【一日一生】千日回峰行というスーパーマン的修行は空前の宇宙規模

アンビリーバブル

みなさん、こんちには。

ブロガーのすい喬です。

ぼくは本当にヤワな人間です。

だいたいつらいことからは逃げてきました。

なるべく楽をして暢気に暮らすというのがぼくのライフスタイルです。

だからそれと正反対の人がいると知るだけで脅威です。

そんなことしてどうするのとまず考えちゃいます。

なんのためにというのも追加してください。

そうでなければ、こんなことはできません。

考えてもみて下さい。

比叡山千日回峰行といえば、今や誰でも知っています。

ああ、あれかとすぐわかります。

kareni / Pixabay

何度もテレビで放送されていますからね。

戦後何人目だなどいう記録も必ず同時に伝えられます。

お坊さんの修行というのは、本当に朝早くから夜遅くまで続くのです。

足袋も履かずに冷たい廊下を素足で歩くと聞いただけで、どうにかなりそうです。

さらに粗食です。

そこまででももうダメなのに千日回峰行となると、もう正気の沙汰とは思えません。

どんな修行なのか。

この行は1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行います。

定められた礼拝の場所は260ケ所以上もあるのです。

山の中を毎日30キロと聞いただけで、口をあんぐりですね。

平地だって毎日30キロなんて歩けません。

ましてや、道なき道です。

堂入り

4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。

ここまでの700日を終えて9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入ります。

不動真言を唱えつづけるのです。

深夜には仏のための水を汲みにいくという行まであります。

9日間、寝てはいけない。

食べてもいけない。

水を飲んでもいけない。

横になってもいけません。

ずっと真言を唱え続けるのです。

これがクライマックスです。

この修行を終えると、もう完全に生き仏状態です。

終わった日はフラフラで亡霊のようです。

他の僧の肩につかまりながら、お堂から出てきます。

周囲で見ている人が自ずと合掌してしまいます。

手をあわせて仏様を拝む時の気持ちなんでしょうね。

自分にかわって修行をしてくれているという感謝の気持ちなのかもしれません。

6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。

7年目は200日巡ります。

ここまで読んでどう思いますか。

もう完全にこの世の話じゃありません。

60キロも歩くというのは人間の技じゃないです。

なぜそんなことができるのか。

ぼくには全くわかりません。

京都大廻り

前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれています。

比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよぶのです

そして最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となります。

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天台宗大阿闍梨、酒井雄哉さんの書いた『一日一生』という本を何気なく再読してしまいました。

なんということもなく、彼の日頃の様子が書いてあります。

しかしそこに示されていることは、誠にその通りだなあと感心させられることばかりでした。

比叡山に入るまでの人生は、本当に波瀾万丈だったようです。

戦後は図書館職員をしたり、ラーメン屋を開業。

株売買の代理店もうまくいかず、そば屋の店員、菓子店のセールスマンなど職を転々します。

33歳のとき結婚したものの、奥様は大阪の実家に帰り、連れ戻そうともしました。

しかし迎えに行ったことがきっかけで死なれてしまいます。

奥様に自殺された時には、もう目の前が真っ暗になったとか。

その彼が比叡山千日回峰行に挑んだ話はテレビなどでも随分紹介されました。

ハイライトである堂入りの時は、深夜に仏のための水を汲みにいくという行をずっと追いかけていました。

毎夜、フラフラしながら自分の足でお堂を出て水を汲みにいきます。

何も食べず、飲まず、寝ずという修行の日々です。

考えただけで、気の遠くなるような話ですね。

やはり正気の沙汰とは思えません。

いくらお金を積まれても、できないものはできません。

この行を実に2回も行ったというのが、酒井雄哉という僧侶なのです。

これだけを聞かされると、なんと意志の強い超人的な人なのかと、本当に驚いてしまいます。

しかし彼の言っていることはごく当たり前のことばかりなのです。

この本のタイトルにもなっている一日を一生と思い、真剣に生きなさいという表現には、酒井さんの深い思いを感じずにはいられません。

山道も歩けなくなったら、足で歩かずに肩で歩くのだそうです。

意識を足から次第に肩まで上げていくと疲れを感じなくなるのだとか。

凡人には到底わからない世界の話です。

当たり前の話

全体を通して、あたりまえのことを当たり前のようにして感じることのいかに難しいかということが説いてあります。

前半生で様々なつらいことを経験し、39歳から修行を始めた酒井さんの哲学がここには満載されています。

読み終わった時、身体が心なしか軽くなったような気がしました。

自分のような人間は生きていてもしょうがないと思い、ただ寺の掃除をさせてもらったのだそうです。

なんにも考えずにただ掃除をしました。

結婚したばかりの妻がなぜ自殺をしてしまったのか。

何かしてあげられることはなかったのか。

sciencefreak / Pixabay

毎日毎日おなじことを考えながら、境内の掃除をしたそうです。

比叡山延暦寺に入ったのをきっかけに千日回峰行の存在を知ったそうでです。

死と隣り合わせの修行です。

途中で亡くなったり、断念した人が何人もいるのです。

本当に野垂れ死にをする覚悟があるのか。

何度も聞かれました。

生きていても仕方のない人間です。

やらせてくださいとお願いしました。

晩年は比叡山麓の飯室谷不動堂に住み活動する日々でした。

2013年、心不全のため87歳でこの世を去りました。

その穏やかな表情を見ていると、人間は変われるのだとしみじみ思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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