【雨月物語・夢応の鯉魚】作者上田秋成の幻想世界に惹かれて夢見心地

夢の世界の豊かさ

みなさん、こんにちは。

今回は江戸時代の小説を読みます。

特異な作風で知られる上田秋成の『雨月物語』です。

御存知ですか。

江戸文学といえば、弥次さん、喜多さんで有名な十返舎一九『東海道中膝栗毛』とか滝沢馬琴『南総里見八犬伝』。

さらには上方の井原西鶴、もっとくだけた黄表紙本、滑稽本と呼ばれるものまで、種類はたくさんあります。

そうした中でひときわ他の作品とは違う光を放っているのが上田秋成の『雨月物語』です。

成立は明和5年(1768)年。

秋成、43歳の時の作品です。

kareni / Pixabay

5冊の分冊スタイルの中に9つの短編が収められています。

白峰」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の淫」「青頭巾」「貧福論」から成っています

いずれも和漢の作品を典拠とした怪談ばかりです。

人々が生活のために忙しく立ち働く昼間ではなく、雨の上がった月の出る夜の読み物であっていいというところから『雨月物語』と命名されました。

この時代、中国の俗語で書かれた白話小説を読むことが、知識人の間では一種の流行でもありました。

さらに日本の古い文学を捉えなおそうする国学の運動もあったのです。

そうした流れが、人間世界の闇を描こうとする方向へ進んだのも、この頃の特徴です。

合理性が追い求める人々の心は、同時に不可解な未知の世界に対する恐怖心を募らせました。

怪談話などが好まれたのです。

寺子屋などでの識字教育が進み、文字に対する抵抗も薄らぎ始めていました。

そんなタイミングをうまく捉えたのが、上田秋成の怪異小説なのです。

なぜ今日まで残っているのかといえば、文章が圧倒的に見事だからです。

構成がしっかりしていて、文章がひきしまっています。

彼の学問や思想としっかりと結びついているのです。

ほとんどの短編が中国の小説を題材にしています。

『万葉集』『伊勢物語』『源氏物語』などの基礎的な研究の成果も言葉の質を際立たせています。

今読んでも、少しも古びていません。

作家石川淳はこの作品を自分なりに解釈しなおし、『新釈雨月物語』として上梓しています。

これも読みごたえのある本です。

夢応の鯉魚本文

されども人の水に浮かぶは、魚のこころよきにはしかず。

ここにて又魚の遊びをうらやむこころおこりぬ。

傍にひとつの大魚ありていふ。

『師のねがふ事いとやすし。待たせたまへ』とて、杳かの底に去くと見しに、しばしして、冠装束したる人の、前の大魚に胯がりて、許多の鼇魚を率ゐて浮かび来たり、我にむかひていふ。

『海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。

今、江に入りて魚の遊躍をねがふ。

権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせたまふ。

只餌の香ばしきに昧まされて、釣の糸にかかり身を亡ふ事なかれ』といひて去りて見えずなりぬ。

不思議のあまりにおのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へてひとつの鯉魚と化しぬ。

あやしとも思はで、尾を振り鰭を動かして心のままに逍遥す。

現代文訳

しかし人が水に浮かんでいるのは、魚が水中で泳いで気持ちがよいことには及びません。

ここでさらに法師の中に魚の泳ぎ遊ぶのを羨む気持ちが起こりました。

そのとき、そばにいた大きな魚が言いました。

『法師様の願い事はとても簡単なことです。お待ちください』といって、はるか水底へ去っていったかと思うと、しばらくして、冠や装束で身を包んだ人が、さきほどの魚にまたがって、たくさんの魚たちを連れて浮かんできて言ったのです。

『海の神のご命令がありました。法師様、あなたはかねてから捕らえられた生き物を放すことをし、功徳の多い方です。そして今、水中に入って魚の遊びをしたいと願っていらっしゃいます。

少しの間だけ金の鯉の服を授けて水中の世界を巡る楽しみを味わわせてさしあげましょう。

ただし、餌が香ばしいのにくらまされて、釣りの糸にかかって身を滅ぼさないようにしてくださいませ』と言ってすぐに見えなくなってしまいました。

不思議なあまり、自分の身体を顧みると、法師はいつのまにか鱗と金色の光備えた一匹の鯉になっていたのです。

奇妙なことだとも思わず、尾を振ってひれを動かして、思うままに泳ぎ回りました。

これは作品のほんの1部分ですが、どこかで読んだような既視感のある話ですね。

全体のあらすじは次の通りです。

あらすじ

昔、三井寺に興義という僧がいました。

絵がうまく、湖で漁師から買い取って湖水に放した魚を描いているうちに、見事に描けるようになっていったのです。

湖水で魚と遊ぶ夢を見たのを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名付けました。

ところがある年、病気で急死してしまったのです。

しかし棺におさめようとした時、突然生き返って話をし始めました。

当人が言うには死んだのも忘れて、熱を冷まそうと琵琶湖畔まで行ったというのです。

服を脱ぎ泳ぎ回ったそうです。

次第に魚を羨ましく思うようになりました。

するとそばを泳いでいた大魚が願いを叶えようと言います。

海神は、生前捕らえた魚を逃がしてくれたお礼に、金色の鯉の服を与え、自由に泳ぐようにしてくれました。

ただし、よい香りのする餌を食べて釣り上げられないようにと忠告しました。

興義は魚の服を着て自由に泳ぎ回ったのです。

心地のいい至福の時間でした。

急にお腹が減ってきて、食べ物を探していると、知り合いの文四の釣り糸に出会いました。

一旦は我慢したものの空腹に堪えられず、餌を食べても大丈夫だろうと思いました。

まして知り合いの文四だからというので餌を食べてしまいます。

すると、たちまち釣り上げられてしまいました。

いくら叫んでも通じません。

文四は興義だとは知らずに、捕らえて平の助の家へ運んでいきました。

みんな大喜びで、興義がいくら大声を出しても通じません。

とうとう料理人が切ろうとした瞬間、突然目が覚めたのです。

それからの話は誰もが目を見張るほど、不思議なものでした。

三島由紀夫の評価

三島由紀夫はこの作品に魅了されたものとみえて、高い評価を与えています。

文章の1部をここにあげておきましょう。

この鯉魚の目には孤独で狂おしい作家の目が憑いていはすまいか。湖の水にその網膜の狂熱を冷やされて、一瞬の夢幻の偸安(安楽)を許された魂が、ありのままに見た自然が展開するのである」と言っています。

この作品は中国の『魚服記』を典拠としているといわれています。

主人公の名前には『古今著聞集』に名の見える三井寺の興義和尚を使ったようです。

何ものにも束縛されない自由の楽しさとそれが夢の中でしかなかったという意外性が面白いです。

文章の格調を味わってみてください。

石川淳の翻案と一緒に読み比べるのも楽しいかもしれません。

9つの短編にはそれぞれの味わいがあります。

亡くなった作家中上健次は「蛇性の淫」にヒントを得て『蛇淫』を書きました。

「浅茅が宿」は監督溝口健二によって映画化されています。

関心がありましたら、調べてみてください。

今読んでも、実に面白いです。

是非ご一読を。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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