思慕の情
みなさん、こんにちは。
40年間、都立高校に勤務した元国語科教師、ブロガーのすい喬です。
今回は古文の話をさせてください。
実はこのブログで古文の話をするのは初めてなのです。
かつては日々の授業で難しい文法の話ばかりしていました。
生徒はなんといっても入試を突破しなくてはなりません。
そのためには試験に出るポイントをちゃんとおさえなくてはならないのです。
ニーズにこたえた授業をやらなくてはなりませんでした。
動詞、助動詞の活用と用法。
これだけ教えるだけでも大変です。
数か月かかります。
助動詞の区別がきちんとできるようになれば、かなりのエキスパートです。
さらに格助詞、接続助詞などの識別です。
あっという間に月日が過ぎてしまいました。
物語をしみじみと味わっている暇はあまりありませんでしたね。
それでも好きな作品はいくつもあります。
なかでも授業で多く扱ったのは『徒然草』です。
これは随分やりました。
『徒然草』は兼好法師が書いたとされる随筆です。
清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと評価されています。
仁和寺の法師をからかったような愉快な話があるかと思えば、人が亡くなった後の無常感を扱ったものもあります。
確かにお線香の匂いがしてくるようなものもありました。
季節の移ろいを感じさせる文章も今となっては懐かしいです。
もちろん序文は飽きるほどやりました。
ご存知ですよね。
この部分は生徒に暗記してもらいました。
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
意味を思い出せますか。
「ものぐるほしけれ」というところを「気違いじみてきそうだ」と訳せれば正解ですね。
しかし本当の意味あいは今でもよくわかりません。
百四段の味わい
今回はなぜか「荒れたる宿の人目なきに」を読んでみたかったのです。
実に味わいのある段です。
徒然草の中でも、ことに王朝風の味わいがある章といえるでしょう。
彼は青年時代、六位の蔵人として後二条天皇に仕えていました。
貴族文化の華やぎを自分の目で見ていたという事実が、この文章などを読んでいると、はっきりと出てきます。
『徒然草』の中には有職故実の知識や王朝文化への憧れなども強く滲んでいます。
そうしたものへの思慕の情は若い日の宮廷文化がはぐくんでくれたものでなのでしょうか。
この段はとくに『源氏物語』に似た味わいに満ちています。
「花散里」の段と類似しているところがあるという指摘もあるくらいです。
『源氏物語』も隋分やりました。
「若菜」はもちろん「須磨」などもよかったです。
ちょっと話がそれましたね。
つい懐かしいものですからお許しください。
『徒然草』は高校時代に代表的な章段を学びますが、それだけではとても網羅しきれません。
さまざまなジャンルの中で、この百四段は大変に美しいところです。
この段を所収している教科書もあります。
残念なことにぼくは授業で扱ったことがありませんでした。
夢のような世界
なんとなく夢の世界の中を巡っているような文章が目をひきます。
是非味わってみてください。
全文を載せましょう。
荒れたる宿の人目なきに、女のはばかる事あるころにて、つれづれと籠り居たるを、あ
る人、とぶらひ給はんとて、夕月夜(ゆうづくよ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ね
おはしたるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女の出でて、「いづくよりぞ」と言
ふに、やがて案内(あない)せさせて入り給ひぬ。
心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心苦し。
あやしき板敷にしばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、わかやかなるして、
「かなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭(せ)げなる遣戸(やりど)よりぞ入り給ひ
ぬる。
内のさまは、いたくすさまじからず、心にくく、火はあなたにほのかなれど、もののき
らなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。
「門(かど)よくさしてよ。雨もぞ降る、御車(みくるま)は門の下に。御供(おんと
