に開かれていきます。
そうでないケースを同時に考えてみてください。
そこに差別があるのです。
自分の出身や国籍を気にしなくてはならないということそのものが、人権の問題にからんできます。
小論文のテーマとして、これくらい難しいものはありません。
少し理解してもらえたでしょうか。
今後もさらにこの内容を深めていきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。