【舞姫】主人公・太田豊太郎は自意識過剰ないい子を演じすぎたのか

自我の目覚め

みなさん、こんにちは。

40年間教壇に立ち続けた元都立高校国語科教師、すい喬です。

今日は3年生になると必ず習う小説の話をします。

ずばりタイトルは『舞姫』です。

今風にいえば「ダンサー」ですかね。

森鴎外の『舞姫』は完成された日本で最初の近代文学作品です。

日本の近代を理解するうえで最適の作品といえるでしょう。

ただし難しい。

試験の結果はいつもさんざんです。

今回は必ず高校で習うこの小説を通して、鴎外が何を訴えたかったのかをあぶりだしてみます。

『舞姫』はとにかく読むのが大変です。

あちこちつっかえながらでも読めればまだいい方です。

たいていの生徒はお手上げということになります。

ぼくの経験では50分1コマの授業を最低2回は使います。

とにかく長い。

生徒にとってこんな長編を学校で習うというのは初めての経験なんでしょう

みな戸惑っています。

しかし読むのが厄介なだけならまだいいのです。

とにかく言葉が難解です

語彙のない生徒は何を読んでいるのかわかりません。

教科書には脚注があるので、それを読みながらなんとか理解するということになります。

これだけの単語力を持っていなければ本来高校の卒業はできないのです。

しかし近年の流れはこんなに難しい小説を読まなくてもいいんじゃないのというところまできています。

明らかにプラグマティズムの影響です。

しかし『舞姫』は人生の深淵を覗き込むには格好の教材だと思います。

古文の文章

『舞姫』は古文そのものです。

完全に古典の授業を受けているようなものです。

学校でなければ絶対に習うことなどないでしょう。

自分でこの本を買って読むという人がどれくらいるのでしょうか。

最近では現代語訳『舞姫』などという文庫本も出ています。

それくらい読むのは大変です。

「論理国語」という科目が解禁になると、『舞姫』は高校の国語から姿を消してしまうだろうとも言われています。

こういう厄介な本を読むと、生きていくのは大変なことだと実感すると思うんですけどね。

森鴎外は本名、森林太郎。

津和野藩の御典医の長男です。

東大医学部を出て陸軍軍医となりました。

明治17年にドイツ留学。

その後4年間をドイツで過ごします。

彼がこの地で見たものはまさに新しい時代の幕開けでした。

日本が近代化しようとしていたものを彼の地では、次々と実現していたのです。

自由な雰囲気を味わってしまったのが、鴎外にとって結局良かったのか悪かったのか。

ここは議論の分かれるところです。

帰国後、『舞姫』のヒロイン「エリス」のモデルと言われるドイツ人女性がすぐに彼を追って来日します。

しかし日本の風土はそれを許しませんでした。

明治22年、海軍中将の娘赤松登志子と婚約。

9月に長男が出生したにもかかわらず離婚

翌明治23年に『舞姫』を発表しています。

その後別の女性と結婚しました。

自我に目覚めた鴎外も、国のため、家のためという明治のしがらみからは抜けられなかったということです。

その思いをすべて小説に託したと考えると、また違う感慨を持ちます。

発表後の反応

この小説の発表後、文学活動を一時停止させられるという結果になりました。

鴎外にとっても非常に重い意味を持つ作品なのです。

主人公は太田豊太郎。

明治時代の上級役人です。

当時の官僚はものすごいエリートでした。

新国家を背負って立つという気概にあふれていたことでしょう。

新しい国を作らなければならず、そのために新しいドイツの法律、政治の在り方を研修する留学に出ます

やがて自由の風に吹かれ、本当の自我がどのようなものであるのかに目覚めていくのです。

このあたりはまさに鴎外自身の生きざまとオーバーラップしています。

ふと知り合った女性はビクトリア座の踊り子でした。

母親との2人暮らし。

留学の使命を果たそうとしない豊太郎に国からの費用支給は断たれます。

国家との縁が切れた瞬間です。

親友で同僚の相沢謙吉が彼のためを思い、新聞社の特派員の仕事を探してくれました

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エリスとの生活が始まります。

やがてエリスの妊娠。

豊太郎の苦悩は深まるばかりです。

もともと、彼女のために職を辞したわけではありません。

自由な風土の中で自我が目覚めたということが最大の要因なのです。

しかし相沢謙吉は豊太郎の復権のために尽力してくれます。

友情のなせる技です。

大臣にそれとなく話をしてくれ、ロシア行きの通訳の仕事まで斡旋してくれたのです。

語学の得意な豊太郎は八面六臂の活躍をします。

その有能ぶりに感嘆した大臣は豊太郎を日本へ連れ帰ろうとしました。

ドイツに事情があって帰国できないようなことはないかと訊ねられた時、何もないと答えてしまうのです。

豊太郎はエリスを連れて帰っても、なんとかなると思っていたに違いありません。

最後のチャンスでした。

そこには日本という国への懐かしさや功名心がなかったとはいえないでしょう

結果としてまさかエリスを捨てることになるとは、思いもよりませんでした。

結局は豊太郎がエリスを捨てることになる伏線はここに見事にはられています。

豊太郎はいい子すぎたのです。

弱い人間だったのかもしれません。

友人相沢が自分のためを思って力を貸そうとしているのがわかるだけに、難しい選択だったことは否めません。

大臣に帰国の約束をしたものの、豊太郎はエリスを捨てることなどできませんでした。

道端の腰掛けにもたれかかったまま高熱を発して意識を失ってしまいます。

彼が何も知らずに昏睡状態でいる間に、相沢は一切の事実をエリスに話しました。

その時の彼女の衝撃を想像すると気の毒というだけではすまされません。

告白したのは豊太郎ではないのです。

彼は何も知らなかった。

気がついた時には、エリスは既に発狂しています。

有罪か無罪か

この時差が、豊太郎の罪とどう関係するのかは、隋分論じられてきました。

つまり有罪か無罪かということです。

知らなかったという意味では無罪かもしれません。

しかしそのような状況を作ってしまったという意味においては有罪そのものです。

生徒は大体の生徒が豊太郎犯人説をとります。

とんでもない男だ。

こんないい加減なエリートを国が養ったことが間違いだ。

エリスも明らかに男に取り入ろうとしすぎている。

女としてのわざとらしさが目に余る。

1人で生きていく方法だってあったはずだ。

いろいろな感想が出てきます。

しかし明治という時代の生きづらさを現在と同じ基準で判断してはいけません。

官僚の持っていた責任や使命も、今とは比べものになりません。

鴎外は妻と別れた翌年にこの小説を発表したのです。

その時の感情の昂ぶりはどのようなものだったのでしょうか。

大きな反響が予想されたに違いありません。

当然バッシングの嵐も予測できました。

それでも発表したのです。

鴎外の信念の強さにあらためて驚かされます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

機会があったら読み直してみてください。

きっと高校時代とは違う感想をお持ちになることと思います。

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