【小論文・人権】児童虐待はコミュニティの喪失とともに始まった

小論文

社会と子供

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です

今回は児童虐待をテーマにします。

少子化が叫ばれて久しいです。

政府の「25年度希望出生率1.8の実現」にはほど遠いようです

何が原因かについては、このサイトにもいくつか関連の記事を書きました。

女性の高学歴化に伴って結婚年齢そのものが高くなってます。

それ以前に結婚しない人も多いのです。

未婚、非婚の人だけではありません。

コロナ禍によって経済的な不安をかかえ、結婚そのものをためらう人も出てくることは容易に想像できます。

育児に関しても教育費の問題を考えると、子供を多く育てるということが不可能な現実があります。

もう1人欲しいと思ってもなかなか決断できないのです。

そうした中で、考えなくてはならないのが児童虐待の問題です。

実に悲しい事件が次々と報道されています。

虐待は子供の人格形成を根本から曲げてしまう人権侵害そのものです。

Free-Photos / Pixabay

親権があるからといって許されるものではありません。

なぜ次々と事件が起こるのでしょうか。

児童教育などに関わる大学などでは、頻繁に出題されるテーマです。

女子大学などでも、子供の問題に特化した課題として取り上げられることが多いです。

普段はニュースなどでしか目にしないため、一過性のものとして認識している人もいることでしょう。

法学関係の学部などにも人権のテーマとして多く出題されます。

ここで根本原因とその対策について考えてみましょう。

人権問題としての認識

児童に関する人権の問題にはさまざまな種類があります。

「虐待」「いじめ」「体罰」「児童買春」「児童ポルノ」など数多く存在しています。

特にインターネットの普及にともなって利用されることが多いのも事実です。

子供の自尊心を守るという基本から、どう対応すればいいのかというのが大切な視点でしょう。

その中でも児童虐待というのは死に至ることの多いケースです。

保護者による身体的、性的虐待をはじめとして、養育の放棄、怠慢、心理的虐待なども含みます。

厄介なのはこれらが誰の目にも触れずに密かに行われているということなのです。

いくら訴えても、取り上げてもらえず、結局死を迎えたという事件が後を絶ちません。

なぜ虐待をするのか。

その心理状態をきちんと理解しておくことが大切です。

第1に取り上げられるのが「余裕のなさ」です。

わかりやすくいえば貧困の問題です。

生活が苦しく、相談相手も見つけられずに、行く先のない焦りや怒りが虐待という形で最も弱い子供に向かってしまうケースです。

それでは貧困でなければ問題は起きないのでしょうか。

そんなことはありません。

精神的に追い詰められることで完全な育児ノイローゼになることもあります。

俗に「ワンオペ育児」と呼ばれるものです。

全く余裕がなくなり、相談相手が誰も見つからないという状態がよく見られます。

かつては大家族で子供を育てるということがあたりまえでした。

しかし現在は核家族です

Photo by yto

さらに仕事の関係で夫の帰宅が遅いということが、引き金にもなります。

誰にも相談できず、理解もされないまま、最も弱い子供にあたってしまうのです。

同時に社会の構造の変化もあります。

共稼ぎでないと、経済生活が成り立たないという状況の下で、子供を育てるのは容易なことではありません。

少しでも歯車が狂うと、全てを放棄してしまうという暴挙に出がちなのです。

コミュニティが機能しない

都会では近隣の人との関係がますます希薄になっています。

今では隣の人がどんな仕事をしているのか知らないというのは、ごく当たり前のことです。

ましてや、子供の育て方に対して相談にのるなどということは、ほとんどありません。

孤立を深めていくことが虐待への道の一歩なのです。

虐待が起こる背景は、もちろん1つではありません。

身体的、精神的、社会的、経済的な要因がいくつも複雑に絡み合っています。

リスク要因として考えられることには次のようなものがあります。

保護者側のリスク要因

妊娠そのものを望まなかった
長期入院などで愛着形成が不十分なままである
産後うつ病などで精神的に不安定
性格がもともと攻撃的である
アルコール依存、薬物依存などの障害を持っている
自分自身が虐待をされて育った
育児に対するストレスが強い

養育環境のリスク要因

未婚での単身家庭
内縁者や同居人がいる家庭
子連れの再婚家庭
夫婦関係に問題を抱えている
親族からの孤立
経済不安
配偶者からの暴力

ここに示したのはあくまでも全体の1部です。

この要因があるから必ず虐待があるというワケではありません。

行政の問題

ここからは行政の問題を考えます。

このテーマでいつも問題になるのは児童相談所の存在です。

俗に「児相」と呼ばれ、ニュースの度に「もう少し早く相談してくれればなんとかなったのに」などというコメントがつきます

どのような組織なのか。

これについてはある程度自分で勉強してください。

特に過去問でこの虐待の問題が多く出る大学を受験する人にとっては大きなテーマです。

小学校、中学校の教員になれば、「児相」との関係は必ずあります

Tumisu / Pixabay

まったくこの組織と無関係で教員を続けていくことはできないと考えてください。

それくらい今日、虐待やニグレクトなどの問題は頻繁にあるのです。

現在、児童相談所はどの程度有効に機能しているのでしょうか。

実はこの機関には虐待の防止、抑止機能はありません。

虐待が疑われる情報が入れば調査はします。

子供の泣き声や怒鳴り声などが聞こえれば家庭訪問はするものの、完全に虐待を見抜くところまではできないのです。

このことはよくニュースで流れる通りです。

そこまでは知りえなかったというコメントがよくあります。

通常、親たちは虐待が発覚しないようにふるまい、さらに実態が見えにくくなるのです。

危機を目前にした親の側も「助けを求めること」は恥ずかしいことだという意識を持っています。

だから厄介なのです。

もちろん最初から行政を敵視しているわけではありません。

助けを求めて市役所や区役所に何度も足を運び、窮状を訴えているケースも多いのです。

しかし役所の壁は想像以上に高いです。

よく言われる「たらい回し」です。

児童相談所の職員も、どこまで子供の心理状態が理解できているのでしょうか。

親子の間にあまりに介入しすぎて、むしろ相談者を遠ざけてしまうこともあります。

一生懸命やることがむしろマイナスの結果を招くという悲劇もたくさん起こっているのです。

社会的に認められず無力な親が、最も弱い者を標的にするのは誰でもすぐに理解できます。

この問題は複雑な要因をはらんで、日々違う表情をみせます。

それだけに理解をきちんとしないと、どこから書けばいいのかわからなくなります。

最近起こった児童虐待の記事などを新聞で読み、何が解決法になりうるのかを自分なりにまとめてみてください。

必ず役にたつことと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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