も)の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞやすき寝(い)は寝(ぬ)べかめる」と、
うちささめくも忍びたれど、ほどなければ、ほの聞こゆる。
さて、このほどの事どもも、こまやかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。
来しかた行く末かけて、まめやかなる御物語(おんものがたり)に、このたびは鳥もは
なやかなる声にうちしきれば、明けはなるるにやと聞え給へど、夜深く急ぐべき所のさ
まにもあらで、少したゆみ給へるに、隙(ひま)白くなれば、忘れがたき事など言ひ
て、立ち出で給ふに、木末も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艶
にをかしかりしを思(おぼ)し出(い)でて、桂の木の大きなるが隠るるまで、今も見
送り給ふとぞ。
どうでしょうか。
意味がわかりますか。
読んですぐにわからなくてもいいのです。
言葉の響きを味わってください。
是非、声に出して読んでみてくださいね。
きっといい気持ちになります。
これが古語の持つ不思議な力なのです。
あらすじと訳
ある女性が世間を憚ることがあった頃、荒れてしまって人目もないような家に、することもなく引き籠っていた折に、ある男性が見舞おうと夕月がまだ薄く見える時間にお忍びでお訪ねになりました。
飼い犬がうるさく吠えたので、召使いの女が出てきて「どちらさま」と尋ねます。
そのまま様子を伺って屋敷へお通ししました。
( ここからは男性の側からの記述です )
邸内の寂しげなありさまを見るに、男性は女性たちがどう暮らしているのかと痛々しく感じたほどです。
粗末な板の間に立っていると、落ち着いた感じの若い声で「こちらへ」と声がします。
開け閉めが大変そうな遣戸から邸内に入りました。
家の中はさほど荒れているというわけでもなく、情緒ある雰囲気で、遠くにほのかに灯っていた灯りで調度品の美しさも垣間見えます。
急遽焚いたわけでもない香の匂いもほどよく漂ってきました。
「門をきちんと閉めて、雨が降るといけないので牛車は門の下に、お伴の方々はそこそ
こで…」と誰かの声。男性が来てくれているので今夜は安心して眠れますね」と他の人
がささやいているのも、声を潜めて言っているのでしょうが、手狭な家ゆえに漏れ聞こ
えてきます。
さて昨今のことなどを細やかに話していると、一番鶏も鳴きだしました。
心づくしの話をしている間に、今度は鳥もにぎやかにさえずり始めたので、「もう夜が
すっかり明けてしまったのだろうか」と鳴き声を聞きます。
別段夜が明ける前に急いで退出せねばならないような場所でもなかったため、しばしの
んびりしておりましたが、やがて戸の隙間から白く外光が射してきました。
忘れ難いことを言って立ち去る際、梢も庭の草木も青々とした四月の明け方の景色は大
層趣があるものでした。
ある男性はその明け方のことを思い出しては、たまたまそこを通りかかったときには庭
の大きな桂の木が見えなくなるまで今でもじっと見送られるのだということです。
意味がわかりますか。
在りし日のことを回想しているのです。
趣を解する人の恋愛はこういうものだったのでしょうね。
これはあくまでも兼好法師の創作です。
あるいは本当にこんなことがあったのかもしれません。
どちらでもいいのです。
全ては夢のあわいに消えていきます。
実際にこんな恋愛ができたらいいなと彼は思ったのでしょうか。
憧れに近いものがあったような気もします。
豪華絢爛を誇る家の佇まいではありません。
つくりも質素なものです。
女の人たちだけでひっそりと暮らしているのです。
しかし中に入ると調度品などはきちんと整えられています。
お香も趣深く漂ってきます。
夜通し、彼女ととりとめのない話をしました。
そして明け方、庭の草木を見ながら鳥の声を聞きつつ帰っていくのです。
その時の女性はもうこの世にいないのでしょうか。
あるいはまだそこに住んでいるのか。
またはすべて想像の世界の人なのか。
いずれにしても心の奥底に強く残っている人なのでしょう。
だからこそ、その家の前を通ると、さまざまなことが胸をよぎるのです。
なんということもない、男女の出会いと別れの話です。
しかし美しいですね。
これが古典の味わいです。
他の話もチャンスがあったら、ここで取り上げましょう。
滑稽話を好んで描いた兼好法師の全く別の姿が垣間見えますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。